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1 親方オスカー伝説

【Thor】トール


[意味]

・雷鳴と稲妻を司る、北欧神話の軍神。鉄槌「ミョルニル」を武器に持つ。


[補足]

トールは北欧神で最も力が強い、全知全能神オーディンの息子である。赤い髭を蓄え、若い戦士たちの指導者をしている。「ミョルニル」という鉄鎚を所持し、これを投げると雷鳴(thunder)が轟くとされる。ミョルニルによって轟いた雷鳴と稲妻は、風雨を呼びよせ、大地に肥沃をもたらす。映画『アベンジャーズ』の登場人物マイティ・ソーのモデル。





 鍛冶屋トールの玄関扉は、重厚なガラス板がはめ込まれている。1階は暗く静まりかえっていたが、店の右奥の螺旋階段から、階上の光が漏れているのが確認できた。

「お邪魔しまーす……」

 磨かれた木の床が、ギチッと鳴った。この店を訪れるのは数年前ぶりだ。品揃えは多少変化しているものの、内装は昔から変わっていない。

 壁のラックには、銀色に輝く刀剣たちが、刀身の鋭さを見せつけるように掛けられている。奥の棚には大剣や戦斧、長刀などが、兵舎の武器庫のようにズラリと並んでいる。

 どれも、刀身や柄に凝った装飾が施されており、実用には向いていない。

 子供の頃は、これら美術品のような武具を見たさに、よく遊びに来たものだ。


「リュカー、いるか?」

 螺旋階段の上に向かって、幼馴染へと声をかけた。

 暗がりの中、ディスプレイにぶつからないよう、ソロソロと慎重に歩く。

 ここの商品はどれも高級だが、部屋の中央に並ぶガラスケースには、“格別に” 高価な品々が収容してある。アラベスク文様が掘られた甲冑一式、海神を象った三叉槍、大きな棗椰子模様の円盾……などなど、1点ずつ大切に飾られている。鍛冶屋トールの親方、オスカーが腕を奮って作った特注品だ。ぶつかったら一大事だ。


「おう、ショーン。上がってこーい」

 2階から、リュカのマイペースな声が聴こえてきたが──

 ショーンは嫌な予感がして、店の真ん中で足を止めた。

「……ちょっと待てリュカ。何を作ってる」

 足を止めたのは、店の一番大きなガラスケースの目の前だ。

 10年前からここには【鋼鉄の大鎚】が飾られている。

 長い漆黒のアイアンハンマーは、子供の頃に見たときは、神様みたいに大きく感じたものだが……今はショーンと同じくらいの背丈になっていた。


挿絵(By みてみん)


「ショーン〜? 早く来いよ〜。新しいスープができたんだって」

 美術工芸の極みのような作品群とは、あまりに似つかわしくない激臭が漂ってきて、ショーンは足を止めたまま震え上がった。



 現在、激臭が漂っている『鍛冶屋トール』。

 古くから北大通りの中央にある、小さな3階建ての鍛冶屋である。黒いオークの建物で、1階が店、2階が工房とキッチン、3階は自宅となっている。

 創業当初から、装飾武具を売りにしており、記念品の刀剣や、展示用の甲冑などを製作していた。昔はごく普通の家族経営の工房だったのだが、今の親方になって事情は変わった。

 5代目店主、オスカー・マルクルンド。

 彼は今、ラヴァ州で最も腕が立つ装飾武具の職人である。

 その評判を聞きつけ、ラヴァ州内はもちろん、州外の資産家や軍人からも、注文が殺到している。


『初めてスプーンを手に持った日に、彫刻用の小刀を握りしめた』

 という伝説を持つオスカーは、幼い頃からその才能を存分に発揮し、家中のドアや椅子に、装飾文様を掘りつけたという。20歳を迎える頃には、サウザスでもいっぱしの装飾職人として知られるようになっていた。

 木に彫りつけるところから始まった装飾は、大人になるにつれ鉄に代わり、作品も徐々に大型化していき、鋼鉄の盾や甲冑を作るようになっていた。彼の作品は評判を呼び、年を追うごとにその名声はラヴァ州全土に広がり、中でも36歳の時に作られた【鋼鉄の大鎚】は、彼の最高傑作として、鍛冶屋の看板になっている。


 彼の最高傑作——【鋼鉄の大槌】。

 店名の由来である、神話の軍神トールが所持する鉄鎚「ミョルニル」にインスパイアされ、製作されたアイアンハンマーだ。

 ヘッドは緩やかなカーブを描く直方体で、長柄には細かな細工が彫られている。その意匠は、大胆かつ野性味にあふれ、細かな蔦の葉の装飾には、繊細な芸術性が垣間見える。

 この鉄が持つ美しさの粋を集めたような作品見たさに、店を訪れる金持ち客は数多い。いくら金を積まれようとも、これだけは頑として売らず、大切な家宝として扱われている。



 そんな天才肌のオスカーを支えるため、弟子職人はどんどん増えていき、店からほど近い北区の奥に、新たに第2工房が作られ、大量の注文に応えている。

 オスカーは現在、20人近く弟子を抱えているが、その中には彼の長男、リューカス・マルクルンド(愛称・リュカ)もいる。

 長男リュカはオスカーの血を引いて、手先が非常に器用なのだが……

「ショーン、珍しいな。仕事の帰りか?」

「ご、ゴホ……ぷ……リュカッ」

「どうだ、見ろよこのスープ。さっき買った香辛料で作ってみたんだ」

 なんせ鉄いじりにあまり興味がなく、キッチンでずっと賄い料理ばかり作っている。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ここまでを、拝読させていただきました。 緻密に組まれた設定、世界観がとても魅力的です。 そして文章がとても素晴らしく、頭の中に光景が浮かびますし人々の息遣いも感じます。(お料理が美味しそう…
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