62.第一王子、国王の腹黒さが遺伝していた
城中が慌ただしくなる。
先日までの貴族会議のときのような賑わいではなく、ピリピリと今にも斬り合いでも始まりそうな雰囲気。
「こちらでございます」
オリバーに先導されてやってきたのは、城の端に設けられたソフィアの寝室。
お母様と鉢合わせないようにと父上が、王妃の寝室から遠いところに増築した。
僕の妃となるはずだったソフィア・ベル・オリヴィア。
初めてその寝室に入るのが、彼女が死んだときだなんて。
「朝食のあと、吐き気がすると仰い、苦しみだして……」
蒼白な顔色でそう説明してくれるのは、ソフィアの侍女。
寝台のそばに倒れているソフィアを改めて見やる。
苦しみに満ちた表情。
唇の端から垂れた唾液が、顎で乾いて固まっている。
可哀想に思えないのは、お母様への憎悪を彼女があらわにするのを見てきたからだ。
自動水流洗浄トイレを発明して、多くの民の命を救ったお母様。
王家に背く貴族に、危険を顧みず自ら立ち向かっていったお母様。
貴族だけでなく平民の暮らしもよくなるようにと、救貧院や診療所を増やしたお母様。
尊敬こそすれ憎む人間がいるなんて、想像もしていなかった。
だから去年、マリカ公国で初めて彼女に会ったとき、「あたしはユアン殿下のお嫁さんになりますが、『トイレの王妃様』とは家族になろうと思いません」と言われて、面食らった。
ソフィアが反『トイレの王妃様』的行動をしているのは聞いていたけれど、マリカという国にとって重大な婚姻の顔合わせでそんなことを言うなんて、立場も情勢もわかっていない。
こんな無知で愚かな王女が妃になるのかと、気持ちが重たくなった。
マリカの大公もあわあわするだけで、ソフィアを止めようとはしない。
ダンスのときには、アイオライトとマリカでは少しだけステップのタイミングが違うけれど、ソフィアはマリカ式を通した。
僕のお嫁さんになると言うが、本当にそう思っているのだろうか。
アイオライト王室に入って、いずれはアイオライト国王の妃として、アイオライトに骨を埋める覚悟があるのだろうか。
とてもそうは思えない。
いくら政略結婚が王族の仕事だとしても、自分の将来に立ちこめる暗雲の気配が振り払えなかった。
家族は大事だ。
大切にするものだ。
父上がお母様を大切にしているのを、僕はこの目で見てきた。
お母様の育ったグラナト=ガラナト領は、昔はとても田舎だった。
父上と婚約するまで、お母様は王都に来たこともなかったという。
アイオライト王国の第一王子だった父上に求婚されて、お母様は王妃になるべく厳しい教育を受けた。
今はもう、誰よりも華麗なステップでどんなダンスでも踊るし、常に王妃然として微笑み、親しみを示す。
どこの国の大使とでもその国の言葉で話そうとするし、国王である父上が望む方向に物事が動くように注意している。
お母様は立派な王妃だ。
最初からそうだったわけではなく、愛する父上のために努力してそうなったのだ。
父上は、そんなお母様を気づかい、お母様が必要だと言ったものへの予算は惜しまず潤沢に出している。
婚約中に一生分になるほどのドレスを送られて困ったというエピソードもあって、宝石なんかも贅沢なものは欲しがらないお母様だけど、救貧院の職業訓練プログラムの立ち上げには結構な支出をしたらしい。
結局それは、父上の治世の安定と、民の暮らしのためになって、決して無駄なものではなかった。
それで父上は、もっとお母様のわがままを叶えてあげたいとヤキモキしている。
首飾りとか、ドレスとか、新しい宮殿とか、外国の珍味とか、不老不死の妙薬とか、そういうのを欲しいと言ってくれればいいのにって、たまにぼやいている。
父上は、お母様のことをもっとずっと愛している、と伝えたいのだ。
そんな両親を見てきたから、自分もそうなれたらいいなと、漠然と思っていた。
だから、ソフィアが僕の家族になろうとしてくれていれば、こんなことにはならなかった。
そう、彼女を殺したのは、僕だ。
***
「どうしてこんな……」
父上よりも早く、お母様が来てしまった。
死んだソフィアを前にうろたえるお母様の瞳に、動揺と安堵の色が浮かんでいる。
いくら博愛主義のお母様だって、ソフィアのことは積極的に好きにはなれなかっただろう。
「食中毒じゃないかな」
「そんな……っ」
食中毒だと言い、ワゴンの上の、朝食が盛りつけられていただろう皿に目線をやる。
すると侍女は納得したようだった。
幼いころ、厨房の使用人たちを巻きこんだ騒動で、彼らを城から追放してしまった僕は、反省し、あのときよりは上手に工作できるようになった。
ソフィア付きの使用人棟の料理人は、始めから僕のスパイだ。
使用人棟に帰宅する侍女たちの愚痴を、僕に知らせてくれていた。
馬鹿なソフィアは、このアイオライト王城内でさえ、「トイレの王妃様」の悪口を言いまくっていた。
ソフィアの朝食はいつも、辛く煮た豆に、しっかり焼いた目玉焼き、豚肉の血入り腸詰の厚切り、それにたくさんのマッシュルームのソテー。
どこまでもマリカ風を貫いていた娘だった。
今日は料理人に、ソフィアのマッシュルームを、良く似た毒キノコにすり替えてもらっていた。
「朝食の余りがあれば、医者か生物学者にでも見せておけ。あと、ソフィアに出した料理の食材もな」
ニセマッシュルームを本物のマッシュリームと間違うのはよくあることだ。
王城に出入りする業者が間違えるのは大ごとだが、ソフィアは自分だけのためにわざわざマリカの商人を呼び寄せて買っていた。
腸詰とマッシュルームはマリカ産のに限るわね、などとうそぶいて。
だからこれは、ソフィアの自業自得。
みんなそう思ってくれるだろう。
見目だけなら、あるいは傾国の美女になっていたかもしれない。
けれど、頭の中身が残念なら、僕が飼っておく意味もないのだ。
「母上はもうお部屋にお戻りください。このような場を御目に入れるのは心苦しく思います」
僕がそう言うと、お母様はルイーズに支えられて去っていった。
「あまり気を落とさないようにね」と、僕を気づかう言葉を残して。
やはりお母様はお優しい。
ソフィアの部屋なんて近づきたくなかったろうに。
今度の妃は、お母様のように優しい娘がいいな。




