9.伯爵家の三女、田舎男爵の令嬢の侍女になる1
グラナト男爵デュランブ家のご息女ロジーナ・デュランブ嬢の側仕えとして、私、シーフィールド伯マクギル家の次女に生まれたルイーズ・マクギルは、このデュランブのお屋敷に来た。
王都からここまでの道は、ひたすら山を越え山を越え川を越え山を越え、と、一体いくつの山を越えたのか覚えていない。
伯爵家の子が男爵家の娘の側仕えに、という身分の逆転がどうして起こったかというと、第一王子ウィリアム殿下のご命令によって、であった。
私のお父様、シーフィールド伯ロバート・マクギルは、中途半端な位置にあった。
無難に領地を治め、議会にも無難に参加し、社交界にも適度に顔を出していた。
国王陛下から見て、大勢の諸侯の一人に過ぎなかったと思う。
反乱を企てることもなければ、際立って成果をあげることもなさそうな。
そのお父様が、第一王子であるウィリアム殿下のもとに通うようになった。
どうやら、議会で提案した「下水道を作ってはどうか」というのを、殿下がお聞きになり、それで呼ばれたらしかった。
何日も殿下や官僚たちと話をするうちに、殿下から特別衛生官の役職を賜り、王城に勤務するようになった。
まだ小さかった私もそれについていくようになった。
お父様が、「お前も来なさい」と仰ったから。
美しい金髪の姉妹たちと違って私だけが赤毛だったから、気をつかわれたのだろう。
下水道が整備されるまでの王都アダマスは、その名がダイヤモンドという意味だというのに、臭気のすごい都市だった。
排泄物が空き地や道端に積みあげられて、市壁の外の農民たちがそれを取りにくるまでほったらかしにされていたのだ。
排泄物は農民に取っては畑の肥料になるが、市壁の内側は畑などなく、あるのは商店かその店主の住居、王城に使える者の住居、そして王城。
王城の裏手に王族専用の農園もあったが、都市まるごと一個分の大量の肥料を必要としていなかった。
臭気は都市全体を覆わんばかりだった。
その臭気は悪人らの魂と交わり、瘴気として病をもたらすと考えられてきた。
だけど誰も、農民が取りにくるのを待つ以外には、どうこうしようともしなかった。
そこにお父様が、
「下水道を作って、市壁の外の農民のところまで排泄物を流せば如何でしょうか」
と提案した。
その提案を評価し、実現してくださったのが、ウィリアム殿下だった。
ウィリアム殿下の指揮によって、空き地や道端にほったらかされていた排泄物の山は、川から引いた水が流れる地下を通って農地に直接いくようになった。
臭気はだいぶんマシになった。
このやり方は国中の各都市に一気に広まった。
もう六年前の話。
ウィリアム殿下は八歳で、私は七歳だった。
臭気とともに瘴気も薄れるのではないか、病も少なくなるのではないか、と思われたが、病の流行と高い致死率は変わらなかった。
***
「あの自動水流洗浄トイレは、殿下がご発案なさったのではないのですか!?」
自動水流洗浄トイレはまたたく間に王都に広がった。
それを見ていた諸侯たちも自分たちの城や街に導入し、病を防ぐことになった。
ウィリアム殿下の名声は国外にも轟き、何人もの使者が自動水流洗浄トイレを視察にきた。
王都の民らがウィリアム殿下を讃えるパレードを企画していたとき、殿下は皆に向けてご発言された。
「実はあの素晴らしいトイレは、グラナト男爵デュランブ家の息女ロジーナ・デュランブ嬢が発案したのだ」
殿下とともに自動水流洗浄トイレの普及に努めていたお父様たちも、また殿下のご発言を伝え聞いた民たちも、思った。
グラナト男爵って誰!?
ほとんどの貴族の名前を記憶しているはずの者にも、その名を思い出せなかった。
「おそれながら、殿下がご発案なされたのではないのでしょうか」
信じられないとばかりに尋ねた政務官に、
「ああ、私ではない。あれはすべて、グラナト領領主の息女、ロジーナ嬢の功績だ」
殿下は泰然と笑った。
それから殿下は、ロジーナ嬢を婚約者にすべく根回しを始めた。
死にも至る病を防げるようになったのは自動水流洗浄トイレを発案したグラナト男爵デュランブ家ロジーナ・デュランブ嬢の功績であると、とにかく宣伝したのだ。
曰く、
「ロジーナ嬢は病で命を落とす民を悼み、心を痛めている」
「ロジーナ嬢は病の原因が排泄物とトイレから下水道の間にあるのではと考え、その原因を取り除くべく自動水流洗浄トイレを考案した」
「ロジーナ嬢はそのことを公表すれば地位、名誉、金銭、権力を求めることができるはずなのに、そうしようとはしない清廉な人物だ」
「私欲のないロジーナ嬢はその家族も同様で、領民や使用人を大事にし、食事も使用人と同じものを取っている」
「領民からは慕われ、民が大変なときには自ら手伝うことを厭わないほど、身分に関係なく他を思いやっている」
「そのように自分は質素にしながら、権勢を望まず、領土で民のために心を尽くしている」
王都で瞬く間に広まったその噂は、王都だけでなく国中の民を感動させた。
なぜなら多くの民が知っている貴族や領主の姿とは違っていたからだ。
民は己の利益のみを優先する貴族たちに辟易していた。
***
教育係として先にグラナト領に遣わされていたミス・マレットからの報告で、ロジーナ嬢が王妃教育を順調に進めていることがわかり、殿下はご決断された。
男爵家出身のロジーナ嬢を、妃にすると。
「ルイーズ嬢、君はロジーナ嬢に仕える気はあるか」
殿下にそう問われれば、私は頷くしかない。
私のお母様も、病にかかり、だけど軽症で済んだのだ。
ロジーナ嬢が発案した、自動水流洗浄トイレのおかげで。
もとより私は、ロジーナ嬢が王妃になるのであれば、命をお捧げするつもりであった。
「ゆくゆくは王妃になるだろうロジーナ嬢の、よき話し相手になってほしい。伯爵家の者だと緊張してしまうだろうから、悪いけど身分は隠しておいて。たぶんあの娘は、王子の前でかしこまっているより、友人の横で自然体でいるほうが魅力的なのではないかな」
眉を下げる殿下に、私は跪いた。