1.いつか王妃になる田舎男爵の令嬢はトイレを何とかしたかった
変だと思ってたのよ。
子どものころからたまにチラつく知らない景色。
まさかそれが、前世の記憶だったなんて……。
***
わたし、ロジーナ・デュランブは、アイオライト王国のはしっこにあるグラナト領領主、グラナト男爵デュランブ家の長女として生まれた。
グラナト領は王国の南端、大洋に面したところにあって、領の外へは山を越えなければならない。
とてつもない田舎の土地だ。
王国の中でも気温が高いグラナト領でしか育たない農作物と、海で捕れる魚を他の領へ輸出して、何とか経済を維持している。
領主の家とはいえ、当主であった父アンドリュー・デュランブは漁師の船に便乗したり、猟師についていって山で獣を仕留めてきたりしたし、母トリエ・デュランブは庭師とともに領館の庭で畑作に精を出していた。
わたしも物心つく前から妹弟の世話を、乳母たちと一緒になってやってきた。
着るものは木綿のドレス。
食べるものも使用人たちと同じ料理にデザートが付くくらいのもの。
縫い物は妹弟の服を作るためにできるようになり、乗馬は田舎ゆえに領内のいくつかの村を回るために覚えた。
読み書き計算は家計をわかるようになるために女中頭に教えてもらった。
得意な歌は子守唄、得意なダンスは村の祭りのステップダンス。
行儀作法こそ王都から招いた教師に学んだものの、果たしてその成果は他人様に見せられるものかどうか。
そんな田舎男爵の娘がどうして王妃になったかというと、運がよかったとしか思えない。
時の王、モーレイ八世がグラナト領にお越しになった。十二歳だった第一王子のウィリアム殿下を伴って。
グラナト名産のオレンジの種をいくつか、王室領でも栽培できないかと視察に来られたのだ。
十歳だったわたしはウィリアム殿下の話し相手を務めることになったのだけど、いったいどんな話をしたのかとんと覚えていない。
殿下が仰るには、わたしは「トイレを水洗にしたい」と話していたらしい。
当時、世界中のトイレは、穴を開けた椅子に座って出したものをバケツで受け止め、バケツの中身は地下下水道まで人の手で運んでいた。
みんなには当たり前のそれは、わたしにとっては不思議だったのだ。
わたしの記憶の中に、トイレはレバーをひねると水が流れ、そのまま下水道に流される、というのがあったから。
でも、誰に聞いてもそんなトイレは見たことがないと言う。
バケツを下水道まで運ぶ使用人、それは一番下っ端の身分が低い使用人がするのが普通で、仮にも貴族の末席であるわたしがその役をすることがあるとも思えないけれど、もし病が流行ってわたし以外が動けなくなったとき、トイレと下水道をバケツを持って往復する自分を想像すると、何往復すればいいのか、キリはあるのか、バケツの清掃まで手が回るのか、と不安だった。
だからわたしは、いつかトイレが記憶の中のトイレと同じようになったらいいなと、ずっと願いつづけていた。
わたしは王子殿下相手にこんな話をしたという。
いくら王族を接待しなければならなかったとはいえ、わたしを王子殿下の話し相手にしたのは人選ミスとしか思えない。
かといって、我が家にはわたし以外にはまだ王族の前に出すには戸惑われる、九歳の妹と八歳と六歳と二歳の弟しかいなかった。
しかしながらウィリアム殿下は、このトイレの話を聞いて、婚約を打診してきたのだ。
***
「ロジーナ嬢が思いついた自動水流洗浄トイレ、あのおかげで国の衛生状態は格段に改善された。下水設備の見直しもできた。今はまだ貴族と王都にしか普及していないが、これから国内全戸にこのトイレを設置したいと思っている。設置する際には助成金も出すことにした。自動水流洗浄トイレを使っている者とそうでない者とに健康の面で有意な差が出たから、これで流行り病をいくつか防げるなら安いものだ。他国からもこの政策に賞賛の声が上がっている。あなたは民のために素晴らしい提案をしてくれた。ぜひ私とともにこの国を愛し、守ってほしい」
という手紙が、王室騎士団のイアン・カーライル少尉によって届けられた。
グラナト領に視察に来られてから一年が経ったころのことだ。
イアン・カーライル少尉はウィリアム殿下のご友人で、騎士団で修行されていた。
さらにイアン・カーライル少尉の後ろには、少尉のお父様である、モントローゼ公爵アーチボルト・カーライル卿の姿があった。
カーライル卿が直々にやってこられた時点で、わたしに拒否権はないなと悟った。
それと同時に、あ、これ、漫画のやつや、と思い出した。