31.トイレのお姫様は王妃になった4
結婚式と戴冠式は、王城の一番大きなホールで行われた。
イザベル・アンヌ様から託されたエメラルドの冠が重い。
ウィルを見ると、頭には宝冠、右手には王笏、左手には宝珠、肩から分厚い深紅のローブ。
わたしよりとても重そうだ。
モーレイ八世前国王陛下とイザベル・アンヌ前王妃陛下は、各国からの賓客の前で、ウィルとわたしが後継であること、ご自分たちが今後アイオライトと諸国の友好のために尽くされることを告げられた。
ウィルとわたしが侮られるようなことがあったら、アイオライトの元国王とウェスティリアの血を引く元王妃が黙ってないぜ、という意味だと招待客全員が理解できただろう。
戴冠式のあとのパレードでは王都のメインストリートを馬車で回る。
王都民だけでなく地方や外国からの見物客が入り乱れて、王都の人口過密度の史上最高値を更新している。
それでもあまり臭いが気にならないのは、この数年で「清潔にすれば病気になりにくい」と世界中で周知されたからだ。
みんな湯船に浸かるかはともかく、ちゃんと毎日石鹸で垢を落として、清潔にするようになった。
香り付きの石鹸や、石鹸で洗った体に合う香りが次々と発売されて、貴族の香水文化も変わってきている。
「国王陛下ばんざーい!」
「トイレの王妃様ばんざーい!」
「トイレのロジーナ様ばんざーい!」
パレードの最中はずっと万歳に包まれた。
ちょっと気が抜ける。
あと「トイレのロジーナ」は「トイレの花子さん」みたいだし、ずっとトイレにいる人みたいだし。
トイレのことは忘れてくれないかなあ。
でも、民らがこんなに祝福してくれるのは、本当に嬉しい。
白馬の引く馬車で、ウィルと微笑み合う。
「ウィル、民のために、愛をもって生きていきましょう」
「ああ、ロジーナ。民のため、国のため、権力の誠実なる行使を」
わたしはのぼせ上がっていたのかもしれない。
王子様に好きだと言われて、侍女にかしずかれて、民に讃えられて。
わたしは大丈夫だと、漫画の王妃みたく意地悪婆にならないのだと。
たとえ何か問題が起きても、最後はすべて上手くいくのだと。
イザベル・アンヌ様に教えていただいていたのに。
王妃になるなら他人を使えるようになれと。
使ってよい他人か、信頼できる他人かを判断できるようになれと。
わたしは、なにも分かっていなかった。
***
王妃生活は思ったより忙しくなかった。
他国から外交に来た王族貴族をもてなしたり、国内貴族のお茶会やサロンに参加したり。
今年はシーズンが終わっても王都に残る貴族が多かったから、とにかく社交、社交、社交。
これでいいのかってくらい、着飾って喋って笑って飲んで食べる。
もちろん談笑する中で情報収集をして、政治的にどうするかっていうのも考えることはある。
ただ、反ロジーナ派の貴族も戴冠式で国外の王族からわたしが認められたのを見て大人しくしているから、反乱の芽が見つかるというようなことはない。
「こんなに楽でいいのかしら」
「ロジーナ様はご立派に王妃の義務を果たしてらっしゃいますよ」
うっかり口に出てしまった呟きに、ルイーズが答えてくれる。
「それに今はほとんど国内でのご公務ですから、楽に感じていらっしゃるだけではないでしょうか」
「うーん、確かにイザベル・アンヌ様も、国外に出ていらっしゃる以外はほぼ毎日お茶会に誘ってくださっていたわね」
「それもある意味で義務だったのですよ、ロジーナ様に王妃教育なさっていたのでしょうから。あ、でも、イザベル・アンヌ様はロジーナ様のことをお好きだったと思いますよ。いくら王妃教育のためと言っても、毎日会う必要もないのですし」
「ええ、わたしもイザベル・アンヌ様が好きだし、素敵な時間だったわ」
「ロジーナ様が肥えなくてよかったです」
実は何回か、ドレスが苦しくなったことがある。
そんな時は心を鬼にして、イザベル・アンヌ様から勧められるおいしそうなお菓子を食べるのを我慢した。
「本日のご予定は、午前中に国王陛下とご一緒に王室騎士団の視察、お昼から夜まではロジーナ様のお母様であるトリエ・デュランブ様とのお時間を取っております。ごゆっくりお過ごしくださいませ」
メイドのアシュリーが髪を結ってくれている間に、ルイーズが予定を読みあげる。
騎士団の視察があるからか、今日のドレスはシンプルな紺色で、袖と裾には黒のレースの縁取りがしてある。
「ティアラは、こちらのサファイアのものが合うかと」
「そうね、首飾りと耳飾りも合わせてちょうだい」
「かしこまりました」
ベルベットを貼ったトレイに、サファイアの首飾りと耳飾りが置かれた。
ティナム男爵夫人のお茶会のときにつけたのもこの耳飾りだったと思い出す。
ウィルからは、「縁起が悪いから別のものに加工しなおそうか」と言われたけれど、これはこれで気に入っているから、断った。
小ぶりだから、つけていて罪悪感がないのだ。
まだまだ貧乏性だわ。
***
騎士団の視察を終えて、今度は花柄の刺繍が入ったラウンドガウンに着替えた。
もうだいぶ暑くなってきたから、結婚して胸元の開いたドレスを着られるのが嬉しい。
「グラナトは今どんな感じ?」
「そりゃもう盛り上がってるわよ。ロジーナが王妃になったから、毎日お祭りみたいなもんよ。この前なんか、王都からサーカスが来てたのよ。前まであんなの来たことなかったのに」
「石炭が出てからグラナト、都会になったからなあ」
「そういえば言ってあったかしら。うちの屋敷、建て直ししたのよ」
「え、聞いてない!」
「石炭で儲かっちゃって。立派になったわよお、ちゃんと客室もあるの! それに海の近くに大きなホテルを建てたのよ、なんと貴族向けのよ」
イザベル・アンヌ様から引き継いだお庭で、お母様とお茶を飲む。
グラナトは「トイレのお姫様」の生まれ育った地ということで、国民が聖地巡礼のように訪れている。
鉄道網が整備されて、貴族やお金持ちでなくても随分遠くまで旅行できるようになった。
貴族から「田舎すぎてちょっと無理」と言われていたグラナトも、今では立派なリゾート地になったのだ。
「何かもう、信じられないなあ。あんなに田舎だったのに」
「そうよねえ、目の当たりにしていても信じられないもの」
海水浴ができるグラナトは、夏の旅行地として人気になった。
新鮮なオレンジが食べられることも、もともと空気がきれいなことも、交通の便さえ良ければリゾート地としてやっていけるポテンシャルがあったのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
「でも最近ちょっと、変な病にかかる人が出てきてね」
「病?」
「農民の子どもが二人、死んだのよ。体が黒くなって」
「体が、黒く……?」
「高熱を出して、体が黒くなって、すぐだったわ」
「それは……、他にも罹っている人はいる?」
「私が出てくるときにはいなかったけれど、分からないわ」
そうじゃないと思いたい。
覚えがあるのだ、体が黒く変色して死んでしまう病気に。
前世では、とうに時代遅れになった病気だったけれど。
「その農民の住所を教えてください、医者を向かわせます。あと、病が出た辺りを封鎖します」
「ロジーナ!?」
「お母様、恐れ入りますがしばらくこちらに滞在なさって」
「え、ええ……」
ペスト。
黒死病と呼ばれた感染症。
それではないかもしれない。
だけど、それかもしれない。
わたしが直接行くわけにはいかないから、下水道の重要性を早くから理解していたという医師を派遣するよう、指示を出した。
ペストなんて、日本じゃ罹ったなんて話、聞いたこともない。
治療法も分からない。
ただ、もし本当にペストだったら、広がるがままにしてはおけない。
***
宝石を入れていた抽斗からいくつか石がなくなっていることに気付いたのは、ルイーズもメイドも下がらせた後。
お風呂に入る前で、耳飾りを外して、それをしまおうとした時だった。
スピネルの耳飾りと、ペリドットの首飾りがなくなっていた。




