44.トイレの王妃様、長男が中二病を発症する
ユアンとの視察から王城に帰ると、シャロンが泣きながら走っていた。
「キュウリはいやよー!!!」
「シャロン様、走ってはいけませんー!」
「シャロン様、大きなお声をお出しになってはいけませんー!」
シャロン・イザベル・クローディア。
ユアンの二つ下の妹だ。
優しい子になるようにイザベル・アンヌ様からお名前を頂いたけれど、悪役顔のわたしに似て、まだ五歳なのにはっきりきっぱりしたツリ目……。
絶対漫画の悪役子姑「シャロン」と同じ顔に成長するのが分かる。
悪役顔だけど子姑のシャロンは美人に育つはずだから、そこは嬉しいのだけれど。
そんな彼女は歳相応に、食べものの好き嫌いが激しい。
特にこの国では珍しいキュウリが嫌いのようだ。
今もお昼のお茶のサンドイッチに挟まっていた薄切りのキュウリを避けて食べようとして、横についていたマナー教師のワーズワース夫人とメイドに競歩で追いかけられている。
「お兄さま、たすけてー!!!」
わたしたちを見つけたシャロンが、ユアンに向かって走り寄ってきた。
母親のわたしもいるのに兄のユアンに抱きついていく。
ブラコンだなあと思うけど、まだ七歳と五歳だしね。
ユアンは妹相手にいつも笑顔で、たしなめるべきところはたしなめ、よいお兄ちゃんをしている。
兄妹仲睦まじいのは、睦まじくないのよりは断然いい。
「お兄さま……? おこってるの……? なんで……?」
今日もまたかわいい我が子たちがきゃっきゃするのを眺めようかとわたしとユアンの分のお茶を淹れてもらっていたら、シャロンが不思議そうにユアンの顔を見ていた。
いつもみたいに兄は妹に微笑んでいるかと思っていたのに、硬い表情でシャロンを睨んでいる。
「シャロン、僕たちは、罪深い……」
一言、暗い声でそう告げると、ユアンはわたしに礼をして、行ってしまった。
彼の侍女たちが、これまた不思議そうな顔をしてユアンの後ろをついていく。
すわ中二病か!? と焦りかけたが、先ほどの視察で見た光景を思い出した。
食べるものを盗まないと生きていかれない少年。
そんなにユアンと歳がかわらないようだった。
「シャロン、こっちへおいでなさい」
「はい、お母さま」
用意されたお茶は、ミルクによく合うアッサムティーだった。
この茶葉も、アイオライト王国が持っている植民地から船で運ばれてきたものだ。
シャロンがサンドイッチを取っている皿から、抜かれたキュウリをつまむ。
「お、王妃陛下、シャロン様のお残しになったものはこちらで処分致しますから……!」
シャロンの侍女がうろたえて、わたしを止めようとした。
それを制して、わたしはシャロンの口元に新しいサンドイッチを運んでやる。
「お母さま、キュウリが……」
「シャロンのキュウリ嫌いは、食べたことがないものに対しての恐怖からです。一度食べてみてから判断なさい」
多少の好き嫌いがあっても、ゆとりのある暮らしなら困らない。
別のものを食べればいいのだから。
しかし路地の少年たちは違う。
食べられるものにありつけたら、それがどんな味であろうと食べなければ、生きていけない。
「お母様もね、あなたくらいのときは嫌いな食べものがあったわ」
「ほんと!?」
「でも、お母様のお父様、あなたのアンドリューお祖父様に、すごく怒られたの。ぜんぶ食べなさいって。この世界のなかには食べたくても食べられない人がいるから、わたしたち持てる者は、目の前にある豪華な食事を感謝して、すべて食べなさいって」
「でも、キュウリはいや……」
「お兄様は、今日から内臓のパイを食べるそうよ」
ユアンの嫌いな食べ物は、鳥やうさぎの内臓のパイ。
ホルモン系は嫌いな人は嫌いねーという感じだけど、栄養たっぷりで、庶民の家では家長だけが食べられる特権的なメニューなのだ。
今日のユアンの様子では、出されるものはぜんぶ食べるようになるだろう。
シャロンは、大好きなユアンが暗い表情をしていたのを思い出したらしく、ちょっと考えたあと、キュウリ入りのサンドイッチを口に入れた。
涙目になりながら、きちんと食べきっていた。
***
ある日、王城が大混乱に陥った。
ユアンがいなくなったのだ。
ユアンはまだ八歳になったばかり。
幼い王太子が誘拐されたのか、と王城にいる貴族らに動揺が走り、わたしとウィルもユアンの部屋に来てみたのだが。
ユアンの侍女がおずおずと指さしたベッドの上に、答えが置かれていた。
『王子と乞食』。
新大陸で書かれた小説。
王子と乞食が入れ替わり、王子はそれまでの身分では知りえなかった理不尽な体験をする。
王子の目線で社会を風刺した話だったような。
その紺色の表紙の本が、そこにあった。
確かそれはウィルが取り寄せて、読み終えたあとは図書室に入れていたはずなのだけど……。




