72.王の決断
「君は昔から、よく耐えてくれた。グラナトから無理やり娶ったことが君にとって良かったかというと、そうではないよね。王妃という地位と名誉でもってしても晴らすことのできない重責を君に課してしまったこと、僕は申し訳ないと思っていたんだ」
「そんな……、いえ、わたしはウィルに出会えて、ユアンとシャロンという子どもたちに恵まれたことを、幸せだと思っております」
ウィルの手に、自分の手を重ねる。
確かに、自分の運命を自覚したあの日から、耐えてきた。
どう足掻いても幸せな人生を送れないのではないかと。
ずっと不安に耐えてきた。
でもその原因はウィルにはない。
どうしてか偶然ここにロジーナとして生まれてしまったわたしが、勝手に未来を予想して、焦っていただけだ。
「わたしのことよりも、王権を手放すというのは、どういうことですか?」
こんな展開、原作漫画には絶対なかった。
国の体制を変えるだなんて。
ウィルは肩を落として、自嘲気味にしゃべりだした。
「僕は狡猾な人間だからね。これからのことを考えると、そうしたほうが良いと思ったんだ」
「これからとは?」
「グラナトで石炭が産出されてから、アイオライト王国は世界一の大国になった。間違いなくアイオライトが、世界で一番豊かな国だよ。今は、だけどね」
「それはどういう意味ですか」
ウィルの澄んでいた青い瞳が、翳りを帯びている。
昨日まで、いや、今日のお茶会のときまでは、そうじゃなかったはずなのに。
重ねた手が冷たい。
「石炭が各国で出始めたことは、ロジーナも知っているだろう。グラナトには及ばないが、そこそこ産業に費やせる量が出てきている。自国で使わずとも輸出に回す国があって、それを買い上げたシュピーレン国が、玩具作りの技術を転用して新しい兵器を作っていることが確認できた。北東の連合国も独自の兵器の開発を始めたという情報がある」
「シュピーレン国は、アイオライトの友好国のはずでは」
「そのはずだけど。例の四ヵ国で提携したジュエリー事業で、シュピーレンだけどうしても目立たなくて、マリカの銀細工のほうが儲けも多くてね。その鬱憤もたまっていたのだろうし、それに、どこも自分の国を守るためならば、どんなことでもやる。アイオライトもだ。王立科学アカデミーで兵器開発の話を聞いたこと、君もあるだろう?」
「……あります。技術は日に日に進歩しているけれど、それはアイオライトだけではなくて、もちろん他国でも進歩していっている。防衛のために、他国に負けない兵器を作らねばならないのだと」
そうやって銃の性能が上がり、戦闘飛行機が開発され、いつかは何千キロも飛ぶ爆弾を作りだす。
そんな未来が、この世界にも来るのだろうか。
「使う機会がなければ良いが、争いというのは些細なきっかけで起こる。兵器の開発よりも、僕は、人々が暮らしやすく、美しい庭や森に囲まれ、貧しい者もその日の食に悩まずに済む国を目指したかった。君もきっとそう考えていたはずだ」
いつもどこか掴めないウィルの本音が今、語られている。
「わたしも、ウィルと同じ、皆が安心して暮らせる国にできればと、微力ながら出来ることをやってまいりました」
「君のおかげでアイオライトの国民はまとまり、王家は信頼を得、逆らう貴族もいなくなった。併合したマリカでも、少し政策をいじって民の暮らしをよくしたら、アイオライト王家に反抗的な勢力はいなくなった。国中の誰もが、王家に従っていればよいと考えている」
「そうではない人もいます。その、ソフィアのようにあからさまではないですが……」
「ほんの少数だけだ。ほとんどの者は王家を妄信している。だからこそ、もし戦争が起こり、多大な損害が出たら? 自分の大切な家族や友人が犠牲になり、それに見合う収穫もなければ? 王家のやることは絶対だと妄信している者たちは、逆に、王家に憎しみを向けるだろう。王家の間違いでこんなことになったのだと。それこそクーデターでも革命でも起こり、王族は殺される」
ウィルは、いつだって殺される覚悟を持っていた。
掴みどころのない態度でも、王であることに揺るぎなく、王の運命を背負い、わたしの横に立っていたはずだ。
そのウィルが、今になって弱気になるとはどういうことだ。
原作漫画の強制力が、ズレて表れてきたのだろうか。
不意に、手を握られた。
「僕は、もうこれ以上、君をつらい目に遭わせたくない」
くすんだ青い目が、まっすぐにわたしを見つめてくる。
正気の瞳だ。
狂ってはいない。
ウィルは考えに考えて、王権を手放すという結論に至ったのだ。
そして今、微笑もうとして歪んだその唇から紡がれるのは、わたしへの、わたしと子どもたちへの、愛のことばに他ならない。
「僕は狡い。君を、ユアンとシャロンを、なぶり殺されるようなことがないように、僕が君たちを失うことがないように、僕は、王の責任を放棄する」




