3 赤いアザミと白きニワトコ
3月24日風曜日、お腹が空いてきた昼11時40分。
トレモロ病院の廊下では、土鼠族のカトラリーメイドがランチを配膳しはじめていたが、水豚族の看護師に、エミリアの病室だけは止められた。
「左にいる、その子はね……フェアニスリーリーリッチ。ルオーヌ州の出身で、12歳のときにラヴァ州に越してきたの。ただの友達よ」
「フェアニッ……んあっ?」
ショーンは復唱しきる前に舌を噛みそうになった。
「ふー……アタシたちとは寮で同室だったの。組織のことは何も知らないと思う……いい子よ、多少うるさいけどね」
童顔で丸い顔、生意気そうな目、笑いだしそうな唇と、いかにも小悪魔っぽい女の子だ。
「今はノアで就職活動中……最初から警官にはならなかったの。……というより警察学校を、途中で退学処分になって……前まで大富豪の側近警護をしてたんだけど、最近そこもクビになって……」
「退学? クビ? なんでそんな問題児なんだよ」
「……会ってみれば、分かるわ」
ショーンは急に、フェアニスリーリーリッチのことが気になり始めてしまった。
「ルオーヌ州の子か……色々聞いてみたいな、行ったことないし」
現在、ルオーヌ州絡みで気になることは2点。
まずは、マドカのこと。マドカはルオーヌ州出身で、現在ファンロン州に潜伏中だ。10月にルオーヌにある有名観光地レストラン『La cascade et la falaise.《ラ・カスケード・エ・ラ・フレーズ》』で待ち合わせしている。
そして、今日キキーラから聞いた、連絡の取れない木炭集落のこと。集落はラヴァ州一番西の森……グレキス地区とルオーヌ州の境にあって、族長の名前はサルーカ。
いったいルオーヌ州で何が起きているんだろうか……
「あれ——イシュマシュクルさんも、確かルオーヌ出身じゃなかったっけ? 彼に聞けば早いんじゃない」
壁にめりこむ紅葉が喋った。
「あー。そういや、そうだっけ……」
確かに彼も出身はルオーヌだった。が、変な自慢話を延々と聞かされそうだ。
「そうだ、イシュマシュクル‼︎ アイツってば、先代のボラリスファスの遺産をひそかに押収して食いつぶしてたのよ。本来はトレモロ町庫に入るはずのものなのに、税金だって払ってないわ!」
「なにっ!?」
地下倉庫の鍵を盗むべく、彼の身辺を入念に調べあげていたエミリア刑事は、トレモロに眠る新事実を告げた。
「あの金ピカ空間……やっぱ、古書販売だけで稼いだものじゃなかったのか!」
「ウソでしょ、その遺産って神殿に置きっぱなし? 燃えちゃったのかな」
「いや、イゴ金塊だったら燃えずにまだ残ってるかも!」
紅葉とショーンは、思わぬ大金の匂いに盛り上がった。
治療中の赤いアザミの光の棘が、はしゃぐ2人の影で、キラキラと天井に反射している。
「……あいつの遺産の原資は、ゴブレッティ家の財産よ。オリバー設計士……ロイ・ゴブレッティに伝えておいて、ショーン……さ……ま」
興奮する彼らの横で、静かにエミリアは目を閉じ、眠りの森へと入っていった。
3月24日風曜日、ランチの時間を終えた昼1時15分。
【白き接骨木が、代わりに仰臥す。《シュロー・ノワ》】
メディゴダイバの10の治癒呪文の1番目、骨折治癒呪文 《シュロー・ノワ》が、ヴィーナス町長の両脚に施された。エルダーフラワーの白い花の房が、彼女の足にひれ伏すように埋もれて光った。
「まあ! なんてステキな呪文なの!」
「すぐに完治とはいきませんが、かなり治りが速くなります。痛みも軽減されているかと」
「本当にありがたいわ! 怪我した時って、何より痛みが問題なのよね。痛みさえ無ければ大半の不便は我慢できるものよ。さすがはアルバ様だわ、医者いらずじゃないかしら?」
「いえまさか……お医者さんのほうが知識もあるし、頼りになりますよ」
ショーンは謙遜ではなく、本心からそう答えた。
治癒呪文の基本にして最高峰『メディゴダイバの10の治癒呪文』でさえ、大量のマナを消費するため、今まで思ったように使えてなかった。
サウザスで治癒師をやっていた頃は、一番消費が少ない3番目の創傷治癒呪文 《ミル・フイユ》を、ここぞとばかりに大仰にやって見せていたものだ。
前回コリン駅長に殺されかけ、今回もエミリア刑事に殺されかけたことで、また一段階マナの保有量が上がってしまった。
(こんなに、一日に何発も唱えられる日がくるなんて……)
幾度も死線をくぐり抜けたことの恐ろしさと、しかし【帝国調査隊】として確実に成長しているのを感じ、アルバ統括長フランシスから賜った一等星のバッジをチラリと見つめた。
「あらそんな顔しないで、ショーン様。入院生活って退屈なの。なにか面白い話はあるかしら?」
「ええ。ヴィーナス町長、とある人物からのタレコミなんですが……」
エミリア刑事の名前を出さず、新旧の神官長らのカネの出どころの話を告げた。
「イシュマシュクル……はあ、そういうことだったのね。なにか稼ぎの手段があるなとは思ってたのよ。ボラリスファスの遺産は、故郷のルオーヌ州に寄贈されたってハナシだったけど、彼がルオーヌ州そのものだったとは……まったく彼の私財から神殿を復興させようかしら——あら、ロイ!」
オリバー設計士、いやロイ・ゴブレッティが、たくさんのお菓子にお茶に酒、服が入った紙袋をもって、ヴィーナスの病室へお見舞いにやってきた。——が、
「し、失礼……っ」
「待ってください。あなたにも聞いてもらいたいことがっ!」
逃げるように帰ろうとした彼を引き留め、先ほどの話を聞かせた。
時刻は午後2時。病室には庭リンゴ茶と、ローズリキュールの甘酸っぱい香りが漂っている。
ショーンとロイは、華奢なティーカップで庭リンゴ茶をたしなみ、骨折中の病人ヴィーナスは、ローズリキュールのカクテルを、ジョッキでグビグビ飲んでいた。
「ははあ……なるほど……そうでしたか、神官長が……」
「ええ。もし遺産が残っていれば、ゴブレッティ家の復興もできるかもしれませんよ」
「復興……といっても、屋敷なんてもう要りませんし……ぼくもあそこへ住みたくはないので……」
「そうねぇ。ライラック夫人があの土地に住み始めちゃったからねえ〜」
ヴィーナスは軽く酔いはじめてきた。語尾が綿あめのようにフワフワしている。
「そうだわ! 木工所のアルバート社長に、あなたが住むっていって豪華な屋敷を建てさせるのよ! アルバート君なら喜んでお金をだすわよ~! そこへライラック夫人と子供たちを住まわすの。あなたはウチの屋敷に引っ越せばいいわ。どうかしらっ、ふふふふふ」
恐ろしい計画を立てはじめたヴィーナスをいなすように、ロイは『ジョンブリアン菓子店』の黄金マカロンを彼女に差しだし、ショーンのほうへ向き直った。
「わ……話題を変えましょう、アルバ様。そうだ……神殿には何があったんですか。なぜおふたりは煙突の下に?」
「え、ええっとーぉ」
エミリア刑事は、イシュマシュクルを怪しみ、身辺調査をしていた。彼女は神殿の『隠し部屋』である、旧神官長ボラリスファスのサウナ室の存在を突き止めていた。事件の手がかりがあるかもしれないと、アルバであるショーンを伴って入室。しかし、サウナ室は老朽化しており、出られないまま火災が発生。神殿は崩落してしまった——
「——という経緯があったんですよ。あ、もちろん、神殿の『隠し部屋』には何もありませんでした。真の探しものは図書館の『隠し部屋』にあり、紅葉やマチルダ、ロイさん達が見つけて下さったのはご存知の通りです。……へへへ」
ショーンは早口気味に、警察や新聞社にしたのと同じ説明を繰り返した。
庭リンゴ茶しか飲んでないのに、ヴィーナス町長くらい頬が真っ赤になっていたが、
「そうですか……災難でしたね」
と青白い顔のロイは納得し、ねぎらいまでしてくれた。
「まーったく、エミリアったら、温泉施設の『ボルケーノ』にまで忍び込んでたそうじゃない。アンナから聞いた時は、どんな悪いことをしでかしたのか心配しちゃったわ。ちゃーんと捜査のためだったのね」
「ええ、もちろん……エミリアさんはリッパに武勲を立てましたので!」
他人とはいえ、母親に嘘をつくのは苦しい。
ショーンは両手の震えを、膝をギュッと掴んでおさえた。
「それにしても、図書館にあった『設計図』の盗難犯は誰だったのかしらねー……」
「そ、れ、は! 犯人はノアの大富豪キアーヌシュ・ラフマニーですから!! 彼を辿れば分かるかと思います!」
「そういえば、テオドールくんとメリーシープさんを部屋に閉じ込めたのは誰が……」
「そ、れ、も! キアーヌシュを問い詰めて吐き出させますッ!!」
ショーンの背中に、溶岩流のような滝汗が流れた。
2人の娘・エミリアの犯罪を隠蔽した——
とんでもない秘密を背負ってしまったかもしれない。
ロイ・ゴブレッティとヴィーナス町長は、急に険しい顔になり、ショーンに詰め寄った。
「アルバ様、ぼくは——」
「ショーン様、あなた——」
「ぼぼぼ、僕は近いうちにノアに出立します! ヴィーナス町長は、紹介状をどうかアルバ統括長に送って頂けないでしょうかっ。何か見つかりましたら、その時にまたご報告しますので! では、あとはおふたりでっ」
ショーンは、己の傷をかばいながらも、イタチのように素早く病室から出て行った。
「……ぼくは、昔の先祖の『設計図』が盗まれてもかまいません……。それより……」
「……ええ、大富豪キアーヌシュなんて追わなくてもいいのにね……。田舎町のトレモロとは違う。危険だと思うわ」
疲れた中年の町長と設計士は、血気盛んな青年魔術師の身を案じつつ、白きニワトコの光とともに、2人で顔を見合わせた。




