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ひかりのまち  作者: 実海カイリ
葵と仄香
2/19

2

 放課後になって、机の上の教科書をカバンに詰めていると、教室の後ろの扉から見慣れた顔がのぞいた。短いスカートに、肩の下で切りそろえた茶髪の後輩だ。葵はそれが見えても知らないふりをする。


 けれど、「小早川(こばやかわ)葵先輩いますか!」なんて、クラスの女子に片っ端から話しかけているのが聞こえて、葵は慌てて入口まで出ていった。


「なんだよ、さやか」

「あ、葵、数学教えて」


一つしたの幼なじみ、なかさやかだった。わざわざ一階上の一年生の教室から降りてきたらしい。


「数学?」

「うん。葵、今日、部活ないでしょ。教えて」

「なんで知ってるんだよ」

「友達の女バスの子に、バスケ部は今日男子も女子もないって聞いたもん。さやも今日バレエ無いんやもん。さや、ちゃんと葵が暇やろうなって思ってから来たんよ?」


 さやかの、少しのなまりときゃんきゃん吠えるような話し方は子どものころからずっと変わらない。せわしく走り回る小型犬のようだ。


「だからって、なんで俺なんだよ」


「だって、さや、葵より勉強できる人知らんもん」

「褒めたつもりかもしれないけどムダ」


「ね、ここやだ、向こうでやろ」


 そういって、さやかは葵を無理やり教室の外へ連れ出す。廊下を挟んで向かいには、生徒ならだれでも使えるスペースがあった。椅子と大きな机が何個もあって、昼食を食べるのにも自習をするのにも使われる。



「こんな放課後すぐに二年の階に来るなよ。誤解されるだろ」

「誤解?さやが葵の彼女だって?やだー、うける」

「笑い事じゃないって」


「いいじゃん、誤解されても」

「は?」

「ちがうよ、さやとじゃなくて、仄香となら」


その言葉と同時に、葵はそこにいたもう一人に気づいた。

長い髪を後ろで高く結んでいる。ひじの下までまくった袖からのぞく腕が、白色のセーラー服に負けないくらい白い。


「葵先輩、私にも教えてください」


 そう言って笑う比嘉ひが仄香は、さやかと同じダンス部で、同じクラシックバレエの教室に通っていた。

おおきな目は目尻が少しだけ切れ長く、その内にはずいぶんと薄く明るい瞳。


 小さな唇はきゅっと結ばれていて、頬の高いところがすこしだけ赤い。気が強そうというよりも、絶対に人に弱みを見せない、そんな印象の顔だった。


 彼女はいつもさやかと一緒に居て、葵と話すこともなぜか多く、「仄香」「葵先輩」と呼び合うくらいの仲ではあった。


 だけどさやかとは真逆の奥ゆかしさがあって、葵は仄香の目を見て話せない。


「いいよ」

 そう言ってわずかに笑うのが精いっぱいだった。


「なんで仄香が言ったらOKなの、ねえ」


 そう文句を言いながらさやかは椅子に座り、その隣の椅子に自分の荷物を置いて四人掛けの片側を占拠してしまう。


 葵がさやかの向いの椅子に座ると、仄香がその隣の椅子を引いた。


「お前、いい加減自分のこと名前で呼ぶのやめたら」

「別に葵には関係ないでしょ、お母さんみたいなこと言わないでよ」


「さやかも子供みたいな言い訳するな」


 葵とさやかのやりとりに、仄香があまりにも笑うので、葵は少し恥ずかしくなった。


 教えてくれと言った割には、さやかも仄香も持ってきた教科書とノートを開いて、黙々と問題を解いている。葵もふたりの隣に座ってノートを広げた。シャーペンを握る仄香と葵の手が触れる。


「あ、ごめん」

「ごめんなさい」

「仄香って、左利きなんだ」

「そう。だから、シャーペンとかフォークとか持ってる時にすぐだれかとぶつかっちゃって、その度にごめんなさい、って」


仄香は静かにふふ、と笑う。それから何も言おうとしないので、葵はなんとか会話を続ける。


「でも左利きって、天才が多いっていうよね」

「そうなのかなあ。私、なんにもないのに」

「よく言うよ、なあ。仄香、そんな踊れるのに」


さやかが手を止めて、二人の会話に割って入る。やだ、そんなことないよ、と仄香がさやかに言う。


「そんなことなくないんよ。葵、仄香ってさやたちの教室のエースなんやから」

「え、そうなの」

「もう、やめてよ」

「いいじゃん。来年の一月に大会があるんやけどな、ソロで踊るの仄香ひとりだけなんやから」


 そこまで言うと、さやかはにやにやと笑って、「葵、見に来てよ」という。


「え、俺が?」

「そう。だってさやも仄香も出るんだよ?しかもな、それ、ここの体育館であるんよ。ダンスの大会をこのへんの高校でやること、めったにないんやからね」


 葵が見に来てくれたら嬉しいよねえ、なんて笑ってさやかは仄香に言う。余計なことを、と思ったけれど、ね、と小さく仄香が頷いたのを見て、葵は困ってノートに目を落とした。


「部活がなかったら行くよ。さや、また連絡して」

「はいはーい」


 さやかは何か含んだことのあるような目で笑う。

 

 それでその会話は終わって、しばらくそれぞれが自分の問題を解いていると、仄香は右の手首にはめた小さな腕時計を見て、「私そろそろ帰ります」と言った。



「あれ、仄香、どうしたん」


 葵はそのとき仄香の視線を追って、彼女の腕時計を見ていた。赤い細い革のベルトが二重になっていて、文字盤は小さく、金のリボンの飾りがついている。


「うん、今日は、地元の友達とご飯行くの。じゃあね。葵先輩、またよろしくおねがいしますね」


 また。無邪気に言ったそのひとことに葵がどぎまぎしていると、仄香はペンをしまって、さっさと廊下を帰っていってしまった。


 上の階へと上がる階段への扉がバタン、と閉まると同時に、さやかはふ、と吹きだした。


「なんだよ、さやか」

「葵、分かりやすすぎ。ずーっと仄香の目見れてないじゃん。ちゃっかり隣に座っておいてさ」


「俺が隣に座るようにさっさと奥に行ったのはさやかだろ。わざわざここで教えてくれなんて言ったのは、あの子連れてくるためかよ」


「あったりまえじゃん。さやは葵のためにやってんだよ」

「いいって、そういうの」

「よくないから言ってんの」


 さやかは机にかがみこんで葵に顔を近づけて、ないしょばなしの格好をする。子供の頃、かくれんぼでふたり机の下に隠れたときみたいに。 


「いいと思うよ、仄香。ねえ、葵」

「いいって、なにが」


「もう、しらばっくれないで。あの子、たぶん、ずっと彼氏おらんし。それに、葵と仄香が仲良くなってすぐぐらいに、あの先輩かっこいい、って言ってたよ?」


「お前が言うのはどこまで本当なのかわかんないんだって」

「なに、もう。嬉しいくせに。ねえ、あんな可愛い子、他の誰かに取られる前に葵のものにしちゃおうよ」


「ありえないよ、そんなの」

「なに、まだ、引きずってるの」


 唐突にそんなことを言われて、葵は思わず返答につまる。


「ねえ、せっかくさ、お姉ちゃん以外の人に恋ができるチャンスなんだよ?」

「やめろって、ここでそんな話」

「やめない」


 この幼なじみは、人に言い寄る時の逃げ道の奪い方と瞳の強さなら、だれにも負けない。


 葵は後ろを振り返る。すぐそこの教室で、女子が何人か残ってしゃべっている声が聞こえる。


「わかったから、ちょっと来い」


 葵は立ち上がってさやかの手を引いた。校舎と校舎をつなぐ渡り廊下まで移動する。ここなら、この時間に通る生徒はほとんどいない。



 夕暮れの生ぬるい風が、二人の前髪とさやかのスカートを揺らした。


 糸のように伸びる薄い雲と、遠くから聞こえる吹奏楽部の演奏。



「ねえ。まだ、お姉ちゃんのこと好きなの」


 さやかは突然真面目な顔になる。あまりにも直接口にされて、やめてほしいのに黙ることしかできない。


「別に、誰も好きとか言ってないじゃん」

「もう、今更だって。ねえ、好きなの」

「…………」



「お姉ちゃんは、無理だって。葵がどうこうじゃなくて、誰とも恋愛できなくて、このままずっと独り身でいると思うよ」


「そんなこと言うなよ」


葵は少し苛立った。


「だってわかるんだもん。さや、これでもずっと、葵よりもお姉ちゃんのこと見てきたんだから。正直、お姉ちゃんのそういうところ、ちょっとこわいんだよね」




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