6 ダダダダ、ダダ!
『さ、さっさとこっから出ますよ』
(まずい、このまま出たら、設計図が取られる……!)
「んば、ばっで……ぼんが!」
『は?』
ロビーはショーンを肩にかつぎ、地下室からではなく、塔の真南にある正面ドアから出ようとしていた。北西の壁際で伸びているラン・ブッシュの存在を無視し——
「ばって! ぜめで、ばいづにげーざつでじょーを……ゴホゴボッ!」
ショーンは必死にランの捕縛を訴えていた。ほんの1時間前まで、自分たちの手に掛けられていた、警察の手錠が2層にあるはずだ。
『何をダバダバ言ってるんですか、さっさと行きますよ!』
ロビーはよっこいしょと、暴れるショーンを担ぎあげ直し、ドアから出ようとしたその瞬間——
トスッ
それは羽毛のように軽い音だった。
ロビー・マームの左肩に小さなナイフが突き刺さり、彼はずるりと筋肉と神経の接続が切れたかのように転倒した。
『……ぐっ、が…』
「ぼびいいヴぃい!……っぶ、エッゲブッ」
ロビーの肩からずり落ちたショーンは、彼の名を叫ぶも、嘔吐した。
「ふ、いっけなぁーい★ 5センチくらいズレちゃったあ……ッゴホッ、ゴフッ!」
いまだ床に存在している煙と激臭と刺激とが、ランとショーンの顔面を襲う。
しかし、ランはズレた黒ガスマスクを直すことなく、両手袋に仕込んだ残りのナイフを取り出し、薄灰色の鋼鉄をシャキンと白く光らせた。
「★ざあ、デズのもとへおぐっであげる!」
ランは涙と鼻水を垂らしながら、蒼白い笑みを浮かべて、ショーンとロビーの喉元へ、虎の子のナイフを2本放った。
「ガッ、ブグッ……」
ショーンは抵抗すべく、呪文を放とうとした。
しかし声が焼かれ、すべて濁音にしかならない。
何か打破する方法はないのか!?
ショーンは、放たれたナイフが到達する前に、魔術学校の記憶をムリやりこじあけ——
『さあ、明日から祝祭だ、今日はめいっぱい宿題を出そう』
違う!
『声をあげましょう同胞よ。我々は寵愛されし金の仔羊……!』
違う!
『ははは……僕と友達になってくれる?』
これも違う!
『今日は、いちばん短い呪文をお教えしよう。諸君』
——これだ!
オーストリー・バロメッツ教授が、天井から木漏れ日が射すなか、優雅に赤ガーネット色のローブを翻して教鞭をとっていた。
『いいかね諸君。これは【星の魔術大綱】に掲載されている呪文の中で、もっとも短い呪文だ』
いつもより数段はやく、その文言をパチン! と黒板に書き終えた。
『短言呪文は、呪術学では絶えず研究が重ねられているテーマだ。長ったらしい文言はどうしても隙が多いだろう、短く打てたら理想的だ。しかし、今までかずかずの短い呪文が生み出されては……短い命で消えていった。理由は分かるかね? 偶には、そう……ショーン・ターナー! 答えたまえ』
『————は、いッ!』
話半分でぼんやりしていたショーンは、急に当てられて(なんと二カ月ぶりのことだった)心臓が突き破れそうになった。
『え、えーと短い呪文が、すぐに廃れてしまう理由……ですよね?』
『そうだ』
バロメッツ教授が力強くうなずき、教室中の視線が、劣等生のショーンに集まる。
『えー…文章が短いと……マナを集中する時間が、足りない……からでしょうか』
『よし、その通りだ!』
教授はにっこりと笑ってくれたが、生徒たちはみな、舌打ちして前を向いた。
『ショーンの言うとおり、文言が短すぎると、マナを集中させ、体内の必要な箇所に行きわたらせる時間がまったく足りない。多くの呪術師が、短言呪文の考案に挑戦してみては、考案者自身が安定的に打つことができずに、【星の魔術大綱】に収録されぬまま消えていった……』
ショーンは頬杖をつきながら、消えずに生き残った短言呪文をじっと見つめ、そっと小さくリズミカルに口に出してみた。
『これはエキセントリックな奇術師で呪術師、カプ・リコンが考案した呪文でね。彼はスーアルバ、上級者にしか打てぬ呪文だ。ここにいる諸君で打てる者は、フフ、私くらいだが……座学として知っておくように。長言呪文と同じく試験に出るぞ』
バロメッツ教授は、コツコツと再びその文字列を指示棒で叩いた。
黒板に書かれた文言は、5歳児が考えたかのような文字の羅列だ。
誰かが教室の片隅で、大声でそれを叫んだ。
他の生徒も口々に発し、何度も打とうと練習し始めた。
【星の魔術大綱】に収録されたあらゆる呪文のなかで、もっとも覚えやすい短い文言だったにもかかわらず、結局授業が終わるまでに成功した者は——あの優秀なエリ・エクセルシアでさえも、誰一人としていなかった。
【ダダダダ! 《駄打》】
短言呪文 《駄打》。
空中に6本の手を出現させ、動かすことができる呪文だ。
「ダ」を1言唱えるごとに、「手」を1本どう動かすか、瞬時にマナへ命じ、体内に配置しなければならないため、成功させるのは困難である。
「えっ?★」
ショーンが生み出した2本の「手」は、ランが放ったナイフを宙で受け止め、そっくりそのままランの元へ投げ返した。
当然、ラン・ブッシュはその場から逃げようと、体をひねった。
そこへ4本の「手」が出現し、ランの両腕と頭を鷲掴み、ランの左右の肩元へ、2本のナイフが綺麗に突き刺さった。
「★…………ッ」
鮮烈な緋色が、ランの皮膚から噴き出す。
ぎゃあああああああああああー!
と雷鳴のような悲鳴が時計塔内に響いたが、それを聞けたのは、その場にいたショーンとロビー、近くで放水中の掃除夫ノアと、水道局員の謎の爺さんだけだった。
「ありゃ、時計塔内で悲鳴がすっぞ!」
『女の悲鳴か? ……また死人が出ないといいが』
彼らがホースから放った水は、火炎瓶の延焼はもちろん、黒い実体煙をも着実に消しており、時計塔の空気状況は確実に良くなっていた……
しかし、
「………はぁ、ぐば……がっ」
ショーン・ターナーは、マスクもゴーグルもつけぬまま、すでに15分以上、黒い煙に晒されていた。
ラン・ブッシュは、ナイフによる出血、そして刃先に塗られた2本分の神経毒を喰らい、気を失っている。
ロビー・マームも、同じく左肩にナイフが刺さったまま失神していた。
ショーンは、よろよろと机に寄りかかりながら、両手をパンの形を取るかのように丸め、
【バイ…バ…ゲホゲホッ
【ワインわ…ッバ…ガホッ
【ワインは…パンで固められる… 《サングイン》】
咳き込んでなかなか呪文を唱えることができなかったが、十数回失敗したのちに、止血呪文 《サングイン》をなんとかランとロビーのナイフの傷口に施した。
「……は…ふァ……ガフッ……」
そして、自分の体には何も治癒を施せぬまま、鼻から血を流し、気を失い倒れていった。
今や『時計塔』内で無事な人物といえば、地下室内に安置された死者、大富豪キアーヌシュただ一人であった。




