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20.いつか王妃になる田舎男爵の令嬢、川を欲する



ところで、わたしは水浴びがしたい。

王都に来てから一度も川で水浴びをしていないのだ。

どうも王都の庶民の人たちはみんな、井戸から汲んできた水でちょろっと顔と体を拭うのが普通。

しかも朝に一度だけ。

お金持ちだってシャワーに使える量のお湯を用意するのはたいへんだから、お化粧をした女性の顔を洗うのに優先すると、その家族全員がシャワーを浴びるのに十分なお湯は到底余らない。



ならば!

川だ!

グラナトのシェネビ川と同じような綺麗な川があれば!

みんな水浴びできる!

とにかくこの王都には川が必要なのよ!






こんなに川を欲しているのには理由がある。



グラナトの村でだってこんなに水浴びするのはわたしだけだったけど、人口密度がそんなに高くなかったせいか気にならなかった臭い。

人間の臭い。

それが王都ではとにかくすごい。


前世、満員電車に乗っていたときの臭いだってここまでではなかった。

この世界は日本人よりもともとの体臭が濃いのと、お風呂の習慣がないのとで、人間の臭いがすごい。

人間の臭いが重い。

流行り病の原因は瘴気だ、と考えられていたのも分かる。



「以前は何とも思っておりませんでしたが、グラナトの良い空気のなかで生活したあとだと、ちょっと我慢できなくなってしまいますよね」



苦笑いのルイーズの横で、王都の地図を広げて川の位置を確認する。

地図上にある川はぜんぶ見にいった。

下水道の整備は進んでいるとは聞いたが、それでも洗濯後の水なんかはそのまま流されている場所も多く、とてもシェネビ川のように水浴びできそうにない。


今ある川はそのままでは使えない。

今から綺麗にしてもすぐに水浴びできるようにはならないだろう。

むしろ川、新しく一本つくったほうが早いのでは。






そんなわけで、ここに都合のよい人物がいます。



「川をつくってください!」



わたしがお願いした相手。

それは、この国の第一王子。

王位継承権第一位のウィリアム殿下だ。


王妃陛下とのお茶会の夜、お忍びでいきなりやって来られたのだ。


もてなす準備はすべてルイーズが整えてくれていたし、夜着に着替えようとしたわたしに王妃陛下がお召しになっていたようなラウンドガウンを勧めてきたので、もしかしてルイーズは知っていたのでは?

と考えていてもしょうがない。

それよりも、今のわたしには大事なことがある。



「このままでは水浴びできなくて死んでしまいます!」

「川は……、そんなすぐには無理かなあ」

「じゃあお風呂で!」

「は?」

「お湯をですね、大きな桶に入れて、その中に人が入って、身体を洗うのです! そしてお湯をざっぶざっぶ使いまくるのです! それを王都中の人の分、作ってください!」

「待て、そんなにお湯が要るのか!? そっちのほうが無理だ!」

「じゃあやっぱり川で!」



だんだん焦っていく殿下にたたみかける。



「たいっへんに申し上げにくいのですが、恐れ多くも殿下から賜りましたこのタウンハウスには、お風呂、湯殿がないのです。ならばと川で水浴びしようと王都中の川を見にいきましたが、水浴びに適した川がありませんでした」

「それは……、何というか、すまなかった。貴女がここまで水浴びや湯浴みを好んでいるとは知らなかったのだ」

「ええ、承知しております。わたしのほうが異常です。分かっております。ですがここは譲れません。川を! ください!」



メイドや殿下のお付きの人たちが、ハラハラしている。

わたしが殿下の婚約者だと知らなければ、無理難題を押しつけている迷惑女に見えるだろう。



「貴女の言う川を作り、王都の民がみな水浴びするようになったからと言って、何か利点はあるのか?」

「清潔になります! 流行り病だってもっと少なくなる! はずです!」



殿下の疑問に即答する。


だってまさかここまで王都の人たちが、言い方は悪いが不潔だとは思っていなかった。

そりゃ病気にもなるわ。


わたしの解答に、殿下が唸る。

初めて水洗トイレの功績を盾にするのがこの場面とはどういうことよ、とは思うものの、そうしてまでも欲しいのだ、川が。


ぐらついているであろう殿下は難しい顔のままだ。



「私としても、自動水流洗浄トイレを考えてくれた貴女の願いには応えたい。だが、ここアダマスはグラナトとは違って、冬は寒い。春夏はいいとして、秋冬は川には入れない」



一瞬、「みんなで入れば寒くない!」と言いかけたが、王都の気候について書いたテキストを思い出した。

王都は冬、池に氷が張るくらい気温が下がるのだ。

無理だ。

寒い。


じゃあ流れる温水プールとか!

って温水が! お湯が! 大量に沸かすにはめっちゃ木とか燃やさないといけないんだよこの世界!



「だ、駄目ですか……」



人生で最も落胆した。

こんな臭気に包まれて生きていかなければならないのか。

王城は、鍛錬している騎士らの汗臭さと、城勤めの人たちの香水のにおいが混じっていた。

それこそ王妃陛下のお庭くらいしか鼻で息ができるところがないのではないか。




人生オワタ\(^o^)/




そんな顔文字が脳裏に浮かぶ。



「そもそも、いつか王妃になるだろう貴女を、民と一緒に川で水浴びさせるわけにもいかない」

「あ」



そっか。それもそうだ。



「しかし、だ。清潔になれば確かに病も少なくなるだろうとは思う。先の自動水流洗浄トイレと下水道のことで確信した。たとえ瘴気が病の原因だとしても、王都の瘴気は王都に暮らしている人々が清潔にしていないから出ていると私は考えている。清潔にして病が少なくなれば結構なことだ。それに、まあ、実際、臭いしな……」



よかった、殿下の鼻も正常だった。

王都で普通に生活してると、鼻が馬鹿になるのかと思った。



「民には民のための水浴びできる川をつくるとして……、春夏だけでもそこで水浴びしてもらって、問題は秋冬だな……。お湯を大量に使うような湯殿を全戸に設置するのは現実的ではないし……庶民ならば多少裸を他人に見せても大丈夫だろう……一人一人にそれなりの量の湯を用意するのは無理だが、巨大な桶に湯を張って大勢で一斉に入れば……確か古代にそのような施設があったと文献に……」

「あの、わたしの川は」



考えこんでいる殿下に呼びかける。

民の水浴びも大事だが、わたしはすぐにでも水浴びしたい。

お風呂だと尚良し。



「ああ、失礼。ロジーナ嬢にはこの屋敷で湯浴みできるよう、十分な量の湯を沸かすためのかまどを新築させよう」

「ありがとうございます!」

「すぐに手配するから、しばらく待ってほしい」

「明日ですか!? 明後日ですか!?」

「……なるべく早くする」

「わーい! ありがとうございます!」



後ろにいたルイーズを振り返って、ガッツポーズしてしまった。



「お嬢様、よかったですね。これで川を求めて夜中さ迷い歩くこともなくなるのですね」



ルイーズ、やっぱり怒っていたのね……。

ここで言わなくてもいいじゃない。

危ないからと言われて護衛をつけるようにはなったけれど、さすがに女子が夜中に出歩くのはよろしくない。

それは分かっているけれど、どうしても水浴びしたかったのよ……!



「ロジーナ嬢、貴女は誘拐されたというのにまた……!」



殿下の目が見開かれる。

ああ、怒られるかしら。



「今夜は無理ですが、明日にはこの屋敷でたっぷりのお湯で湯浴みできるようにさせます。だからもう、夜中に出歩くのはお止めください」

「あ、はい……」



思いのほか冗談ではなく心配させてしまったらしい。



ウィリアム殿下とは手紙をやり取りしていたからか、お会いするのが数年ぶりだとか二度目だとか、そんな気がしない。

殿下もそのように感じていらっしゃるような態度だった。

だから結構フランクにお話してしまっていたのだけど。

それなのにそんな真剣な顔で心配されると、ちょっと、心臓が……。


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