8.いつか王妃になる田舎男爵の令嬢、やっぱり「トイレの姫」だった
「わたしって、王都でどう思われてるのよ……」
トイレ研究所のなかの一室。
わたしの側仕えにと、ウィリアム殿下から命じられてうちにやってきたルイーズは、粛々とお茶の準備をしながら答えてくれた。
「はい、お嬢様は、民のために自動水流洗浄トイレをご発案し、ご自分は領土で贅沢もせずに質素な生活を続けておられる、まるで女神のようなお方だと」
「……それで、『トイレのお姫さま』?」
「はい」
解せぬ。
水洗トイレが欲しいなって言ったら、遠くで誰かが作ってくれて、広めてくれて、わたしのところにも作ってくれた。
っていうのが事実なんですけど。
「よいですか、レディ・ロジーナ。始めますよ」
今日は、お茶会でどんなトラブルが起きようと悠然と対処する、というレッスンをするらしい。
三人分のティーセットが並べられ、ミス・マレットとルイーズがドアから入ってくるところからスタートだ。
「ごきげんよう。レディ・ロジーナ、本日はお招きいただきありがとうございます」
「ごきげんよう、ミス・マレット。ようこそいらっしゃいました」
「あら、こんなところに、芋虫が……! レディ・ロジーナ、あなたのところでは随分と美味しそうな芋虫を召し上がるのね。どうやって召し上がってるのかしら、わたくしにはとても思いつきませんわ!」
***
疲れた。
ミス・マレットはあらゆるトラブルを想定して、芋虫が混入していたり、高位貴族のご令嬢の顔に蝿がとまったり、椅子の脚が折れたり、その椅子に座ってたご令嬢がひっくりかえってドロワーズ丸出しになったり、実はそのドロワーズがぼろぼろのやつでご令嬢が泣き出したり、といった場面をどんどん演じてくれた。
こんなトラブル、実際には遭いたくもないわ。
それにしても、貴族の言い回しって、なんでこう嫌味ったらしいのかしら。
村のみんなみたいに遠慮なく直球で何でもかんでも言いあうほうが、誤解することもなくて良いと思うんだけどな。
それにお茶会なんて、今まで母が村の奥さん娘さんたちを招いて、農閑期にうちで働くシフト決めのためのお茶会しか出たことなかったのに。
食堂の大テーブルに、家中から椅子をかき集めて、たくさんクッキーを焼いて、ジャムもいろんな種類を用意して、っていうものすごくカジュアルなやつ。
それがいきなりドロワーズ丸出しの貴族令嬢の対応って、ハードル高すぎる。
「ていうか、この食器類はうちにあったものと違うような気がするのですが」
野イチゴの絵柄が入ったティーセットは、金で縁取られている。
洗練されたフォルムで、どう見ても我が男爵家で買えるような値段でないだろうことが分かる。
「はい、私がこちらに来る際に、王妃陛下がトリエ様へ下賜されたものです。本日はトリエ様にお借りしてまいりました」
「王妃陛下がお母様に……、というのもわたし聞いていませんでしたが」
「王妃陛下とトリエ様は最近、頻繁にお手紙のやり取りをなさっていますよ。お嬢様が王妃になられたとき、どのようにサポートされるのかなど、王妃陛下がトリエ様にご教授されているそうです」
ああ、着々と外堀を埋められていっている。
なんで王妃陛下、そんなに田舎男爵の令嬢を応援しちゃうんですか……!
「レディ・ロジーナ、あなたが選ばれたのはきちんと理由があるのですよ」
ミス・マレットが、お茶をひとくち飲んで、話しだした。
「今までのトイレには、大きな問題があったのです。排泄物を人の手で下水道まで運ぶ、そこに流行り病の原因があるのではないかと殿下は考えられたのですが、実際その通りだったのです。自動水流洗浄トイレの仕組み自体は、機械人形を作っていた時計技師によってすぐに出来上がりました。実験的に王都の一区画全体の家にその自動水流洗浄トイレを導入しました。一月間、そこに住んでいる人間と、そうではない地域に住んでいる人間の健康調査をしました。すると、ですね」
ミス・マレットがまたお茶をひとくち飲む。
「自動水流洗浄トイレの家の住人は、そうでない家の住人に比べて、体を悪くすることが少なくなったのです。もちろん、それでは、これまでのように、自動水流洗浄トイレがあることによって空気がよくなったから体調が悪くならなかったのだ、と考えることもできました。しかし、自動水流洗浄トイレのない区画の住民の中で、健康を害した人間の多くが、排泄物を下水道に運ぶ仕事をしているか、家事のなかでそうする必要があった人間だということが分かりました。殿下はそこにご注目されたのです」
まだまだ続くミス・マレットの講義の内容は、こういうことだった。
つまり、排泄物に直接手を触れたから健康を害した。
それは、今まで考えられていたように、空気中にある悪い何か、それは盗人や殺人者など悪人の存在や魂、または恨みを抱いたまま死んだ人間の魂が溶けこんで空気を悪くしている。その空気を吸うことが病を体に呼び寄せるのだ、ということを否定する仮説だった。
前世の記憶を思いだしたわたしには、なんて当たり前のことを! と思えるが、そういえばわたしだって、前は何となくそう思っていた。
そしてわたしは空気のよい田舎に住んでいるから病にかからないんだな、とも。
続けて行われた水洗トイレと健康の関連調査によって、ウィリアム殿下の立てられた仮説はより精確なものになっていった。
病はある程度、防ぐことができる。
排泄物に直接触らないこと、不完全な下水道からは地面に染みでてくるから、下水道が整備されるまでは下水道に近い井戸から飲み水をとらないこと。
「幸か不幸か、自動水流洗浄トイレが王都全域に導入されてから、以前と同じ流行り病が広がったのです。ただ皆その症状は軽く、死人は一人も出ませんでした。殿下はより名声を博しました。そこにきて殿下は、仰られたのです。この素晴らしいトイレを発案したのはご自分ではなく、グラナト領領主グラナト男爵デュランブ家のロジーナ・デュランブ嬢であると」
んん?
何か都会の難しい話に、いきなり自分が出てきた。
「此度の流行り病で死人を出さなかったのは、レディ・ロジーナの功績であると公表されたのです」
ミス・マレットが、何やら感極まった様子である。
隣のルイーズもうんうんと肯いている。
「私たちの親族にも、大切な友人や知人にも、あの自動水流洗浄トイレによって命を助けられた方がいるのです。一時は症状が出た者が王都の人口の三分の一にまで上ったのですから」
「そうです、お嬢様。皆、知っている人の誰かしらが一度は発症していたのです。以前なら、罹ったら半数は死ぬと言われていた病に」
「ですから、レディ・ロジーナは王都で『トイレのお姫さま』と呼ばれ、尊敬されているのですよ」
涙ながらに話を締めくくられた。
え、ほんとに、「トイレのお姫さま」ってディス要素なかったんだね……?