北帰行
第1章 北帰行
茅沼梨衣は、二十九歳である。
今年の九月十三日に、三十歳になる。易者に、見てもらったら、今なら新しい人生を始められる、30歳になったら無理だと言われた。
その易者の言葉を信じた訳ではないが、梨衣は、今夜、新しい人生を求めて東京を離れ、故郷の天童に帰る。
ああ、天童ーと思う。
彼女の故郷山形県天童市は山形県の東部に位置し、将棋駒や温泉で有名で現在は山形市のベッドタウンとして知られる街である。
そんな天童を出て、なぜ、東京みたいな汚れた大都会に出て来たのと、不思議がられたこともある。
しかし、若い時はその美しい町が、死んでいるに見えて我慢がならなかったのだ。
だから、高校を卒業すると同時に上京、短大を卒業したあとOLになった。
東京の吉祥寺近くに、1Kの部屋を借りられたときは、私も一人前に都会人になったんだと、誇らしかった。
その1Kが、1LDKになって、安物の絨毯を敷いた洋間が、流行りのフローリングに変わったのは、故郷の天童から東京に出てきて四年目の二十二歳の時だった。
その部屋に男が転がり込んで来て、同棲の末に結婚。天童の両親には知らせたが、式は挙げなかった。
男は、一年たって、四百五十万円の借金を残して蒸発した。
その借金を返すために、水商売に入った。別に転落したとは思わなかったが、その中で女の強さを自覚した。どんな境遇でも、二、三日で慣れ、平気でそれなりに生きていける強さだった。
その生活のなかで、いろいろな男に会った。悪賢い男や冷酷な男、さらには命に関わる危険な目にもあった。人にも言えないような悪いことにも、手を染めた。
疲れ切って、二十九歳になって、いま、梨衣の手元には、三百万円の現金が残っている。これだけあれば、故郷の天童に帰って、親孝行の真似事くらいは出来るだろう。
今日の最終の山形新幹線『つばさ』の切符は買ってある。奮発してグリーン車にした。時間が来て梨衣は、スーツケースを持ち、腰をあげる。調度品やテレビなどは管理人に適度に処分してくれと頼んである。
ふと、壁に眼をやった。新しい借家人にこの部屋を貸すために畳も替えるし、壁紙も家主は張り替えるだろう。
それなら、落書きくらいしても構わないと思った梨衣は、口紅を取り出し、思い切り壁に殴り書きをしたくなった。今までにもやりたくて、抑えていた気持ちだった。
〈私は故郷に帰る もう誰も、私を追いかけて来ないで〉
と、書いた。だが、それだけでは不満な気がして、もっと大きく、
〈もし、追いかけて来たら、殺してやる!〉
と書いた。
やっと満足した気分になり、ちょっと、部屋を見廻してから、廊下に出た。もう東京という大都会に、未練は梨衣の中にはなかった。もう2度と来ることはないだろうし、戻りたくもない。
大通りへ出ると、手をあげて、タクシーを拾う。
『東京駅の八重洲口までね』と、梨衣はいうと、シートに背をもたせかけて、眼を閉じた。
野津田刑事は、前方を行くタクシーを見失わないように、眼をこらしながらアクセルを踏む。
隣の助手席で、岩瀬みのり刑事が、スマートフォンを使って、島尾警部と連絡をとっている。
「茅沼梨衣の乗ったタクシーは、現在、前の都庁の前を走っています。このまま行けば、東京駅の八重洲口に出るものと思います。」
「彼女は故郷の天童へ帰る気だ」
と、島尾が言った。
「天童にですか」
「大田原刑事が、彼女のマンションを見に行ったら、壁に口紅で、私は故郷へ帰る、誰も後を追わないでくれと、殴り書きしてあったそうだ」
「それは、誰かが追ってくると予想して、書いたんでしょうか?」
「何処の誰かと言うよりも、漠然と、東京のという大都会のことを、いってるんじゃないかな」
と、島尾は言う。
「私は東京が大好きですから、捕まえてほしいですが。ああ、やはり、茅沼梨衣のタクシーは八重洲口に着きました。これからどうしますか?」
野津田がきいた。
「岩瀬刑事と二人で、天童に行ってくれ」
「途中で、何かあると思われますか?」
「わからん。だから心配なんだ」
と島尾は言った。
東京駅八重洲口で梨衣はタクシーを降り、駅中に入って行く。
身長一五三センチ、体重五三キロ。二十九歳。それが野津田の知っている梨衣の外見である。
コートの裾をひるがえすようにして、彼女は、颯爽と歩いて行く。ふっと、すれ違いながら、振り返る男がいる。振り返るだけの魅力があることということだろう。
梨衣がOL時代の写真も野津田は見ている。
女は、一年会わずにいると、別人のように変わって
しまうことがある。OLだった梨衣の写真は、現在の彼女とは別人に見える。OLのときの梨衣は、顔も身体もふっくらとして、健康的だがやぼったいが、今の彼女は、尖った印象で、洗練され、都会の女に変わっている。その外見の大きな落差は、彼女の内面の変化でもあるのか?
野津田は腕時計に眼をやる。午後六時四十分。
梨衣は山形新幹線の発車する21番線ホームにあがって行く。
梨衣の容疑は、殺人の共犯である。五時間前に起きた殺人のことを、彼女が知っているかどうか。たぶんまだ知らずにいるだろう。
今日の午後二時過ぎに、荒川で中年男性の刺殺体が浮かんでいるのが発見された。
被害者は四十五歳のイタリア料理店のオーナーである。名前は町田陽介。彼の妻の話だと、昨夜の九時過ぎ、三千万円の現金を持ち、車で出かけたまま帰らなかったという。
何でも三億円の融資話があって、町田は飛びついた。ただそのためには、一割の三千万円の見せ金が必要と言われ、必死で掻き集めた。
典型的なサギの手口だが、今回は金だけでなく、命まで奪われたのである。
被害者の妻は三億円の融資は高力という金融業者が引き受けてくれると、夫は言っていたというが、その高力という金融業者は実在しない。相手は偽名を使っていたのだ。
唯一の手がかりが、その金融業者を紹介してくれたのは、町田行きつけの新宿のクラブ「ソアーヴェ」のホステスだという、妻の証言だった。
刑事たちは、ソアーヴェのママの自宅マンションを訪ね、それらしきホステスがいないかどうかを質問した。
ママは、そんな話は知らないといったがホステスの一人が、昨日、急に店を辞めるといい、三百五十万円
の借金をきれいに払ったと刑事に話した。そのホステスが店での名前はリエ、本名茅沼梨衣だったのである。
梨衣が果たして、町田陽介に、資金融資の話をしたホステスかどうかはまだ分からない。しかし、店の借金三百五十万円を突然、きれいに精算し、店を辞めたというのは、疑いの域を超える。それで尾行という措置がとられることとになった。
山形新幹線「つばさ157号」は、一九時一六分に東京を発車する新庄行の最終である。
梨衣が最終列車を選んだのは、ただの気まぐれか、それとも、二度と東京に戻って来たくないという強い意志の表われなのか、尾行する二人の刑事にも分からない。
刑事の一人岩瀬みのりの故郷は埼玉県の秩父である。
彼女には、梨衣が強い気持ちで、この最終列車を選んだような気がしてならなかった。
「つばさ157号」が、梨衣の故郷、天童に着くのは、二二時九分である。その時刻に東京に引き返す列車は、もうないからだ。
山形の県鳥「おしどり」をイメージした紫色のつばさの車両が、ホームに入って来た。
梨衣が11号車のグリーン車に乗り込む。
二人の刑事は隣の12号車に乗って、彼女の監視を続けることにした。
一九時一六分ちょうどに紫の車体に山形の県花「紅花」をイメージした黄色のラインの入った山形新幹線「つばさ157号」は、仙台行の東北新幹線「やまびこ157号」と連結して東京駅を発車した。
天童まで約三時間の旅である。
岩瀬みのりは、スマートフォンで島尾に、列車が発車したことを告げた。
「しっかりと、監視していてくれ。町田陽介を殺した犯人が、連絡してくるかも知れないからな」
と、島尾はいう。
「いっそのこと彼女を逮捕して、犯人のことをきいたら、どうでしょうかね。そのほうが早いと思いますが」
とみのりは言った。
「駄目だ」
島尾がいう。
「なぜでしょうか?」
「まだ茅沼梨衣が、被害者に、金融業者を紹介したかどうか、わかっていないんだ。彼女らしいという推測だけで、逮捕はできないよ。まず、逮捕状が、取れない。だから今は、監視するより仕方がないんだ」
と、島尾は言った。
野津田とみのりは、交代で11号車のグリーン車をのぞいて、梨衣の様子をうかがった。
11号のグリーン車の席を取れれば監視は簡単なのだが、今日はあいにくグリーン車は満席だった。
上野、大宮、宇都宮と停車して、郡山駅が二十時三八分。
このあと福島に、停車し、福島駅で仙台行きのやまびこ157号と切り離されたあと、米沢、山形に停車する。梨衣がつばさ157号から、突然降りるということも考えられるため、野津田とみのりは交代しながら夕食を済ませることにした。
野津田が、発車直前に東京駅の改札内にある売店で駅弁を買って来ていた。二人は交代しながら夕食を済ませた。
牛肉どまん中千二百五十円。山形県米沢駅の名物駅弁である。
「彼女が共犯だと思う?」
と、みのりは野津田に聞く。
「多分ね」
「二人はどんな関係なのかな?」
「ただ金を貰って、資金難のレストランのオーナーを騙しただけなのか、それとも犯人は、彼女の男なのかということ?」
「二十九歳の、ひとり暮らしの女に、男がいないはずはないじゃない」
とみのりが言った。
「ずいぶん確信がありそうだね。もしそうだとすると天童でその男と落ち合う気かな?」
「反対にその男から逃げる気で、故郷の天童へ帰るのかも知れないじゃない」
と、みのりは言った。
野津田が席を立って、グリーン車を見に行ったが、戻って来ると、
「今、彼女が携帯電話をかけている」とみのりに言った。
「かかって来たのか、それとも彼女のほうからかけているのかな?」
「デッキまで来てくれれば、何とか盗み聞き出来るんだが、座席でかけているんだ」
と野津田は口惜しそうにいった。
「私が見てくる」
みのりが今度はグリーン車に歩いて行った。
梨衣は左側の窓側に座っていた。
窓に寄りかかるようにして、まだ携帯電話をかけている。
みのりは食べた弁当を手に持ち、ごみ箱を探す格好をして、グリーン車の通路を往復した。
梨衣のそばを通るときには、耳に全神経を集中した。
戻って来るときに、
「もう、会うたくないって言ったでしょ!」
という、梨衣の強い声が聞こえた。
みのりは自分の座席に戻ると、スマートフォンを取り出して島尾にかけた。
「二〇時四〇分ごろ、茅沼梨衣は携帯電話を使って、車内で電話をしていました。二、三分です。もう会いたくないって言ったでしょ!と、強い調子でいうのだけは聞こえました」
「彼女のからかけたのか、かかって来たのか、わかるか?」
「今の言葉からしてかかって来たのだと思います」
とみのりは言った。
「今、どのあたりを走っているんた?」
と島尾が聞く。
「郡山を発車したところです。」
とみのりは言った。
二〇時五三分に福島に到着。三分間停車する。つばさ157号はここで仙台行きのやまびこ157号と切り離されて山形・新庄に向かう。停車している福島駅14番線ホームにはスマートフォン、カメラ、ビデオカメラを持った人が七、八人かたまっている。切り離しの瞬間を撮りたいという「撮り鉄」という鉄道マニアだろうか?
梨衣は天童まで行くはずだと思っているが、急に気が変わって、福島で降りるかもしれない。その不足があるので、二人は停車中、ホームを見張っていた。しかし、梨衣が福島で降りる気配がなかった。
時間が来たので、野津田たちは車内に戻った。
座席に着くと同時に「つばさ157号」は、身軽な7両編成になって夜の福島を出発した。
福島の町を離れると、急に車窓に映る燈が少なくなる。
野津田が、またグリーン車をのぞきに行った。
(あれ?)
と思ったのは、梨衣の隣の席に福島までと違った人間が、座っていたからだった。
たしか、五十二、三くらいのスーツ姿のサラリーマンらしき男が座っていたはずなのに、今は二十七歳前後の若い男が座っているのだ。
ラフなスタイルがよく似合っていて、野津田は何処かで見た顔だなと思った。
すぐには思い出せなかったが、自分の座席に戻って、
「あいつだ」
と、野津田は声に出した。
「あいつ?」
みのりが怪訝な顔をして、野津田を見た。
「茅沼梨衣の隣に腰をおろした男さ。確か、松方弘丞という俳優だ。よくテレビで出でいるー」
「名前は知ってるわ。」
と、みのりもいった。
「梨衣は親しげに話しかけているんだ。どうやら前からの知り合いらしい。」
と野津田はいった。
「きっと彼女の働いていたクラブの常連客だったんじゃないの」
「かもしれないな」
「でも、ちょっとおかしいな」
とみのりがいった。
「何が?」
「福島まで彼女の隣にいた客は、福島で降りちゃったわけでしょう?」
「ああ。代わりに松方が、福島から乗って来たことになる」
「東京から福島へ行くのなら、『やまびこ』の車両に乗るじゃないかしら?なにも山形新幹線の『つばさ』の車両に乗ることはないと思うだけど」
とみのりはいった。
「確かにそうだが、福島までで『つばさ』の車両に乗りたい人間もいるんじゃないかな」
と野津田はいった。が、自信があるわけではなかった。
野津田は取りあえず島尾に連絡をとって松方弘丞のことを告げた。
「梨衣のほうはそのタレントが、福島から乗って来るのを、予期していたように見えたか?」
と島尾が聞いた。
「分かりません。が、それほど歓迎している感じには見えませんでした。ちょっと見ただけなので自信はありませんが」
と野津田はいった。
「松方弘丞だな?タレントの?」
「そうです。連ドラの仇役やアニメの悪役なんか、よくやっている男です」
「今日、そちらに行く用があったのかどうか、こちらで調べてみよう」
と島尾はいった。
その電話のあとで、みのりが窓の外に眼をやって、急に、
「あ!」
と、声をあげた。
「満月だわ」
と、彼女がいう。
野津田が眼をやった。雲が切れて遠くの空に、青白い満月が浮んで見えた。その満月が列車についてくる。
「月は、いつだって出ているだろうに」
と、野津田が、笑うと、
「そうかもしれないけど、久しぶりに見たような気がする。きれい」
と、みのりはいった。
同じように梨衣も、窓の外の満月に眼をやっていた。
青白いあざやかな満月だった。眼をこらすと星も見える。東京では夜の仕事だったのに、梨衣は月や星を見た記憶がほとんどない。見ようとしなかったのか、見えなかったのか、どっちだったろうか。
「満月がそんなに珍しいの?」
隣の席の松方が笑いながら、声をかけてくる。
「故郷じゃ、よく見ていたんだけど」
「じゃあ、あんまり天童には帰っていなかったんだ」
「ええ」
梨衣は短く肯いた。
あの満月や星は、久しぶりに故郷へ帰る梨衣を歓迎しているのだろうか?それとも拒否しているのだろうか?
「どうして急に故郷へ帰る気になったの?」
と松方はきく。
それに返事をするのが面倒で、梨衣は黙っていた。
松方弘丞というタレントを、梨衣はさほど好きでもないが、かといって嫌いということもなかった。
梨衣の働いていたクラブ「ソアーヴェ」には、月に二、三回は来ていた。一応有名人だし、話して楽しい客だから、店では人気があった。そんな松方が、なぜか、梨衣に好意を持った感じで、彼女はさほど好きではないといっても、タレントの松方に好意を持たれて悪い気はしなく、二度ばかりは一緒にホテルに泊まったことがある。それだけのつき合いともいえる。
「僕は久しぶりに事務所を休みをもらって、山形新幹線に乗ってみようと思ってね」
松方は勝手に喋っている。
今日は福島の友人に会ってから、「つばさ」に乗ったんだとも、いった。
「これから天童で降りて、一泊するつもりなんだ。明日、天童の町を案内してくれないかな?」
「まだ明日の予定を立てていないの」
と、梨衣はいった。
「君の両親は、天童で何をやってるの?」
「小さな旅館をやっています」
「それならぜひ、泊まりたいね。何という旅館?」
「駒屋旅館です。でも、一昨年以来、帰ってないんで、今どんな様子かわからないから」
「君のきょうだいは?」
「兄がいますけど、今は仙台でプロサッカーチームの営業マンをやっています。結婚して」
「じゃあ、君が旅館の若女将になるわけだ。君は着物が似合うし、頭も切れるから、いい若女将になると思うよ」
と、松方はいった。
「さあ。全然自信はないわ」
と、梨衣は笑った。
「結婚はしないの?」
「一度して、もう、こりたわ」
と、梨衣はいった。
スマートフォンが鳴り、野津田が電話を取った。
「松方弘丞はどうしている?」
と島尾の声がきいた。
「仲が良さそうに、茅沼梨衣と話をしています」
と、野津田はいった。
「こちらで松方のことを調べてみた。梨衣のクラブによく顔を出し、梨衣とはホテルに泊まったことあったらしい」
「そういう仲ですか?」
「しかしママや同僚のホステスの話では、特別の関係ということではないらしいよ。松方は三日間の休みを会社から貰って、東北旅行に出たといっている。福島に友人がいるということだから、福島でその友人に、会い、そのあと山形新幹線の『つばさ』に乗ったんだろう」
と、島尾はいった。
「とすると、松方がこの列車に乗ってきたのは、偶然でしょうか?」
と、野津田はきいた。
「今のところ何か企んで、乗ったという証拠は何もないな」と島尾がいう。
「梨衣には、別れた旦那がいましたね?」
「江崎 武。彼女より六歳年上の三十五歳だ」
「今、何をしているんですか?」
「彼女と別れたあとサギで捕まって、二年刑務所に入っていたが、その後出所して、私立探偵を始めた」
「私立探偵ですか?うまくいったんですか?」
と、野津田はきいた。
「いや、うまくいっていなくて、今は行方不明だ。借金を残してね」
「彼は今でも梨衣に未練があるのでしょうか?」
「彼は梨衣のヒモみたいな生活をしていたんただから、未練はあるんじゃないかな」
と、島尾はいった。
「彼がこちらに現われる可能性は、ありますか?」
「夫婦だったんだから、江崎は梨衣の故郷が天童だということは、当然知っていると思うよ。天童に現われる可能性は大いにあるね」
「さっき梨衣にかかって来た電話は、その江崎からだったかもしれません。彼女が嫌がっていましたから」
「今もいったように江崎には、サギの前科がある。東京で食いつめて、天童あたりに逃げて、また人を騙すことを考えているかもしれん」
「江崎の写真はありますか?」
「ああ、手に入ったから天童警察署に、FAXで送っておく」
「その江崎が例の殺人事件の犯人ということは考えられませんか?」
と、野津田がきいた。
「江崎がか?」
「はい。梨衣のほうは逃げたい一心で、江崎のサギの片棒を担いだ。まさか殺人までやるとは思わずにです。江崎のほうは梨衣に喋られては困るので口封じに天童まで追いかける。こんなケースも考えられるのではないか、と思うんですが」
と野津田はいった。
「可能性はゼロじゃないな。一応、用心してくれ」
と、島尾はいった。
定刻の二二時九分。
「つばさ157号」が、天童駅に着いた。
駅周辺は午後十時過ぎた夜の闇と寒さで凍りついているのに、駅の明りだけが温かく感じられる。
茅沼梨衣が降り、松方が降り、野津田とみのりもホームに降りた。
梨衣たちはホームの様子を見ながら改札口を出て行く。他に十五、六人の乗客が降りたのだが、彼らはも寒そうに背をかがめながら改札口を出て行った。
タクシー乗り場で梨衣と松方が同じタクシーに乗った。野津田たちも、急いでタクシーを拾い、尾行してくれるように運転手に頼んだ。
「向こうの車に乗ったのはタレントの松方弘丞でしょう?」
と、野津田が短く肯く。
「あの女はなんです?松方の新しい女ですか?」
「とにかく、見失わないように追けてくれ」
と野津田はいった。
野津田もみのりも天童は初めてである。だから町のどのあたりを走っているのか、わからない。
わかるのは、夜の天童の町が東京の夜に比べると、はるかに暗いということだった。
たぶんこの暗さのほうが、自然なのだろう。
駅から七、八分走ったところで前のタクシーがとまった。旅館の前だった。
眼をこらすと、「駒屋旅館」の看板が読めた。
梨衣と松方がタクシーを降りて、旅館の中に入って行く。
野津田たちは旅館を予約していなかったので、運転手に、
「このあたりで、適当な旅館に案内してくれませんか?」
と、みのりが頼んだ。
運転手は営業所に連絡し、そのあと二百メートルほど離れた別の旅館に、野津田とみのりを案内した。
野津田たちは部屋を二つとってもらって、その旅館に入った。
野津田が部屋からすぐ、東京の島尾に電話をかけた。
「茅沼梨衣がタレントの松方弘丞と一緒に、駒屋旅館に入りました」
「それは彼女の両親がやっている旅館だ」
と、島尾がいう。
「親のところに帰って、彼女は何をするつもりですかね?」
「家業を継げば彼女が、旅館の若女将になるわけだよ」
と、島尾はいった。
「水商売にどっぷり浸っていた彼女が、旅館の女将が出来ますかね?旅館の女将というのは、大変な重労働ですよ」
と、野津田はいった。
「だろうね。ただ女は化けるからな」
と、島尾はいった。
「明日、天童警察署へ行って、捜査協力を要請したほうがいいですか?」
と、野津田はきいた。
「いや、まだその必要はないだろう。茅沼梨衣は容疑者でもないし、東京の殺しの犯人が、そっちへ行った証拠もないからね。君と岩瀬刑事で慎重に、茅沼梨衣の動きを見張っていてくれ。彼女に会いに来る人間を、すべてチェックするんだ」
と、島尾はいった。
翌朝、野津田が目を覚ますと、寒さは増したような気がした。
テレビの天気予想は、今年最後の寒気団が東北上空に居座っていると、話していた。
朝食はみのりの部屋で、取ることになった