3.いつか王妃になる田舎男爵の令嬢、決意する
目を開けると、わたしは自室のベッドに寝かされていた。
気絶したんだっけ、とぼんやり思い出す。
そして、自分が漫画の登場人物だったことも、はっきりと自覚した。
勘違いじゃないという確信が、なぜかある。
わたしは間違いなく、あのロジーナ王妃だ。
嫁いびりして、幽閉される、あの性悪バカ王妃。
わたしがああなるとは、今は想像もつかない。
いえ、思い出したからには、ああならないように振舞うこともできるはず。
ならば、わたしは絶対、あんな王妃にはならない!
幽閉なんかされず、もちろん嫁いびりなんてしない、普通の暮らしをするのだ!
それに、ウィリアム王子殿下からお手紙を頂き、モーレイ現国王陛下の従兄弟であるモントローゼ公アーチボルト・カーライル卿が直々にお越しになったのだから、この結婚の話は断れない。
覚悟を決めなければ。
起き上がると、メイドのデボラが父と母を呼んだ。
二人はにこにこしながらわたしの前に立ったが、その顔はものすごく青い。
吸血鬼の被害者もかくやというほどに、青い。
「ロジーナ、お前の婚約が決まったよ」
「あなたもお手紙を読んだでしょう、ウィリアム殿下自らあなたを選ばれたのよ」
「うちみたいな貧乏男爵家の娘を選ばれるとは信じられないくらいなんだがね、ロジーナの聡明さを望まれたようだよ」
今まで父や母や妹弟たちや使用人たちを、「ロジーナったら変なことを言うのね」と困惑させた、わたしが語る前世の記憶の欠片は、殿下には聡明と映ったのだろうか。
ていうかトイレの話を殿下にするって、女として失格もいいとこでしょ。
殿下は何で見初めてくださったのよ。
お心が広い。広すぎるわ。
「嫁入り道具なんかは持たず、身一つで構わないと殿下は仰ってくださっているそうだ。我が男爵家では王室に見合うような物を持たせることはできないからね、気をつかってくださったのだろうが、いやもう信じられないよね、うちの娘が王家に入るなんて、ましてや王位継承権第一位のウィリアム殿下の妃になんて、信じられなくて今も夢じゃないかと思ってるんだよ」
真っ青かつ饒舌な父は、だいぶまいっているようだ。
隣の母も、後ろから腰のあたりをメイドに支えてもらって立っている。
そりゃあ、そうなるわよね。
使用人の人数は最低限、メイドは農閑期の村の奥さんや娘さんたちを雇っているし、住み込みなのは家令と料理人とメイド頭と乳母の四人だけ。
そんな田舎の、貧乏な、貴族の中での地位が最も低い男爵家から、王室に嫁ぐような子どもが出るなんて、誰が想像できよう。
しかも、だ。
この国では貴族であろうと重婚は罪になる。
ウィリアム殿下がわたしを婚約者に指名したとなると、それはつまり、殿下が即位したらわたしが王妃になること決定だ。
まさかこんな家から王妃が出るとは、父でなくとも卒倒しそうになるだろう。
対してメイドたちは、「おらが村の姫が国のお妃様になるぞ」と盛り上がっているのがわかる。
こっちの反応のほうが気が軽くなる。
「あの、モントローゼ公爵閣下とイアン様は?」
王家の使者の行方を尋ねると、
「婚約に承知したとのお答えをして、すぐに帰られたよ。さすがに王室に連なる方々は雰囲気からして高貴だったね、王都は遠いから、僕は三年に一回の貴族会議があるときしかああいう高貴な方々にお会いすることはないからね、何の心構えもなくお目にかかると、心臓が一生分働いた感じがするね」
こんなに饒舌な父は、一年前に国王陛下が視察に来られたときに見たきりだなあ。
***
父が言うには、わたしが婚約者として城に入るのは一年後の春。
それまでは王都から教師が一人派遣され、教養を詰めこまれるのだという。
なるほど、田舎男爵の娘を妃にするなんて、根回しする期間も必要だし、田舎娘を王室に馴染めるように教育する期間も要るものね。
ウィリアム殿下から頂いた手紙を、改めて眺める。
本来なら、王家の紋章の封蝋ひとつだけでも、この男爵家の家宝になるはずなのに。
“ロジーナ嬢が思いついた自動水流洗浄トイレ、あのおかげで国の衛生状態は格段に改善された”
“設置する際には助成金も出すことにした。”
“自動水流洗浄トイレを使っている者とそうでない者とに健康の面で有意な差が出たから、これで流行り病をいくつか防げるなら安いものだ。”
“他国からもこの政策に賞賛の声が上がっている。”
水洗トイレが発明されたという噂は聞いたことがあったけど、まさか発案者がわたしにされてたなんて。
しかも助成金って、国の財政が動いているなんて。
他国からトイレを賞賛されているなんて。
いや、水洗トイレは賞賛されるべきものよ。
発案者が誰であろうと、これでずっと手間がはぶけるはずだもの。
ああ、早くうちにも水洗トイレ、来ないかしら。
と思っていたら、夕方だというのに玄関のほうが騒がしい。
ガタンガタンと、何かが運ばれている音がする。
「何かしら」