6 そいで大工事が始まっちゃっちゃ
「ふぃー、上はずーっと騒がしいのう。水道管が壊れちまうっぺ」
狭い地下水道内では、紅葉が落ちて以降、上からずっとドスンドスンと地響きが鳴り響いている。
水道は、地上の道路とは多少異なるルートになっており、巨大なパイプ管に沿って、くねくねと折れ曲がっていた。
「ここってノア岩盤を掘って作ったんですか? それとも上に土を被せたんですか?」
「まあ、場所によるっぺな。岩盤ちゅうのは本来ぼこぼこしちょるもんやし、北のほうが標高が高いんよ。だで、南の水道管はむき出しになっちょるとこもあるべえ」
「えーっ、むき出しに?」
「そ。ノアのご先祖様はなぁ、北からちょーっとずつ開発を進めてたんじゃっぺ。丁寧に土を盛って、ボコボコを均して、地下の水管を掘って、ちゃーんと作っちゃちゃのよ。南は本来、仮住まいの土地だったのさ」
「そうなんですか? 南側のほうがお金持ちが住んでるような」
「そ! 後から来たぁ新参モンが、それを知らずに豪華な屋敷を立てちまっただべ。ぼっこぼこの土地のままな。南は、戦争があった時代の名残で、でっけえお役所なんかはあるわけよ。でンも、それも仮住まいなんだわ」
「役所も仮住まい……あんなに立派なのに」
「『カラーカ・ヴァゴン』は知っちょっかい? ありゃーきっちり水平に作ってあんだべ。でっけえ橋がいっぺー線路にかかっちょるけど、橋がいっさいない状態が、本来の理想なんだなこれが」
紅葉は静かに拝聴していた。
脳の片隅に、数日前の記憶がよみがえる。
トレモロ図書館の地下にあったゴブレッティの秘密の設計図——
タイトルは【Noah】
「んで、こりゃいかん! ちゅうことになって、大富豪キアーヌシュが発起人となって、南側の大開発をすることになっちゃわけよ。南も丁寧に土を盛って、ボコボコを均して、北とおんなし標高にするのさ」
「標高も?……それってすごいお金がかかるんじゃ……」
紅葉は疑問に思った。南北で標高が違う居住地などたくさんあるのに、わざわざ均等にする必要はあるのだろうか?
「ま、高さが違えと、不便なことも多いっぺな。この先、何百年、何千年とココに住むにゃあ、そろそろやったほうがいいのかもしらん。ただし! 金のアテがなかったら、誰もやらんだろうっぺ。大金を出してくれる奴がいるから、始まっちゃっちゃ」
金の出どころ、それが——
「それが『ノアの大工事』だ。だが奴が死んだことで、計画が止まるかもしれんな」
紅葉とベゴ爺さんの後ろに、水道屋のツナギを着た、60代くらいの男性がいつのまにか立っていた。
ベゴ爺さんと同じく森狐族……灰色まじりの赤い髪に無精ヒゲ、汚らしい服装のわりには品があり、若い頃はそこそこモテたであろう風貌だ。
顔のシワは深く刻まれていたものの、瞳だけは若者のように美しい、鮮やかなエメラルド色をしていた。
「はーっ……」
ショーンは深呼吸し、大富豪キアーヌシュ・ラフマニーの遺体を拡大した。
服装はしわくちゃなセーターに布ズボン、外着というより部屋着に近い。靴は履いておらず、靴下のみだ。腰猿族に尻尾はなく、尻尾のように長い指は、左右でだらりと垂れている。
上を見よう。どこのご家庭にもある麻のロープが、皺だらけの太い首にかかっている。顔は……苦しみもなく、痛みもなく、苦悩から解放され、眠るような顔をしていた。
(指にも首にも、搔きむしった跡がない。首を吊った時、すでに意識がなかった……とか?)
顔を拡大すると、わずかに無精ヒゲが生えているのが確認できたが、老人の白髪毛のせいか、あまり目立たない濃さのひげだった。
「さっきから何を唸ってるんです、ショーンさん。糞づまりですか?」
横に座るロビー・マームが、慈悲深く声をかけてきた。
「違うって…!」
「んん!?」
不審に騒ぐショーン達を咎めようと、盗っ人警官が肩を怒らせたとたん、
《ゴーーーーン、ゴオオオオオオオオン!》
時計塔の鐘が鳴った。
「うわっ!」
「あらぁ~、この音色は15時のじゃないの。まったく、予定が8件も吹っ飛んじゃったわ」
《ゴゴゴゴオオオン、ガガゴゴオオン!》
よりにもよって、昼15時は激しい曲調のようだ。午後に働く意欲を盛り上げるためだろうか。
時計塔内で聞く鐘の音は、耳栓が欲しいくらい大音量で……慣れている秘書キューカンバーを除き、一同は(盗っ人警官すらも)必死で耳をふさいで歯を食いしばり、豪音が去るのを待っていた。
「キューカンバーさーん、時計塔の『守り人』って、毎時間こんな大音量を聴いてるんですかぁー!?」
「やっだ、まさか♡ 3層と1層はまだマシよぉ。ぶあつーい床になっているもの。こんなとこ人が住めるはずないじゃなぁーい!」
《ゴゴゴゴオオオン、ゴゴゴオオン、》
「まあ、アタシとご主人は慣れちゃってるだけで~、初心者さんにはけっこうウルサイみたいね♡」
「こら……、そこっ……私語は慎むように……!」
盗っ人警官の民族——雲銀狼族は、民族の中でもとりわけ耳が良い。
土栗鼠族のロビーや羊猿族のショーンよりも、遥かにダメージを負ったようで、偉そうな態度をとれず腰砕けのまま、口頭注意だけに留まった。
《ゴゴゴ、ゴン、オン!》
(……あれ?)
鐘の音から解放されたショーンは、ふと、ちくりと心臓を刺すような違和感を覚えた。
(キューカンバーさんって、ご主人を亡くしてるんだよな。だいぶケロッとしているような……)
今日の午前11時に、初めて出会ったときの大富豪秘書キューイ・キューカンバーは、キアーヌシュを本物の祖父のように慕っているかに思えたが……
今この場にいる秘書は、ビューティーサロンの待合室にいるかのような、気だるげで能天気な様子だった。あくまで仕事先の上司というだけで、そこまで情は無いのだろうか?
(いや、人嫌いだった大富豪が唯一、気を許してた人物だ……きっと何かあるはず!)
どういう経緯で雇われたのか、普段はどんな会話をするのか、事件直前の様子はどうだったのか、キューカンバーに聞きたいことが山ほどある。
せっかく隣に座っているんだし、なんとか耳打ちできないか、ショーンは手を口元へよじらせたが……警官にジロッと睨まれ、膝に戻した。
(くそっ、捜査できないのが、こんなに動きづらいだなんて!)
サウザスでも、トレモロでも、ショーンは警察に請われて捜査する立場だった。ノアでは、目の前で事件が起きたというのに、動けないどころか、疑われてしまっている!
深いもどかしみと苛立ちが、全身を炎のように焼いて包んだ。
フランシス統括長に頼めば、特別に便宜を図ってもらえるだろうか。——いや、プライドの高そうなノア警察のことだ。金持ちも多いだろうし、州政府の要請なんて聞かないだろう。
(どうすればいい!)
一瞬、失神呪文をかけてやろうかと、禁悪の考えが浮かんだが……
「こらー、入っちゃいかん!」
「一体なんだって玄関の警備員は通しちまったんだっ?」
「フッ……大声を出すなよ、時計塔内は【リビチスの神】が住まう空間だぜ」
何者かが、下にいた警官たちと揉めながら、カツンカツンと螺旋階段を上ってきた。
「大時計盤が0.25秒遅れてる。今日中に直さなきゃなんねえよ、じゃなきゃノア都市民に重大な影響をオヨボスってね……」
ショーンはしばし捜査を忘れ、上がってくる人物に注目した。
軽快に階段を上がってきたのは、背の高いツナギ姿の爺さんだった。浅黒い肌に、白髪の無精ヒゲ、ゴーグルをかけているので顔は分からないが、妙に両腕が膨らんでいる。
「よっ。捜査中のとこ、失礼するぜい。大じょーぶ、『守り人』の部屋にゃー行かねえよ」
瞳にゴーグルをかけたまま、にししっと若者のように笑っている。
一介の時計整備士のはずなのに、妙に大物のような魅力を振りまいている爺さんだった。




