74.王の憂鬱
マリカ特別区から王都アダマスに戻ってきて半年が経つ。
マリカにはルイーズの父シーフィールド伯ロバート・マクギルを残してきた。
私と同じ夢を見ている、信頼できる人間だ。
まだアイオライトの二、三十年ほど前の文化水準のマリカの全域に、まずは疫病を防ぐための下水道と自動水流洗浄トイレの設置をやってもらっている。
同時に銀の流通量の制御も。
シーフィールド伯からの報告書によると、手っ取り早く「トイレの王妃様」効果を使っているという。
昔よく使った手だ。
「トイレの王妃様は男爵嬢時代、民が病で命を落とすことを嘆き、女ながらに研究し、疫病を防ぐために自動水流洗浄トイレを発明しました。それを当時の王太子が援助し、下水道とともに普及させたところ、流行り病が激減。男爵令嬢の慈愛に満ちた心に王太子が求婚し、ご令嬢は王太子妃になったのでした。王太子妃様はその後も権力や贅沢に溺れることなく福祉事業のパトロンとなり、その慈悲深さでもって今も国民の健康と幸福を願っているのです」
民衆をまとめるために物語を使う。
ただこのロジーナを使うのは、ゆくゆく危なくなるだろうと分かっている。
民衆はロジーナを、引いては王家を妄信し、生活のすべての責任を王家に押しつけようとする。
それこそいつか起こるだろう戦争で受ける傷の責任も、王家に押しつけると確信できている。
だから出来るだけ使いたくなかった手だが、国のために最善な手を選んだ。
とにかく時間をかけず、アイオライト王国の一つの地域として旧マリカ公国を統治し、旧マリカ国民にもアイオライト国民であるという意識を持たせねばならない。
マリカ関係の書類をまとめている箱の一番上に、シーフィールド伯からの報告書を置く。
「そのまま続けるように」と返事を書いて、待たせていた使者に渡した。
執務室はユアンと二人だけになる。
何か言いたげなユアンを無視して、軍備拡張についての書類に目を通す。
王としての権利の大部分を手放すとはいえ、王制の形は残すつもりだから、いずれ王になるユアンももう少し勇気と大胆さがあるべきだ。
そう、自分の妻(仮)を殺すくらいの決断力と実行力があるのだから、父親である僕に対してももっと言いたいことを言えばいいのに。
窓の外から鳩の鳴き声が聞こえる。
城門の内は長閑だ。
例えば散歩にでも出たら、爽やかな空気を吸っていい気分転換になるだろうなあ。
十分待ってあげていたら、ようやくユアンが口を開いた。
「父上、母上のことなのですが」
「失礼致します」
絶妙のタイミングで、お茶を持って、ユアンの従者オリパーが入ってきた。
片手で器用なことだ。
ユアンがオリバーに向かって恨みがましい顔つきをしている。
それを物ともせずオリバーは、ユアンの前で静かにお茶を注ぐ。
カップと菓子も二人分が用意されて、僕はユアンの対面に移動した。
「今日もか?」
「はい。ロジーナ陛下は今朝もハイゲイト墓地に参られました」
問いかけると、オリバーはすぐに答える。
彼のこの報告を受けるのも、もう何度目だろう。
マリカから帰ってきてからずっと、ロジーナは僕たちと朝食を食べない。
暗いうちから馬車で城を出て、ユアンの嫁(仮)だった旧マリカ公国第一公女ソフィア・ベル・オリヴィアの墓参りに行っているのだ。
同行しているルイーズから聞きだしたところ、ロジーナはソフィアの石像の前にひざまずき、何がしかを祈っているようだという。
ソフィアのどこに祈られる部分があったのかは理解に苦しむ。
彼女が生きていたころ、ロジーナはむしろ彼女を避けているようだったし、彼女は彼女でロジーナ殺人計画を立てていたほどの大罪人だった。
マリカ公国を潰したことを謝っているのだろうかとも考えたが、アイオライトに併合したほうがマリカにとっても有益だというのはロジーナも分かっている。
王妃が城の外に出るのだから、もちろん護衛騎士をつけなければならない。
今までならロジーナは、彼らの負担を増やすようなことはむやみにしなかった。
それがもう半年以上、公務ではなく私的な用事、ソフィアの墓参りのために、彼らを使っている。
ロジーナのわがままなら、難しいことでも聞いてあげたい。
しかし、この半年という期間、理由も分からないロジーナの行動に、僕もユアンも心配と不安が鬱積してきている。
「父上は、母上に直接お訊ねにならないのですか」
「あれが始まって一週間目に訊いたよ。でも曖昧に笑われて、それ以上は何も」
「……騎士たちへの特別手当が、見たこともない額になっています」
「変な噂を立てられても困るから、他言させないように増やした」
「このまま母上を止めるつもりはないのですか!?」
僕にも負い目がある。
マリカ特別区でロジーナの名を使っていることに。
王権を手放すことを話したのが悪かったのだろうか。
けれどそれがなぜソフィアの墓参につながるのか。
ロジーナが分からない。




