4 ヴィーナスの頼みごと
第32代トレモロ町長、ヴィーナス・ワンダーベル。崖牛族、現在43歳。
前町長グレゴリーの4番目の子供であり、最初から期待された子ではなかった。しかし持ち前の明るさ、強引さ、闘志と意欲で、次期町長への期待を受けるようになる。
父グレゴリーの厳しい教育を受け、クレイト市の高等学校に進み、15歳から18歳まで政治学と帝王学をみっちり学んだ。卒業後は遠縁のラヴァ州議員の家に住みこみ、3年ほど勉強を続け、トレモロに戻ってきた。
帰郷後はトレモロ町議員として働き、22歳でアンナとエミリアの双子を産む。32歳で父グレゴリー死去にともない、町長に就任。毎日トレモロ町を歩きまわり、住民の話を聞き入り、町政に勤しんでいる。
娘たちもすくすく育った。双子の姉アンナは第2秘書として次期町長をめざし、妹エミリアはトレモロ警察で刑事として活躍している……。
「あたくしと家族の話はこんなものかしら。両親はどちらもデズ神のもとへ行ったわ。残りの兄弟たちも町を出て都会へ……今いるワンダーベル家は3人だけよ、でもトレモロはあたくしにとって家族と同じ。毎日とても楽しいわ」
「……充実した人生をお過ごしのようで、うらやましいです」
ショーンは滅多なことを言い出さないよう、慎重に言葉を選んだ。
「ふふふ、ひょっとして娘の父親のことが気になるかしら? あの子たちが生まれる前に亡くなったの。同い年だったわ……もう顔もおぼろげだけど、そうね。ショーンさんに少し似てるわね」
(あ——そうか、あの服ってもしかして……)
昨日貸してくれたお召し物は、その御方の服だったのだろうか。ピッタリな白銀色のローブ。ちょうどショーンと同じ背格好の……
「あたくしは歳をとっておばちゃんになっちゃったけど……記憶の中のあの人は、いつまでも若く繊細で可愛いまま…………失礼、人に話すハナシじゃないわね」
ヴィーナスは手首を振り、昔の思い出をもふり払った。
「そろそろ本題に入りましょう、ショーンさん。何か言いたい事があるはずよね? ——お互いに」
彼女のサロンの空気が変わる。さすが長年多くの住人と相対してきた町長は、ショーンの胸中など見透かしていた。
(ああもう、もっと報告できる事ができてからって言ったのに!)
トレモロ町長ヴィーナスにとって、話は早い方がいい。
時は3月19日の午前10時、ショーンは心の準備も取引材料も不足したまま、唾を飲みこみ本題に入った。
「実は【帝国調査隊】として活動するにあたって、ヴィーナス町長の紹介状が欲しいんです。アルバは通常、自分の州以外での呪文使用が禁じられていますが、何名か有力者による紹介状があれば許可が下りるんです。お願いします」
立場が変わったアルバ様は、必死に頭を下げて頼みこんだ。
「紹介状ね……それはもちろん、何がしかの武勲を立ててってことよね。まさか肩たたきで紹介状を発行してもイミないでしょう? ふふふ」
「ハハハ……さすが理解がはやくていらっしゃる」
ショーンは、何の色も塗られていない旗を振っている気分になった。
「そうねえ——解決したい問題はいっぱいあるのよ。いま町の人口が減って大変なことになってるの。特に木工所の人たちが次々にノア地区に移住してる。あちらのほうで大規模な工事が始まるみたい。優秀な職人だもの、金払いが良い方にいくのは当然よね……あら失礼、アルバ様にお頼みする問題じゃあないわよね」
氷河のような顔をしているショーンに、ヴィーナスは肩で一笑に付した。
彼女はしばし、コツコツと靴を鳴らして思案し……
「そうね、昨日の晩餐会でひとつ気になるものがあったの。『サウザスの秘宝』って何かしら。教えてもらえる?」
「えっ」
心臓がキュッと止まった気がした。
(な、なんで秘宝のことなんか……)
(まさか、ヴィーナス町長も組織の人間!?)
(いや待て、組織の人間なら秘宝の中身も知っているはず)
(そう、これは町長としての好奇心だ、多分……!)
ショーンは羊の心臓を抑えながら、自分の知っている事だけを話した。
「その『サウザスの秘宝』につきましては、僕もどんなものか知らないんです。例えば銅像なのか宝石なのか、そういった事さえ分かりません。サウザス創始者ブライアン・ハリーハウゼンの私物でして、長年、関係者の方々が大切に守ってきました。秘密裏にです。僕の家系はサウザスの出自ではないですし、今後も教えてもらえないと思います」
よし、これでいい……何も嘘はついていない。
現在『秘宝』は父スティーブンが所持しているが、自分たちがサウザス出身の家系でないのは事実だし、父も器を預かっただけで中身は知らない可能性がある。大丈夫、嘘はついてない。
「——なるほど、まあ『秘宝』ってそういうものよね」
ショーンの曇りなき真摯な眼差しを見て、ヴィーナスは納得してくれた。
「ショーンさん、こちらの『トレモロの秘宝』はね、この建物よ……いえ、この建物だけじゃない。ゴブレッティよ。ゴブレッティの設計した建物すべてなの。分かるかしら?」
「は——はい!」
トレモロに来てからたくさん見てきたゴブレッティ一族の建物。
温もりのあるウッドハウスのレイクウッド邸、あちこち湾曲したカラフルなワンダーベル邸、細木で雪原を表現したトレモロ役場、さらには石造りの白亜の建物・サウザス役場まで……素晴らしい意匠の数々だった。一家が断絶してしまったのが悔やまれる。
「そう『ゴブレッティの設計図』——それがトレモロの秘宝よ。原本はここの図書館の地下倉庫に収蔵されている。トレモロ到来以前から断絶に至るまで、ゴブレッティ一族が手がけた数百を超える建物の設計図が、大切に保管されてるの」
「図書館、ですか」
昨日晩餐会にいた胡散くさい男・イシュマシュクル。彼は図書館長を務めていたが、なにか関係が……?
「そして問題なのがここからよ、とある情報筋から聞いたの。『ゴブレッティの設計図』がクレイト市の闇ルートにいくつか出回っていると。もちろんイシュマシュクルに尋ねたわ、でもあの人が言うには設計図は一つも盗まれていないって。あたくしも地下倉庫に入ったけど、きちんと収蔵されてた……でも一つ一つケースを開けて確かめたわけじゃないの、何せ膨大な数があるから」
ゾクゾクと猿の尻尾が震える。寒気の中にわずかに混じる妙な熱さ、高揚感。
「どういうことか、ショーンさんは見当がつくかしら?」と、ヴィーナスが腕を組んで小首を傾げた。
「は、はい……えー考えられるのは、設計図が本当に盗まれているか、もしくは原本をコピーされたか、はたまた模造品が出回っているのか、情報筋の勘違いか……ですかね」
ショーンは指を折り、思いついた推理を告げた。スパイ映画のようで興味深くはあるが、まさか「解決しろ」だなんて言うんじゃないだろうな。ただでさえコッチはいろいろ抱えているのに……
「ショーンさん、これから木工所のアルバート社長とランチよね?」
真っ黄色な太陽の採光のもと、観葉植物あふれるサロンの中、女神のように微笑むヴィーナスは、夢のような光景に見えてきた。
「あたくしは、レイクウッド社の人間が『設計図』を盗んでいると思っているの。ノアの大工事に流すために——」




