真名と仮名
「島宮葵さん?宜しかったら、これを」
呼ばれて我に返ったらアスタロット様が心配そうに顔を覗き込まれていた。どうやらまた泣いてしまっていたらしい。慌てて取り繕うが優しく微笑まれ、お菓子を差し出される。音符型の凝った作りで、ト音記号型にいたっては、良く作っている途中で崩れなかったと感心するレベルだ。
「ワタクシが作った『メモリーズクッキー』です。甘いものは心を落ち着かせましょう。これでもワタクシ、人間学の権威なんですよ?人間でも楽しめて害はありません。」
私が疑っていると思ったのか、クッキーを説明してくれた。
(まぁ、疑ってはないけど、掴めない悪魔だとは思う。)
口にしたクッキーは甘さ控えめでありながら、しっとりとした舌触りと濃厚なバターの風味が生前(まだ死んでないけど...)食べたことが無いほど美味しいと感じた。悪魔も人間も味覚には違いは無いのだろう。
まぁ、それがどうと言う訳ではないけど、多少は親近感がわく。
でもでも!
フルネームって!やめてほしいわ!せっかく抱いた親近感が皆無だ。
「ありがとうございます、アスタロット様。それと、フルネームはちょっと......むず痒いっいうか........?」
「.........そうですね、わかりました。これから向かうトートフォンヴンダーでは、真名は余り名乗らない風習なので『マロウ』とお呼びいたしましょう。あなたも死にたくなければ、これからは『マロウ』と名乗ってください。いいですね?マロウ?」
真名は名乗らない?
異世界モノのノベルだと名前で操られるとかあったなぁ~
それってお約束ってやつか!?
アスタロット様の言いたいことがなんとなくわかった為、うなずいて見せた。
『マロウ』って私のこれからの名前。
小声で呟く新たな名前は、自身にスッと馴染む様に受け入れられる。以前から『マロウ』だったかのように違和感も感じない。でも、真名は正真正銘『島宮葵』であることは変えられてはない。
『島宮葵』だろうが『マロウ』だろうが、私は『私』だ!
そう思いながら『マロウ』と言う仮の名前を受け入れた。