『トートバッグ狂い』・・・狂いに於ける、狂いと言う狂い
『トートバッグ狂い』
・・・狂いに於ける、狂いと言う狂い
㈠
トートバッグ狂いだが、その狂いと言う狂いは、発狂とは異なる。換言すれば、狂いは依存である。トートバッグによって、心が満たされるという現象のことを指しているのである。狂はない方法もあるだろうが、狂わない後悔もある。あの時、狂っていさえすれば、もっと大きな衝動を、人生で持ち得たのに、という後悔である。それは、トートバッグに限らず、何にでも発想できる現象だろう。
トートバッグが、どういう意味のバッグのことを示すのだろうかと思い、ネットで調べてみると、ウィキペディアにはこうある。
「トートバッグ(英語:tote bag)は、通常持ち手が2本あり、多用途で用いられる、手持ち鞄。「 トート(tote)」は、アメリカの俗語で「運ぶ(carry)」、「背負う」を意味する。 ハンドバッグの一種。」
つまり、何かを運ぶ、背負うを意味するのだとすると、なるほど、その通りのバッグである、トートバッグは。筆者は、トートの意味が運ぶ、背負うだとは知らなかった。ただ、響きだけに置いて、トートバッグをトートバッグだと認識していたまでだ。
㈡
トートバッグに、自身が運ばれているといった逆説に終始すれば、難しいことを捨てて、どこまでも歩いて行けそうな気がしてくる。遠景は見違える様に色彩を持ち、夕日と朝日がまるで一致するくらいの、スピード間で進んでいけるだろう。厳密に言えば、その一致は、時間の一致ではなく、意識の一致だ。
トートバッグに狂うなどと言うから、何か意味不明のエッセイになるのだが、今書けばこういうことが書けるのだと思えば、一文字も逃したくはない程に、狂いは狂う。
所謂高額の物に興味のない自分は、トートバッグを選ぶ時も、値段ではなく、気に入った姿かどうかだけで決める。それは、今の自分には正解だと思っているし、できないことを望むより、できることを実行していった方が生活は豊かになると確信しているのだ。
㈢
特にアクセサリーにも興味のない自分は、リュックサックや、ボディバッグ、トートバッグにも、気に入っているキーホルダーを2つ3つ、付けるだけである。内容もばらばらで、100均のロゴキーホルダーを付けたり、好きな漫画の象徴のキーホルダーなどである。どれも余り、目立たないもので、バッグが主体的に見える様なものを選んでいる。
トートバッグには、しかしほとんどキーホルダーは付けない。形が崩れてしまうからだ、そしてまた、リュックサックやボディバッグと異なり、確かにトートに意味にもあるように、何かを運ぶという現実的利便性にとんでいると思われるからだ。何かを運ぶなら、今はトートバッグに狂うと言う点で、不確かに、トートバッグも、少しは日常に入って来ている様に感じている狂い様だ。