6 10年前の事件
──とっとッとっと。
白い柔らかな皮の靴を打ち鳴らし、ショーンは、サウザス病院の廊下で、集中治療室に籠もる両親を待っていた。
病院の黒い廊下は不気味だったが、誕生日に買ってもらった【星の魔術大綱】が傍にあるから怖くはない。
本を膝に乗せ、廊下のベンチに座り、脚をふらふらさせていた。
あの子が駅で見つかってから、一週間が経とうとしている。
「学校は終わったのかね、ショーン」
出勤してきた院長のヴィクトルが、廊下にいるショーンに話しかけてきた。
「ヴィクトル先生、うん、宿題もさっき終わったよ」
「毎日ここに居なくても大丈夫だ。治療が終わったら連絡する」
「治療って、いつ終わるのさ」
「分からない。ご両親と患者次第だ」
ショーンは、事件が起きてから毎日、ここで親の帰りを待っていた。両親はほとんど眠らず、立ち尽くしで治療を続けているらしい。
「こっちに来なさい」
それを知ったヴィクトルは、自分が出勤したら、彼を書斎で待つようにさせていた。お茶を毎日、銘柄を変えて出してくれる。今日はファンロンの緑山茶だ。
「ねえ、父さんと母さん、ずっと寝てないって。寝なくて大丈夫なの?」
「ここを見なさい」
ヴィクトルは、ショーンの【星の魔術大綱】のページをめくって《急速回復呪文》の項目を指差した。
「ご両親は、これらの魔法を使っているはずだ」
指し示したページには、《一分で1時間分の睡眠を取る呪文》《眠る代わりに体力を回復する呪文》などが書かれている。どれも、それなりにマナを消費する。
「あの子の治療ですごいマナを使ってるはずなのに、これもだいぶマナを使うね」
「アルバのマナは莫大だと聞く……だが、ご両親のマナは、その上のスーアルバに匹敵する量かもしれない」
「……スーアルバ……?」
ショーンは、アルバでないはずのヴィクトルが、妙にアルバの事情に詳しい事に、ここ数日の間に気づいていた。一昨日この書斎の本棚に、これと同じ本があるのを見つけたのだ。
「ヴィクトル先生も、アルバを目指していたの?」
「…………さてね」
では、診療を始めよう。
と、院長はツイードのジャケットを脱いで白衣を着込んだ。君はその辺の本でも読んでいたまえと言い残し、診療室に入ってしまった。
ショーンは緑山茶を飲みつつ、自分の【星の魔術大綱】に目を落とし、また脚をふらふらさせた。
──ダン、タン、タッタタン!
紅葉が楽しそうに太鼓を叩いている。
ショーンは、当時の情景を思い出しながら、バーカウンターでコリンの隣に座り、太鼓を叩く紅葉を一緒に見ていた。紅葉はリズミカルにバチを動かし、見事なセッションを披露している。
今日は火曜日。客もまばらな酒場の中で、甘酸っぱい杏桃茶の香りが、彼らの周りを取り巻いていた。
コリン駅長は、数曲聴いて、満足した様子で帰っていった。ショーンも早めに部屋へ戻り、爽やかな疲労のまま暖かいベッドへ潜りこんだ。遠くで太鼓の音を聞きながら、眠りに落ちる瞬間は至高の幸福だった。
翌日、
サウザス現町長、オーガスタス・リッチモンドが姿を消し、
彼の立派な金の尻尾が、サウザス駅の梁に、
吊り下がっていたと、報せが入った。