孤立の理由
わたしはその日、民俗文化研究会のサークル室のドアの前で逡巡していた。そのドアの向こうにいるだろう鈴谷さんに、ちょっと相談したい事があったのだけど、そうするべきかどうかが分からなかったからだ。
まるで佐野君みたいだとわたしは思う。佐野君というのは鈴谷さんに惚れている男生徒で、彼女に会う口実がなくて、こんな風にサークル室の前で悩んでいる事があるのだ。
ところが、それで五分ほど迷っていると、突然、背後から声がかかったのだった。
「あら? 小牧さんじゃない。どうしたの?」
鈴谷さんだ。
わたしは思わずビクッと震えてしまう。
がしかし、何か言い訳をしようと考えていると彼女は「もしかしたら、私を待っていたの? 取り敢えず、入って。お茶も何も出ないけど」とあっさりとわたしをサークル室の中に招き入れてくれたのだった。
「実は、相談事があって……」
わたしがそう言うと、鈴谷さんは首を軽く傾げた。
「それなら、別にすればいいじゃない。何を遠慮していたの?」
わたしはそれに言い難そうにこう返す。
「だって、鈴谷さんには佐野君が色々と相談事を持ちこんじゃっているし。ちょっと悪いかな?って」
すると鈴谷さんは、あっさりとした感じでこう言ってくれた。
「でも、あれは新聞サークルの総意ではないでしょう? 彼の独断だわ。なら、別に小牧さんに落ち度はないわよ」
わたしは、彼女のこういうサバサバしたところがけっこー好きだ。
その言葉に安心をすると、私はなにか吹っ切れた感じになった。
「でも、相談事自体もどうなんだ?って感じなのよ。相談されても困りそうな」
それで気を楽にしてそう言うと、鈴谷さんは「とにかく話してみてよ」と言ってくれたので、わたしは口を開いた。
……本名を出すのもどうかと思うから、仮にA子さんとしておくけど、彼女はこの大学の生徒でね、別の地方からやって来たこともあって当初はうまく馴染めないでいたのよ。
そんな彼女を、これも仮名でB子さんにしておくけど、B子さん…… というよりも、B子さんグループかな? B子さんグループの人達が軽くいじめていたみたいなの。ところが、A子さんはそれで大人しくいじめられているようなタイプじゃなかった。反発しようとしたのよ。それで、そのままだったら、喧嘩になりそうな状態にまでなってしまった。
ところが、そんな彼女達の様子を心配したC子さんって人がそれを治めたの。B子さんグループにも知り合いがいて、A子さんとも話す数少ない一人だったから、立場的にもちょうど良かったのかもしれない。
もちろん、A子さんはそれに感謝をした。B子さんグループをとっちめてやりたいって思っていたから、多少の不満はあったけど、それでも自分を庇ってくれた訳だしね。
それからしばらくが経ってA子さんもようやくこの大学に馴染んできて、交友関係も広がってグループもできた。そこで彼女はC子さんを思い出したのね。恩がある彼女にも、是非、自分のグループに加わって欲しい。
ところが、そう思って誘ってみても、彼女はそれを断ったそうなの。理由はよく分からないけど。
ここで終わっていたなら、この話はそれでお終い。ただ、それだけの話だったわ。ところが、話は終わらなかった。
――C子さんが孤立している。
そんな噂話が流れ始めたの。
C子さんはとてもいい人。A子さんとB子さんグループの仲違いを抑えたことからも分かると思うけど、それは皆の一致した意見で、嫌われる理由なんてありそうに思えない。
ところが、それでも孤立している。
A子さんは、B子さんグループが嫌がらせをしているのだと言い始めた。自分に味方をした腹いせをしてるんだと。B子さんグループは、それに怒った。そんな覚えなんかない。A子さんグループこそ、自分達の仲間にならなかった腹いせにC子さんに嫌がらせをしているのじゃないか?
「……まぁ、そんなこんなでね、険悪な雰囲気になっているの。C子さんに聞いても、“別に嫌がらせなんて受けていない”としか言わないし。
一体どうしてC子さんは孤立しちゃっているのか。それがはっきりしないと、この険悪なムードは消えそうにもなくって」
鈴谷さんはそれを聞き終えると、「ふむ」と一言。それからこう言った。
「多分、そのC子さんの言う通りだと思うわよ。彼女は何も嫌がらせなんてされていない。自然と孤立してしまっているだけ」
その言葉をわたしは不思議に思った。
「C子さんは良い人なのに?」
ところが鈴谷さんはそれに「良い人だからこそよ」とそう返すのだった。
「C子さんは確かに“良い人”かもしれない。でも、良い人だからこそ、B子さんグループからいじめられていたA子さんの味方をしてしまった。つまり、B子さんのグループには入れなかった。
そして、恐らく、A子さんグループに対してもそれは同様なのじゃない?
A子さんは、決定的な喧嘩こそしなかったものの、B子さんグループとは確執がある。“良い人”のC子さんは、それに賛成できなかった。そうして結果的に彼女はB子さんグループにもA子さんグループにも入れず孤立してしまった……」
そこで一度言葉を切ると、鈴谷さんはこう続けた。
「これはコンピューターシミュレーション内での仮想社会ネットワークの実験なのだけど、自分の好みをはっきりと示さず、メンバー同士が仲良くなるように行動する利他的な人は、孤立し易いそうよ」
言い終えると、彼女は軽くため息をついた。
「“良い人”だから孤立するなんて、なんかやり切れない気分になって来るけれど、そういう傾向があるのは事実なのかもしれない。世の中ってままならないものね」
わたしもそれを聞いて同じ気持ちになった。でも、そこでふと“実は鈴谷さんも、そんな人なんじゃないの?”とそうも思った。
彼女はよく他人を助ける。にもかかわらず、一人でいることの方が多い……。本人は気にしていないのか、それとも、本当は………
――佐野君は、少ししつこいくらいに鈴谷さんに付き纏っているけれど、意外に彼女にとって重要な存在なのかもしれない。
そして、わたしはそんなことを思ったのだった。