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高校が始まってすこし落ち着いて、桜も花びらの面影を一切失い、青々とした葉を茂らせ始めた頃、先生から突然電話がかかってきて、ご飯食べに行かない、と誘われた。
「もう学校も部活も終わったよね。たまたまアパートの近くに来てるんだけど、夕ご飯まだだったら、と思って。どう?」
「まだだけど、でも」
私は返事に困ってなにも言えないでいる。そのまましばらく沈黙が続くと、突然、
「はい、時間切れ。駐車場の前に出てきてよ」
と、当たり前のように言われて私は呆然とした。
けれど、結局その十五分後にはちゃんとした服に着替えて、髪を綺麗に結びなおして先生が車を寄せるのを待っていた。
先生は本当に来た。
駐車場に入ってきたのは真っ赤なホンダのライフで、丸い小さな自動車がなんだか先生の雰囲気に似つかなくて、意外とかわいい趣味なんだな、と思う。
助手席のドアの前でやはりためらっていると、「なに、遠慮しなくていいから」と先生は笑って、身を乗り出してドアを開けてくれた。
「……先生、お久しぶりです」
「うん?久しぶり。学校慣れた?」
「うーん、まあ、それなりに」
どうしてこんな風に誘ったのか訊こうとして、やめた。
なんだか気まずくて、私は窓の外の景色を見ているふりをした。
その時先生は私に「辛いもの、苦手じゃない?」と訊ねて、商店街の近くの駐車場に車を止めて、大通りから1本外れたところの韓国料理屋さんに連れて行ってくれた。
私は豆乳がベースの少し辛めのスープの定食を頼んだ。
緊張していたけど、先生は自然な感じでたくさん話をしてくれた。
先生は家の前まで送ってくれて、当たり前のように別れ際に「またね」と言った。
本当に料理が大変だろうと心配してくれていたのか、それから月一くらいで夕ご飯をおごってくれるようになった。
その頻度はやがて二週間に一回になって、夏休みに入って少しした頃、この日もまた、仕事終わりだという先生に連れられてご飯に行った。
それまでは駐車場で私が降りると、そのまま先生が帰っていくのを見送っていたのに、その日は車から降りて玄関先までついてきてくれた。
夜とはいえもう空気は蒸し暑く、歩く度に生ぬるい風が身体を撫でる。
市内とはいえ外れの方なので、どこからか微かに虫の声がして、エアコンの室外機の音と混ざる。
「ゴミ出したりするときもさ、こんなちょっとの距離なのに暗かったらすごい怖かったりしない?街灯全然ないし。俺、こうやって半身で歩いてたもん」
そう言いながら先生は壁に背を向けてそろそろと歩くので、私は笑ってしまった。
その話が終わると、先生は急になにもしゃべらなくなった。
ただ、アスファルトを蹴る私と先生の足音が響く。
なんだか気まずい空気の中で、部屋の前について、私はカバンから鍵を探す。
「鍵ある?大丈夫?」と先生は笑う。
私は大丈夫、と言いながら、すぐ後ろに先生がいることに、内心、どぎまぎしていた。
「あった。先生、ここまで来てくれてありが」
最後まで言う前に後ろから抱きしめられた。
先生は何も言わなかった。
高校生とは明らかに違う、圧倒的に太い腕としっかりした身体。
背中越しに伝わる熱は確かに男の人のものだった。
先生が何も言わないから、私も黙って抱きしめられていた。これだけでも先生には伝わるんだろうと思った。
なんとなく、分かっていたのかもしれない。香水みたいにきつくはないのに、甘い、大人しか知らない匂いがした。
しばらくして、先生はその腕を離した。
どんな顔をしていいのかわからなくて、先生がどんな表情なのかも怖くておそるおそる振り返ると、
「俺、酔ってるわけじゃないから」とだけ先生はかすかに笑った。
いつもの先生だった。けれど少しだけ目が潤んでいるような気がした。
私は困って、気づかないうちに先生の顔をじっと見つめてしまっていたかもしれない。
不意に先生が真顔になって、私が焦る間もなく、私の顎にそっと手を添えた。
考える間もなくキスされていた。