6 アイドルのラジオを、時計塔にて
3月27日銀曜日、午前12時になった。
「……く、……く、くっ……」
紅葉は自分のトランシーバーまで指を動かし、なんとかダイヤルをつけた。
「は……はっ……」
『みなさーん、こんにちは、こんばんは。
みんなのアイドル、デッカ〜です!』
『デッカーのギャリバー・レイディオ、今週も始まりました。
お相手はあなたの妖精、マリーと』
『あなたの助手席、デリカがお送りしまーす♪
今週は帝都からドライブ、ゴーゴー……』
周囲に建物がないせいか、いつものラジオ音声よりクリアに聞こえた。
「お? ラジオじゃねーか。よく聴くのか?」
「う……ん、……酒場にいる頃は……毎週きいてた。旅に出てから、聞くのは……はじめて」
「へー、喋ってんのは有名なひと?」
「うん……知らない? デッカー、……わたしのアイドルなの」
『というわけで、来月発表のギャリバーの新車種、気になるわよね?』
『お買い物用ギャリバー、【カルゴ】を、もぉ〜っとキュートで小っちゃくしたの! なのに収納力は1.5倍‼︎』
「へぇ〜、顔は知らないけど、キレーな声だなぁー」
ノアは、お昼の鮭トマト缶をあけ、クラッカーを浸して食べ始めた。紅葉の口にもクラッカーを挟んでくれた。
紅葉はトマトの汁をゆっくり吸いながら、束の間の天国を味わっていた。
「——ランチの後って何時ぐらいからだと思う? ロビー」
「さあて、一般的には2時過ぎくらいでしょう」
「いま昼の1時か……ちょっと早く来すぎたよね。……蜂の巣にされないかな?」
「はっはっは」
ロビー・マームのから笑いが、時計塔前の広場に響いた。
そのへんにいた販売ワゴンから、ポップコーンの豆苗サラダクレープを購入し、ベンチで男2人、わびしいランチを摂取していた。
目の前には、ルオーヌ州のポントワ・ローラ山よりも遥か高く感じる、時計塔がそびえ立っている。
塔の警備兵は相変わらず、氷山の彫像のごとく守護しており、遠くのビルの見えぬ窓には、蜘蛛の如き狙撃手が見張っているのだろう。
「はあ、なんでキューカンバーはちゃんと時間を指定してくれなかったんだろ。ずっと待ってたら、どんどん不審者になるじゃないか」
「ま、当人もいつ戻れるか分からないんでしょ。だからこっちも待つしかないんですよ。待つのも仕事ですよ」
「うう……」
ショーンは社会人の辛さをその身に感じ、コショウ味のポップコーンをザリザリ齧った。
隣のベンチでは、若い兄ちゃんがターキーコーラを飲みながら、爆音でラジオを掛け、体を揺らしている。
「あれ? デッカーのラジオじゃないか……この時間にやってるのか」
やることもないので、横目で聴いてみた。
『さあ、新車に合わせて、こっちも新曲だしちゃうよーっ』
『新曲は1月ぶりです。1月は冬の恋愛がテーマだったけど、今は3月、ショッピングを楽しむ春らしい曲よ』
『そうなの! ルドモンド大陸のいろんな所に買い物いくんだよ。各地の楽器もたっくさん使ってるんだ〜!』
『リスナーのみんな、お住まいの地域の音が聴こえてこないか、耳をすませてみてね。それでは聞いてください。【小さな街角をめぐって】』
デッカーの新曲が始まった。紅葉は目を閉じ、うっとりと曲に聴き入った。
アップテンポなリズムに、デリカとマリーの歌が乗り、各州さまざまな楽器が複雑に絡んで、オルタナティブな歌となる。
低音のドラムが響くごとに、痛みがどんどん引いていく気がした。
「へぇー、よく分かんね〜けど、おもしれー曲だなー」
ノアは椅子にもたれて、ニコニコ聴いていたが……
「おっと、そろそろ出勤しねーと! じゃ、好きなだけ居ていいから、じゃーな!」
ザブンと、おもむろに余った水をモップに全てかけ、
「——えっ」
水濡れのモップを担いだノアが、ベランダから急に姿を消した。
「ウソでしょ!」
身を斬るような痛みも忘れ、紅葉はベッドから飛び出し、ノアの落下の軌跡を追った。
この高層アパートは、天空から地面にかけて裾が広がる、緩やかな傾斜の壁となっている。
ノアは、モップの上に乗り、滑走していた。
「ヒャッホーーーゥ♪」
自身のペンギンの脚ヒレでコントロールし、氷山を滑走するかのごとく、アパートの壁を滑り降りていた。
「ウソっ、な、なんでアレで無事なの⁉︎」
紅葉はベランダから乗り上げ、小さくなっていくノアの全身を注視した。
どうやら、ペンギン族がもつ腕ヒレをグッと伸ばし、風の抵抗を受け止め、本来なら死路へ突入するようなスピードを、かなり抑制できているようだった。
「ノアの鳥民族って……ほんと、変な人ばっかり」
「ハロー♡ あらやだ、そこに居たのね!」
九官鳥族の大富豪秘書、キューイ・キューカンバーは、時計塔前のベンチでたたずむショーンらを見つけ、声掛けしてきた。
「キューカンバーさん! ずいぶんお早いお帰りで……」
「ええ、毎日しょっちゅう戻るのよ〜。1日に30回戻ったこともあるわ! んもう、靴の裏がベロベロになっちゃうんだからっ」
めっ、とキューカンバーが黒スーツの腰を、キュッとくねらせた。
時刻は昼の1時7分。
ランチの後の訪問としては、少々はやい時間な気もする。
「あの……本当にキアーヌシュさんにお会いできるんでしょうか?」
ショーンはまだ夢を見ているようだった。これだけ対人拒否を続けていた老人が、【アルバ】だからってあっさり会合を許すなんて信じられない。
訝しげに質問すると、キューカンバーからは意外な返事が返ってきた。
「もっちろんよー、あのね、ご主人は夢見る青少年が大好きなの! ま〜みんな好きだけどね♡」
「へ——夢?」
「そう! 夢を追っかけて熱くなってる男の子がだいっすきなのよ〜。セイシュンってやーつ♡」
「それは…………ソフラバー3兄弟のように、ですか?」
自分がそう見られているなんて想いもよらなかった。
(それは違う。なんか違うぞ、それは……)
もちろん、ギャリバーの発明家という偉大な3兄弟と比類されたからではない。
なにか、厭な、強烈な違和感を感じてしまったが、キューカンバー本人にはとても異を唱えられなかったし、ショーン自身もうまく意見をまとめられなかった。
「はぁーい、通して頂戴、お客よ〜ん♡」
立ち話もそこそこに、秘書キューカンバーは、大富豪キアーヌシュが住む時計塔へと入っていった。
警備員はギョッとした目で、何年ぶりかの客を凝視していたが……すぐに気を取り直し、ショーン・ターナーとロビー・マームに州名簿の証明書を提示させ、武器の不携帯を確認すべく、鞄の中身をチェックし、服の上から身体検査した。
「訪問理由は?」
「おしゃべりよん♡」
「いつまでご滞在ですか?」
「さぁー、それはアタシには分からないわ。ご主人次第よね」
「……、どうぞ」
警備員たちが引き潮のように離れ、なんとか道を通された。
重い時計塔の扉が開く。
「さ♡ こっちきて」
時計塔の内部は——思ったより綺麗な空間だった。
絨毯こそ敷かれてなかったものの、あちこちに淡いランプが灯り、手すりは磨かれ、すべすべと握りやすい形状をしている。しかし調度品らしい調度品なぞなく、事務的なテーブル椅子に、キャビネットや木箱など、荷物置き場としての機能のみ……。
選ばれし『守り人』たる偉人が住み、居心地よく過ごせる空間とはとうてい言えなかった。
「けっこー歩くわよ〜。もうホント毎回しんどいったら。ピューッと飛んできたいわ。あらヤダ、あたしってば翼があるじゃなーい♡ やだー飛べたんだった♡」
キューカンバーはテヘッと、可愛らしい小芝居をしてみせた。
円柱塔の壁に沿って、巨大な螺旋階段になっていた。
上の部屋まで、がらんどうな吹き抜けを、4階分ほどの高さを延々と登っていく。
階段の壁には、時計塔の横断図面や設計図、古き時代の全体風景画などが額縁に飾られいた。
「さ、入って♡ ここは時計塔の機関部よ〜」
ショーンはゴクリと喉を鳴らし、大富豪キアーヌシュに逢うための心づもりをした。
が、吹き抜けの内部は……巨大な時計の歯車たちが、刻々と動いているだけだった。
「ほほう、中はこうなっていたんですか。いやー、興味深い」
9階ほどの高さに、四方角にある時計盤がゆっくりと、町民に向けて時を刻んでいる。それぞれの盤は、中央にある心臓機構と繋がっており、(4つの大時計盤を制御するにしては意外と小さく、蒸気機関車のエンジンと同程度の大きさだと、ショーンは思った)
心臓機構からは、長い鋼鉄の細糸が垂れ下がり、糸の先には、フオンフオンと、床板スレスレの位置で、真円球が揺れていた。
「うわ……時の神リビチスを感じますね」
円球は、吹き抜けの空楼のなかで、誰かに決められたかのように、一定の角度を移動しつつ揺れている……。
「んもう、あとでジックリ見てちょうだいっ、ご主人はもっと上にいるわよ〜」
ここは5階から9階にあたる高さのようだ。
壁には歴代の『守り人』だろう。偉人の肖像画が掛けられている。
政治家、物理学者、小説家、天文学者……
本当に古い人物については肖像画すらなく、本の挿絵のような版画絵が掛かっていた。
「さー、ようやく会えるわよ〜! ごっしゅじーん♡」
いよいよ大富豪キアーヌシュ・ラフマニーに会える。
聞きたいことは色々あった。
ゴブレッティの秘密の設計図『Noah』
それはノアの大工事に関係があるのか、
盗みを指示した犯人ラン・ブッシュと繋がりは、
Faustusの組織の一員なのか、
なぜノアに来たのか、なぜ時計塔に引き篭もるのか、
なぜショーンとの面会を許可したのか——
なぜなぜなぜ、
ショーンは部屋を見回した。
しかし彼の姿は見当たらなかった。なんとなく上を見た。
天井から縄が吊るされ、老人の身体がぶら下がっていた。
壁は本棚で埋め尽くされ、
ぽつんと部屋の中央に置かれた丸テーブルには、
陽気なラジオが流れていた。
『デッカーのギャリバー・レイディオ、今週もいよいよお別れ。
お相手はあなたの妖精、マリーと』
『あなたの助手席、デリカがお送りしました。じゃ〜ねー♪』




