65.マリカ公国、消える
マリカ公国は小さな国だった。
周りをアイオライト王国と海に囲まれ、多くの民は漁業と農業に従事していた。
産業といえば、アイオライトとの国境でとれる銀を加工、細工するくらいだった。
輸出量は大したことなかったが、国内にはじゅうぶん行き渡っていて、マリカの国民は生まれたときに銀のスプーンをひとりひとり国から授けられ、成人の祝いの贈り物は銀のゴブレットが定番、結婚する相手には必ず銀の髪飾りを贈る。
そんな文化だったから、銀細工の緻密さはどこよりも際立っていた。
それを見込んだアイオライトのある王は、周辺諸国とともに宝飾品ブランドを立ち上げた。
そのビジネスは大成功をおさめ、全世界の王侯貴族が買いつけに走った。
大国アイオライト王国の隣国であるがゆえに、マリカ公国はずっとアイオライトの属国扱いだったが、宝飾品ビジネスの成功でマリカの銀細工は世界で認められ、貿易相手として世界中から引く手あまたとなった。
アイオライトの属国ではなく、文化的価値のある国として、マリカ公国はその存在意義を示した。
しかし、隆盛を極めたマリカ公国はその後、アイオライト王国に編入される。
理由は何だったか。
マリカ大公が望んだからだ。
マリカの第一公女は、アイオライトの王妃を嫌っていた。
その王妃がとても立派で、慈悲深く、国民から愛されていたから、それに嫉妬していたのかもしれない。
王妃は田舎の、身分の低い貴族の出で、幼いころに王太子に見初められて妃になり、明晰な頭脳と思いやりのある人格によって、誰も否定できないほど素晴らしい「王妃」になった。
その来歴にも、ほんとうに小さな国の公女であった彼女は嫉妬したのかもしれない。
自分も大国の王妃になる資格があると、身の程知らずにも思ったのかもしれない。
そんな彼女は、自分が憎む王妃のいるアイオライトへの嫁入りを要望した。
王妃は自分に憎悪の感情を向ける公女が長男の嫁にくることを受けいれたというのに。公女はといえば、王妃を暗殺する準備までしていた。
幸いにも実行する前に、公女が自業自得の食中毒で死んでしまい、彼女は新しくできた豪華な墓地に葬られることとなった。
マリカ公国の第二公女が姉の第一公女の次にアイオライト王太子の妃になったものの、大公は第一公女の愚行を気に病んでいた。
自分の娘が嫁ぎ先でした愚かな行為を悔い、娘すら御せないのに国など統治できないと、アイオライトに併合を求めた。
アイオライト国王ウィリアムはマリカ公国をマリカ特別区とし、大公はアイオライト王国の一領主としてマリカ特別区を治めることになったが、その実アイオライト中央から派遣される者が行政を預かることになるだろう。
そして今まさに、マリカの城で、世界中の国から王や外交官を招いて編入の承認を得る会議を終えたところだ。
「満場一致でご理解いただけたことを嬉しく思う」というウィルの挨拶に拍手が起こり、つつがなくマリカ公国はアイオライト王国に編入された。
戦いもせず他国から認められたのは、会議の前の昼食会のおかげだと思う。
昼食会の主催はあくまでマリカ大公夫妻。
アイオライト王国国王ウィルと王妃ロジーナ、王太子ユアンと王太子妃メアリは、あくまで来賓。
同じく来賓客のみなさんは、大公夫妻とメアリのにこやかな再会と、そこでマリカの給仕たちが甲斐甲斐しく立ち働く姿を見て、しっかり絆されてくれたのだ。
「こんなに慕われているアイオライト王国になら、マリカを任せてもいいか」と。
それにアイオライト領に囲まれている小さな国に手を出そうにも、そりゃあアイオライトが守っているわけだから仕掛けるにはそれなりの犠牲を覚悟しなければならない。
マリカは獲れるかもしれない領土だったけれども、アイオライトを敵に回してまで取らねばならない土地ではなかった。
いくら銀が産出されるといっても運搬する経路はすべてアイオライトが押さえているし、宝飾品ビジネスが成功しているからとはいえ間違った政策で荒廃していたマリカ公国内は、アイオライトの介入でやっとこさ落ち着いたのだ。
これで別の国が獲りにきても、平定するには民衆の反乱を鎮めてからになるだろう。
メリットよりもデメリットのほうが多い。
昼食会でアイオライトとマリカの親密さを見せつけられた賓客たちは、腹に何を抱えていたかは知れないが、表面上はとても友好的に終わった。
賓客のなかにはもちろんアイオライト前国王モーレイ八世と前王妃イザベル・アンヌ様もいて、ふたりともウェスティリアの正装をしていた。
アイオライトの外交官でもあるしウェスティリアの外交官もする、イレギュラーなおふたりだ。
「お初にお目にかかります。メアリ・フィオヌラでございます」
まだ場内に他の外交官たちがいる中、マリカの元公女、現アイオライト王太子妃が、今回はウェスティリアの代理人であるモーレイ八世とイザベル・アンヌ様に、最上級のカーテシーをしてしまった。
アイオライト前国王夫妻で、メアリの夫の祖父母になるとはいえ、衆目監視の中で一国の大使として来たふたりにそんなにご丁寧なお辞儀をしてしまうと、階級の秩序が危うくなる。
ここでの正解は、ふんわり膝を折るくらいでよかった。
……まさかこれが、「イジワル王妃がわざと外交儀礼を教えなかったため国外との軋轢が生じ、国王も仕方なく王妃を修道院に幽閉する」っていう部分に該当しないわよね?




