6 ルドモンドで結婚したいなら
「ロイ・ゴブレッティ……22年前に亡くなった一人息子……ヴィーナスさんと同い年ですか?」
「そうよ。もし生きていれば43歳」
「僕と同じ背丈の?」
「そんなの知らないわ、署に戻れば記録はあるんじゃない」
風船ガムをぷくーっと膨らませ、パン! と鳴らした。
「なぜエミリアさんは、彼が父親だとご存知なんですか?」
「母からは『自分と同い年』で『私たちを産む前に亡くなった』と聞いてるわ。該当する崖牛族はロイ・ゴブレッティしかいない。警官になったとき、当時の死亡記録を調べたのよ」
まあ、もしトレモロ町民じゃないならお手上げだけどね、と両手を振った。
「アンナさんは違う人物を父親だと思っています。ロイのことは教えてあげたんですか?」
「言ったわよ何度も。アイツ聞きやしないんだもの! 信じないのよ、誰の言うこともね!」
「…………」
『——ですので私、人の言うことは信じていません』
まさか外野だけでなく、実妹のエミリアすら信じてなかったとは。
ショーンは頭を抱えた。出会ったばかりの自分のことは信頼するのか?
(いったい何で……僕がアルバだから? ……嘘だろ……)
しばらくその場で待ってみたものの、結局アンナの姿は戻らず、しかたなくゴブレッティ邸の跡地を離れて、警察署へと足を進めた。
「でもさ、ロイ・ゴブレッティって人が父親なのは、かなり信憑性が高くない? 同じ崖牛族だし、町の創始家同士だし」
紅葉が風に髪を揺らして、ショーンに耳打ちしてきた。
「そうだね、話を聞くかぎりだと……」
オリバー設計士よりかはそれっぽい。
……でも実際オリバーと喋ってみて、ヴィーナス町長の名前を出した時の、あの動揺っぷりが気になる。
「フン! アンナは信じたくないんでしょ、シチューを喉に詰まらせて死んだヤツが父親なんて」
「シチューって、ロイの死因が?……そうなんだ」
アルバート社長いわく、前町長グレゴリーが一族を死に追いやったという話だったが……それが死因なら、警察から小馬鹿にされても仕方ない……のか?
コツコツコツコツ。
いつも早足なエミリア刑事の、足がさらに速くなる。
「ま、母の言うことが丸っきりウソの可能性も捨てきれないわ。亡くなったロイを父親だと匂わせて、本命は今ものうのうと何処かで暮らしてるのかも」
「じゃあ、アンナさんもそれを知って……?」
ショーンと紅葉は、もはや駆け足で彼女に付いて行った。
「知らない、アンナ本人に聞いてよ。あと、これもついでに伝えておいて」
警察署の入り口に着いた。
エミリア刑事はキッと立ち止まり、今まで肌蹴ていた警官服の襟をいったん正す。左肩に描かれた大きなベル——ワンダーベルの刺青をも覆い隠した。
そして、振り返ってショーンと紅葉に伝えた。
「——本当の父親なんか知っても、ロクな結果にならない。ってね」
ここでいったん、ルドモンド大陸の結婚制度について説明しよう。
ルドモンドの神様で、結婚を司る神は銀曜日——【銀の神 バッソ・カルロ】である。
【銀の神 バッソ・カルロ】とは、愛と恋と性愛を司る、美と香りの神様だ。右手に銀器をもち、左手に香油の壺をもつ、筋骨隆々の美青年だ。結婚を祝福し、民の恋路を応援し、美しさと香しさを表す神でもある。彼の持つ銀器は愛の証であり、恋の呪いであり、性愛の道具にもなる。
結婚は、州によって風習や制度が異なるが、ラヴァ州では、居住地の役所に結婚届を提出することで成立する。提出日は銀曜日が一番いいだろう。届けた後は、そのまま神殿で式を執り行うのが一般的だ。
御両名は神殿に行き、銀の神へ祈りを捧げ、結婚の証となる銀器を互いに贈り合い、神と皆々から祝福を受ける儀式を行う。これを『婚礼縁典 (シルバー・カルトゥーシュ)』と呼ぶ。
『婚礼縁典』で贈り合う銀器は、スプーン、お皿、ポットなどの食器類、あるいは指輪、首輪、ブローチなどのアクセサリーが一般的だが、最近は科学技術の発展にともない、懐中時計やオルゴールも人気がある。
銀器なら何でもいいが、ちゃんと身の丈にあった物を選ぼう。昔のとある金持ちは、新妻そっくりに作らせた等身大の銀箔人形を持ちこみ、儀式の最中つまずいて首がもげてしまったそうだ。
また銀製品を用意できない貧乏人は、銀色に塗ったものでもいい。刷毛とペンキは神官が貸してくれるので安心したまえ。
銀器は小まめに手入れをしないと、すぐにくすんでしまう。夫婦も小まめに愛し合いなさいという、ありがたい古の教えである。
神殿で『婚礼縁典』を終えた後は、親類縁者を呼びつけパーティを行おう。自宅で行うのもよいが、なるべく金持ちのお宅をお借りするのがいいだろう。新婚夫婦は銀色の正装服に身を包み、歌ったり踊ったりして結婚式の夜を楽しもう。
他にも家柄や民族によって細かなしきたりが異なるが、結婚のおおまかな流れは以上である。
ついでに、子供の作り方も説明しよう。
現在のラヴァ州の法律では、結婚はいかなる民族同士でも性別同士でも可能である。たとえ3人以上でひとつの夫婦だと主張しても、銀の神バッソ・カルロは等しく祝福してくれる。
しかし、子供を作るとなると話は別だ。同じ民族の男女からしか、子供を作ることはできない。たとえば崖牛族と岩牛族はよく似た牛の民族だが、両者の間に子供を成すことはできない。いかに愛し合い、神々に願おうともだ。
長い歴史を遡れば、異民族間で奇跡的に授かった事例はなくもない。だがいずれの赤子も奇形の姿で生まれ、ほどなくして亡くなったという。
異なる民族間で子供は作れないが、結婚はできる。これを『異種婚』と呼ぶ。
もっとも身近な『異種婚』は、酒場ラタ・タッタのオーナー夫妻だ。夫である土栗鼠族のニコラスと、妻である砂鼠族のルチアーノである。夫妻の間には子供はなく、その分ショーンや紅葉を、実子のように可愛がってきた。
異種婚は州によっては認めておらず、そのため別の州に越す者もいる。
もっとも、同種婚は同種婚でまた大変だ。少数民族だとなかなか相手が見つからず、かといって手近で婚姻をくりかえして、血縁関係が濃くなり過ぎてもよくない。
ルドモンド大陸各地にある結婚斡旋業者は、州をまたがって活動し、お見合い相手を見繕っては、今日も熱心に引きあわせている。
3月20日銀曜日、お昼の3時。
うららかな春の陽気は、少しの肌寒さを残している。恋人たちは楽しそうに腕をつないでトレモロ通りを歩いており、ショーンと紅葉はうす暗い警察署の刑事課デスクで、エミリアから書類を渡されていた。
「これがルクウィドの森の記録よ。ゴブレッティの話は後にして」
ゴブレッティの話をしたら殺すわよ、と言わんばかりの顔で、まとめた資料を渡してきた。
ショーンはよどんだ顔でページをぱらぱらめくった。
書類には、トレモロ2日目狩人たちの証言が一人ひとり書かれていた。荒唐無稽な証言に混じって、仮面の男らしき黒装束の鳥人間についての意見が纏められている。
次のページは、3日目の木こりたちの証言だった。ショーンが不在だった日だ。彼らの居住地近くで忽然と現れた、車輪跡について詳しく書かれている。
こういった情報こそ、喉から手が出るほど欲しかったはずなのに……
「…………どうしよう……」
ショーンの脳内は、もはやゴブレッティ家とヴィーナス町長、アンナにオリバー設計士、アルバート社長やライラック夫人のことで一杯だった。
州外に逃げて、追いかける事もままならない警護官や仮面の男よりも、自分を頼りにしてくれるトレモロの人たちのほうが、今は気になってしまう。
(……いやだめだ、相手は恐ろしい【Fsの組織】だぞ、もっと真剣に考えなきゃ。それに殺人犯のエミリオだって逃走してるし、ロナルド医師は……あいつ一体なんなんだ……)
「ショーン、どうしたの。頭が痛いの?」
紅葉が喋りかけてきた。別に頭痛がするわけではなかったが、これ以上なにも考えられず、こくんと頷いた。
「大丈夫だよ、私がよく読んで覚えておくからね」
資料は警察署から持ち出し禁止だ。紅葉は黒髪をかきあげ、真剣な顔をして読んでいる。
ショーンはこわばる肩を撫で下ろした。
どうも一人で抱え過ぎてしまったようだ。困ったら頼っていい。
紅葉はかけがえのない大事な仲間で、優秀なショーンの右手なのだから。




