5.大国の第一王子、田舎男爵の令嬢を見初める
十二歳だった。
十二歳ともなれば公務も負わなければならない年齢だ。
私は王子、なのだから。
会議や茶会などに顔を出すと、我も我もとアピールされた。
自分の子を婚約者に、とか、私を婚約者に、とか。
アイオライト王国というそこそこ大きな国に第一王子として生まれて、王子としてではなくウィリアムとして自分を見てくれる人間はほとんどいなかった。
幼かったころはそれを不満に思ったこともあったが、否、そもそも、民のためにあるべき王族が、個人を評価してほしいというのが間違っているのだろう。
結婚相手も、国のためになる女性を選ばなければ。
国のために身を捧げる。
それが私の、王族である私の誇りなのだ。
***
王宮のある王都アダマス。
その位置は、国の中でも北のほうにある。
王都に出回る果物で、柑橘系がもっと欲しいと言った父王の視察について、私も王国の南端にあるグラナト領に行くことになった。
そこは緑の風の気持ちいい、豊かな香りのする土地だった。
領主アンドリュー・デュランブを始め男爵家全員、かなり緊張しているようだったが、嫌味のない、敬意に満ちたまなざしを父王に向けられていた。
物語に出てくるような、素朴な農夫とその家族。
男爵家に対して失礼な印象かもしれないが、実際領主は漁師のような猟師のようなことをしているようだったし、夫人はそれこそ畑を自ら耕すというのだから、農夫という例えが間違っているとは思えない。
それに、着ているものも、王都で見る貴族とは違い、質素な生地に地味なデザインだった。
それでも子どもたちの肌はつやつやと輝き、王都の目が死んだような、澱んでいるような人たちとはまったく異なる、素晴らしい家族なのだろうと思った。
グラナト領では一泊しかしていない。
そこで私のコンパニオンとして紹介されたのが、領主夫妻の長子、ロジーナ嬢だった。
ロジーナ嬢は、貴族の息女としては作法が満足に身についているとは言えなかったが、くもりのない瞳ときれいな歯並びが垣間見えるくちびるから出てくる女の子にしては低めの声で、この人は信頼に足る人間だと感じた。
それまで話しかけてくる女の子といえば、甲高い声ばかりだったから、というのもあるけれど。
だから興味がわいた。
「このグラナト領は、女領主が認められている土地ですが、ロジーナ嬢は領主を継ぐお気持ちがおありですか?」
この女の子は、貴族として領土領民を考えることがあるのだろうか、と。
あってほしいと願った。
この女の子がそのようなことに関心があれば、もっと腹を割って語り合えるかもしれない。
ロジーナ嬢は一瞬ぽかんと口を開けて(このような表情の女の子を見るのは初めてだった)、
「……領主になるとは考えてもみませんでした」
眉を下げて言った。
「でも、もしなれるとしたら、わたしは民のために、引いては自分のためにもなるという欲深さもあるのですが、それはお目こぼし頂くとして、わたしは……」
今度は微笑んで、
「わたしはトイレを水洗にします!」
予想外のことを宣言した。
トイレを水洗に、とはどういうことなのか。
聞けば聞くほど、素晴らしい案だと思った。
流行り病の原因が、排泄物とトイレから下水道までの間にあるのではないかと町医者たちが囁きあっているのを、城下町お忍び散歩中に聞いたことがある。
ロジーナ嬢の言う水洗トイレとやらは、もしかしたら流行り病の予防策になるかもしれない。
「ロジーナ嬢、水洗トイレの話、もっと聞かせてくれないかい」
促すと、ロジーナ嬢は夢を見ているような口調で水洗トイレについて語ってくれた。
それはまだ誰も見たことがない、水流によって排泄物が下水道まで流れていくトイレの話だった。
そこに人の手が直に触れることはないのだという。
私とこのロジーナ嬢との出会いは、国のために与えられたチャンスだった。
この少女の考えが国をよりよい方向へ導いてくれるかもしれない。
きっと私はこの少女を妻に、妃にするだろう。
ロジーナ嬢の父、グラナト男爵アンドリュー・デュランブに、私は子どもの無邪気を装って、ロジーナ嬢が他の誰かと婚約してしまわないよう頼んでおいた。
もっとも、未来の義父上は本気にしていなかったようだが。