2 この子の名前をきめて
ドゥルルオオオオオ……
重低音が響き、念願の工場が稼働した。しかし従業員はほとんどいない。
機械に任せるのは、複雑な部品を作り出すことだけ。
組み立ては、いまだ手作業。しかも完成品ではなく、構成を微妙に変えたテスト機体が並んでいる。
キンバリー社の社長、カヤン・ソフラバーは、いまだにエンジンを完成できていなかった。
「エンジンの機構、どうするか決めたの? 兄さん」
「………………」
「わかった。エンジンはまだいい。でもいいかげん正式な名前くらい決めよう。僕はもう三輪式軽自動車ってなんべんも言うの、舌が疲れちゃった。はぁーん、何だねソレは、もういちど言ってくれ。って、耳クソの詰まったジジイたちに、何度もなんども説明すんの大変なんだよ!」
キンバリー社の専務、カディール・ソフラバーは、絶叫して腕の皮膜を広げソファーに倒れた。
「………いや。それもカーヴィン兄さんが戻ってから決めたい」
「いいよ、カヤン兄さんだけで決めちゃって‼︎ 兄さんが創造主であり創業者なんだからさあ!」
「違う。オレたち三兄弟で作りだしたものだ。みんなそろった時に決めたい」
「おおい、2人ともー、カーヴィンが戻ったぞおおおおーっ」
ふっくらした腰猿族のキアーヌシュに肩を抱かれ、げっそりと頬をこけらせ、やつれた男……キンバリー社の副社長、カーヴィン・ソフラバーが帰宅してきた。
「うっわ、どうしたんだよ、そんな骨と皮だけになっちゃって‼︎」
「ああ……野宿してる最中、メシを盗まれて……な」
ラヴァ州ノア地区から帰ってきたカーヴィンは、ルオーヌ州、帝都コンクルーサス州などを横断し、約4週間かけて戻ってきた。ノア都市で援助してもらい、たっぷり積んだはずの食糧は、かなり早い段階で盗られたらしい。
「この子は盗られずに済んだのか…………奇跡だな」
「ハッ、座席の上で寝てたんだよ、朝起きたら後ろの荷物をゴッソリいかれた。歯車だけは……ハハ……残ってたけどな、重いから」
「待ってて。工場の裏で畑を作ってるんだ。収穫してくる」
「へえ……いいねえ。なんつう野菜だ?」
「農薬用のお金がないから虫が食べ放題なの。芋虫だよ」
カーヴィンは、お酢と塩で簡単にあえただけの芋虫ボウルをひたすらむさぼり……3杯たいらげた後、ようやく腹を膨らませて一息ついた。
「よし、っと……、そんじゃあ報告会といこうか」
そして会社の社長と専務、株主様に、はるばる遠征の成果を伝えた。
「まえに手紙で伝えてたと思うが、あちこち歯車工場を巡っていくうちに、この子に興味を持ってくれる人が増えたんだ。
技師や職人の間でうわさが広まり、工場長の会合にも呼ばれるようになり、ついには著名な建築家にまで話が広がった。
彼はなかなの伊達男でね、オレのことを気に入ってくれて、あちこち連れ出すようになり、やがて金持ち連中が集まる夜会——サロンにまで呼んでくれるようになったんだ。
そこにはラヴァ州じゅうの社長がいてな。高級幹部に政府高官、帝都女優に、有名モデル……そしてノア都市長にも面会できた!」
カーヴィンは膝をパチッと叩いて興奮を伝えた。美人女優やモデルよりも、都市長に会えた喜びのほうが大きかった。
「それでな、都市長はたいそうこの子を気に入って下さって、いつか都市専用の型まで作って欲しいと言ってくだすった。
こちらが完成のために、強度のある歯車を欲してるとお伝えしたら……なんと向こうから資金援助を申し出くださったんだよ!
約10万個の歯車を、はるか遠くのシュタット州まで運ぶ資金も一緒になっ、最高だろう!?
その代わり……」
「くぅー!! いやったね、今までの苦労が身を結んだねえ、兄さんたちーっ!」
「…………代わりに……どうした?」
勢いよく飛び跳ね、ボロボロのソファをさらにボロボロにしていく末弟カーヴィンの隣で、最高責任者のカヤン社長は怪訝そうにたずねた。
「この子の名前が決まってないと伝えたら、命名権が欲しいと。
向こうが支援したぶんの歯車代は、販売台数に応じた手数料で今後は支払うことになる。
あとは、もう一個あるんだが……まあ簡単にいえば、ノアに永久移住してくれとのことだ。
これは事業が成功したあと、晩年でもいいらしい」
長男カーヴィンは芋虫ボウルをさらに1杯、追加でおかわりし……よごれた軍手をこすって告げた。
「はー⁉︎ 手数料と移住はともかく命名権までえ? 冗談じゃないっ、ホウラ、兄さんがはやく決めないからじゃん! こうして資本主義っていうのは性根の腐った老獪たちが、愚かで無垢な青年たちを搾取していく仕組みなんだよ! ビジネスチャンスは迅速さが肝心なのにいーーっ」
三男カディールは雷に打たれ絶望した表情で、次男カヤンをギイっとにらんだ。いつも無表情なカヤンは、今回だけは困ったような大きな瞳で、隣人キアーヌシュに救いを求めた。
「え……えっとそうだなあ、僕も名前がないのはずっと気になっててねえ。彼女をどんな名前にするつもりなんだい。大丈夫、ぜんぶ向こうの要求を呑む必要はないよ。きちんと交渉すれば良いんだからね」
父のような、海のような包容力で、カヤンにたずねた。
「ちがう……完成したら名付けるつもりだったんだ……。
完成した瞬間に、この子はこの大陸に生を受ける。
それまでは女の胎内にいる子供と同じだ。
名前は、産まれた瞬間に付けられるべきだ」
若き天才、カヤン・ソフラバーは、動揺しつつも、きちんと己の美学を兄弟たちに伝えた。
彼がこの想いを告げたのは、長年開発を続けてきて初めてのことだったので、兄弟たちもキアーヌシュもすぐには受け止められず、心の縁において転がし、どう答えたものか逡巡した。
「そうだなあ、エンジンの完成は、おまいさんの頭脳にかかっているから何とも言えんが……もしかしたら名前がないことが、どこか心の中でブレーキとなって、いつまでも完成しない……ってことはないかな?」
カーヴィンは軍手を脱ぎ、弟カヤンの肩を抱き寄せた。
「うわあああん。やだやだ、さみしいよう、僕も混ぜて!!」
カディールも甘えん坊のぼうやに戻って、兄たちの腰に抱きつく。
「なぁ、〇〇〇〇〇は子供じゃない、工業製品だ。オレたちの大切な子供であり、愛しい恋人のような存在でもある。ちゃんと名前を決めようじゃないか……」
キアーヌシュは空になったボウルを手に持ち、久々のソフラバー三兄弟の仲をじゃましないよう、ソロソロと部屋を抜けだした。