7.いつか王妃になる田舎男爵の令嬢、「トイレの姫」と呼ばれる
恐ろしいことが起こった。
他領から我がグラナト領に視察にくる人が増えた。激増した。
それは漁業や農業関係の視察ではない。
増えたのは、デュランブ家の敷地内に建つトイレ研究所への視察だ。
しかも来られる方々の身分が、やたら高い。
侯爵家や伯爵家、果ては王家と繋がる公爵家からも視察に来られている。
トイレに関する資料は王都から定期的に送られてくるため、確かにトイレの研究所としてそれなりのものになっていると思う。
実際、騎士の方にも数人、トイレの研究を始めた方がいる。
だが、なぜ。
わざわざこんな端っこの領まで見にくるような大層なものではないはずだ。
確かに王室のメンバーが使用していた壷のレプリカは他のところにはないと思うが、見たいか、そんなの。
いくら綺麗で豪華でも、どこかの貴族家にあるだろう花瓶のコレクションでも見にいったほうが有益な時間を過ごせると思うのだが。
不可解だったのは、来られた方たちがみな一様に、
「お噂には聞いておりましたが、ロジーナ嬢の研究は本当に素晴らしいですね」
とわたしを褒めてくださることだった。
わたしは何もしていない。
あの時、殿下相手にもう二度とお目にかかることはあるまいとテンションが上がって、トイレを水洗にしたいと言っただけなのだ。
ただそれだけ。
なのにこうもこぞってお褒めいただくと、むず痒い。
相変わらず父は遠出しては大量の収穫物を持ってかえってくるので、来客の対応は母か長子のわたしがすることになる。
こういうの、怪我の功名っていうのかな、いや雨降って地固まる?
とにかくわたしは、ミス・マレットに教わったマナーを、実践することになった。
おかげで一月も経たないうちに、ミス・マレットから「完璧です! さすがレディ・ロジーナ!」と、マナーについては合格点をもらったのだった。
来られる方それぞれの家格と、その家での立場など、対応する際に考えなければならないことは多い。
それを瞬時に判断できるようになったのは、このスパルタ実践のおかげだ。
おそらくこの視察の大波は王家の企み。
高位貴族の方々に、男爵家令嬢としてではなく王子の婚約者として値踏みされているのが、わたしにも段々わかってきた。
殿下に指名されたのだから、殿下のため、王家のために、しくじってはいけない。
わたしが失敗すれば、殿下の評判に関わってしまう。
ウィリアム殿下からは、トイレの資料と一緒に手紙が送られてくる。
その手紙を読むたびに、漫画の優柔不断なイメージとは違う、知性溢れる腹黒さを感じている。
“ロジーナ嬢が水洗トイレの発案者で、トイレ研究所を仕切っていることにしています。視察の貴族たちには、位は高くはないが聡明で、王家が気にかける男爵令嬢として相応しいと思われるような振る舞いをお願いします”だったり、“できれば新しいトイレを考えておいてください”だったりと、完全にわたしを王妃にする足場を固めようとしている。
さらには新たな発明を求めてきている。しかも毎通、トイレ関係限定で。
***
さて、今回の殿下からのお手紙は……、
「お嬢様に仕えさせていただくことになりました、ルイーズでございます」
一人の女性とともに届けられた。
「ウィリアム殿下から伺っております。私はお嬢様が殿下とご結婚されてからも、生涯、お仕えする所存です。誠心誠意、お尽くしいたします」
えくぼの可愛らしい、わたしよりちょっと年かさの、ミス・マレットにも劣らない見事なカーテシーをする女性。
手紙を見ると、
“君の側仕えが必要かと思い、ルイーズを送ります”
いやそんな、ちゃんと食べてるか心配だから米を送ります、みたいなノリで人間を送られても。
“ルイーズは私の従者の中でも最も信頼している男の娘です。王室や王都での詳しいことなど、彼女から聞いてください”
「え、……っと」
いけない。
貴族令嬢としてしっかりしたお出迎えをしなければ。
ミス・マレットに監視しているかのような視線を向けられている。
何事にも動じず、涼しい顔をするのだ。
「ごきげんよう、グラナト男爵アンドリュー・デュランブが長子、ロジーナ・デュランブでございます。ルイーズ、あなたをわたしの側仕えとして、あなたの働きに期待します」
挨拶をしたところで、ルイーズについてきたらしい王室の侍女らしい人たちの声が外から聞こえてきた。
「あのお方よ、トイレのお姫さま!」
「本当に質素にしていらっしゃるのね、そうやってご自分のことより民のことを思われているのね」
「あのようにお優しいお方なら、王都の貴族のお嬢様方よりよっぽど殿下と結ばれてほしいわ」
「あの自動水流洗浄トイレをご発案なさったお姫さまよ、このように質素なお屋敷で質素な生活をされている自己犠牲の精神、どのお嬢様方より素敵な王妃様になられるわ」
「殿下も早くトイレのお姫さまを王都にお呼びになればいいのに」
「ルイーズ嬢はさすがですね、トイレのお姫さまの側仕えを命じられるなんて」
褒められているのか、ディスられているのか。
質素って、したくてしてる生活じゃないんだけどね!
田舎の領主の家なんてみんなこんなものじゃないのかしら。
ていうか、「トイレのお姫さま」って何。
わたしのこと?
外の声に気づいたルイーズが、
「申し訳ございません、お嬢様。あの者たちには厳しく注意しておきます」
頭を下げる。
ちょっと怖くて聞きたくないのだけど、はっきりさせておかなくちゃ。
「ねえ、『トイレのお姫様』って、何です?」
笑顔が引きつっているかもしれない。
ルイーズは優雅に微笑んで、言った。
「もちろん、お嬢様のことでございます」