四 失恋
ここでもう1度、彼、水谷秀哉が中学生の時の、話をしておこう。
彼女、藤澤玲奈に彼が告白をし、2人が付き合い始めてから、1ヶ月が経過していた。
「ねえねえ秀哉くん、明日、何の日か覚えてる?」
「えっ、何だっけ?玲奈ちゃん?」
これは、とある金曜日、学校での、彼と彼女の会話である。
「ちょっと秀哉くん、忘れたの?」
「冗談だよ玲奈ちゃん!ちゃんと、覚えてますって!」
彼はおどけた様子で、彼女にそう告げる。
「じゃあ、当ててみましょうか、水谷秀哉くん!」
「はい、藤澤玲奈さん!
明日は、僕たちが付き合い始めて、1ヶ月記念の日です!」
彼女の冗談めいた口調に、彼はやはり冗談めいた口調で、答える。
「ご名答です!」
そして、2人がひとしきり冗談を言った後、彼、秀哉は真剣な表情になった。
「でも、あの時僕の告白を受け入れてくれて、ありがとう。
玲奈ちゃんには、本当に感謝してるよ。
それで、僕、玲奈ちゃんのことが、本当に大好き!
だから、明日の1ヶ月記念、2人で楽しもうね!」
彼女は、彼、秀哉の(彼にしては意外な)ストレートな物言いに、少しドキドキした。
そして、
「ちょっと秀哉くん、急にそんな言い方すると、ドキッとするじゃん!」
と彼女が言うと、
「ごめん、そうだね。
でも、これが僕の本当の気持ちだから…。」
と、彼が切り返した。(この時の彼は、少し気弱そうな様子で、どちらかというといつもの彼に近く、さっき彼が言った台詞が、嘘であるかのようであった。)
そして、
「だったら、私も負けてないんだから!
私も、秀哉くんのことが大好き!
本当は私から告白したかったんだけど、あの時は、先を越されて何か悔しかったな…。」
「え、本当に!?」
「もちろん、半分は冗談だけど、半分は本気だよ!」
そう言って彼女、玲奈は、笑った。その笑顔を彼、秀哉は見て、この笑顔を守るためなら、自分は何だってできる、彼はその時、そんな思いを持った。
「あ、おまたせ、秀哉くん!」
「ううん、全然待ってないよ!」
彼、秀哉と彼女、玲奈は、その日から次の日を迎えた。
そして、彼と彼女は、とあるショッピングモールで待ち合わせをしていた。
その日は8月で、最高気温が35℃を超える、いわゆる「猛暑日」であった。辺りには陽炎が立ち込め、何もせず立っているだけでも、汗が噴き出してくる、そんな季節だ。そして、彼、秀哉は、そんな暑さに耐えられるように、薄手のTシャツ1枚に、デニムの短パン、という出で立ちで、この日を迎えていた。
「でも秀哉くん、せっかくの1ヶ月記念の日に、そんな格好?」
「…確かに僕の格好は、Tシャツに短パンだけど…。
でもこのTシャツ、いつもより高めの、ブランドもののやつだよ!短パンも、安物じゃないし…。」
彼女の問いかけに、彼はそう反応した。まあ彼、秀哉は彼なりに、おしゃれをして来た、ということだろう。
「なるほど…。
でもその格好、ファッションリーダーの藤澤玲奈様からすれば、ツッコミ所満載ですね!」
ちなみに彼女は、8月にふさわしい、花柄の、薄手のワンピースを着ていた。
「えっ、ああ、そう…?
ごめん僕、ファッションはそんなに得意じゃなくて…。」
「ごめん、今の冗談だからね!
まあ、ファッションは私の方が詳しいとは思うけど…。
でも、自分の好きな人にファッションのアドバイスするって、楽しいね!
何か、自分の色に好きな人を染めてる、って感じ!?」
そう言って彼女は、いたずらっぽく笑った。そんな、彼女に染められかけている彼の方も、満更でもないようだ。
「では、ファッションリーダーの玲奈先生、行きましょうか!」
「そうだね、水谷秀哉くん!」
こうして、2人のその日のデートが、始まった。
「あ、秀哉くん、このサンダル、超かわいい!
あ、でも、このミュールも、かわいいなあ…。」
「…でも玲奈ちゃん、お金、そんなにないんじゃない?」
「うん、そうなの…。
秀哉くん、これ両方買ってくれる?」
「いや、僕もお金がないから…。
片方だけなら大丈夫かもだけど…。」
「冗談だよ秀哉くん。私たちまだ中学生だし、そんなにお小遣いも、もらってないよね。」
「うん、そうだね…。」
彼、秀哉がそう言うと、彼女、玲奈は、
「でも秀哉くん、さっきちょっとだけ、ホッとしたでしょ?」
と彼に言った。そして彼は、
「そ、そんなことないよ…。」
と答え、彼女は、
「秀哉くん、また引っかかったね!
冗談ですってば!
でも私、秀哉くんのそういう生真面目な所、嫌いじゃないよ!」
と、言った。(この2人の会話を見てみても、仲の良さが、伝わって来るようだ。)
そして2人は、彼女は彼の服を何点か選び、(彼はそのうちの1点を彼女のお金で購入し、)また彼女は自分の気に入ったアイテム1点を、彼のお金で購入し、(まあ平たく言えば、2人はお互いにプレゼントし合った、ということになる。)その日は夕方になった。
「あ、もうそろそろ帰る時間だね…。
何か私、帰りたくないな…。」
「僕も、何か今日は、帰りたくないよ…。」
この時2人は、同じことを思っていたらしい。
「でも私たちまだ、中学生だし、門限は守らなきゃね…。」
「うん、そうだね…。
でももうちょっとだけ、あそこのベンチで話さない?」
「そうだね!」
そう言い合って2人は、ベンチに腰かける。
「そういえば、急にこんなこと訊いて何だけど、秀哉くんって、将来の夢とかあるの?」
「うん、あるよ!
僕、将来は、作曲家になりたい!もちろん、マンドリンの曲もそうだし、ピアノ曲なんかもそうだけど、将来、例えばロックやポピュラー音楽も作曲できるような、そんな、マルチに活躍できる作曲家に、なりたいなあ…。」
「おっ、さすがは秀哉くん、言うことが違いますね~。」
彼女、玲奈は半分茶化すようにそう言ったが、本心は、感心しているようだ。(もちろん、そのことは彼にも伝わっていた。)
「いや、何か照れるな…。
それで、玲奈ちゃんは将来の夢とか、あるの?」
「私は…、
まだ将来何になりたいとか、こういう仕事がしたいとか、ないかな…。
まだそういうの、分かんないや。
ゴメンね、自分から訊いといてこんな答えで。」
「ううん。いいよ。」
「でも私、1つだけ思ったことがあるの。」
「何?」
「私、このままずっと、秀哉くんと一緒にいたい!
もちろん、私たちまだ中学生だし、結婚とかはまだ考えてないよ。
ただ、というかでも、私、私たちが高校生になっても、大学生になっても、このままずっと、秀哉くんと一緒にいたい。それで、お互いに社会人になって、仕事をし始めてからも、仕事の愚痴とかを、お互いに言い合いたいな。それで、できれば、本当にできればだけど、私たちがおじいちゃん、おばあちゃんになっても、一緒にいて、
『若い頃、あんなことがあったね。こんなことがあったね。』
って、語り合いたいな!
…ゴメン。こんなこと、言うつもりじゃなかったんだけど…。
ちょっと、ってかだいぶん重いよね…。
やっぱりゴメン、今のはなしで…、」
「僕も!」
彼女がそう言って前言を撤回しようとした時、彼が口を挟んだ。
「僕も、おんなじ気持ちだよ!僕も玲奈ちゃんと、これから先もずっと、一緒にいたい!だから、全然重くなんかないよ。さっきの言葉、嬉しかった!
だから、これからも仲良しでいようね、玲奈ちゃん!」
「ありがと、秀哉くん!」
こう言って彼と彼女は、笑った。
そして…、
辺りは、日が沈みかけ、少しずつ暗くなっていた。また、そのベンチの周りは、人影もまばらになっていた。そんな中、2人は、そのベンチに座り、しばらくの間見つめ合う。
「なんか暑いね、玲奈ちゃん…。」
先に目を逸らしたのは、彼、秀哉の方だった。
「そ、そうだね…。」
彼女、玲奈の方も気恥ずかしくなり、目を逸らしながらそう言う。
「…じゃあ、そろそろ帰ろっか、玲奈ちゃん。」
彼がそう言って、そのベンチから立ち上がろうとした瞬間…、
彼女は、彼の手を引っ張る。
そして、彼女は彼を、自分の方に力いっぱい引き寄せた。
そして…、
2人は、口づけを交わした。
「…ゴメン急に。
でも、今日は本当に、楽しかったよ!
じゃあ、帰ろっか。」
彼女が頬を赤らめ、そう言った次のタイミングで、
彼が彼女の手を引っ張る。
そして、今度は彼の方から、
彼女にキスをした。
「僕の方こそゴメン。
じゃあ、帰る?」
「…ゴメン。あともう少し、10分だけでいいから、こうしてたいな。」
そう言って彼女は、彼の胸に顔を埋めた。そして彼は、そんな彼女を、優しく抱きしめた。
その日は8月、暑い暑い季節であったが、2人は、そんな暑さを気にすることなく、しばらくの間、抱擁していた。
しかし、そんな若い2人の「甘い」生活にも、突然終わりが訪れる。
その日、彼女、玲奈と、彼、秀哉は、いつものようにデートをしていた。(ちなみにその日は、9月始めの考査前、ということで、2人は一緒に近くのカフェで勉強をしていた。)
「秀哉くん、私、数学が全然分かんないんだ…。教えてくれる?」
「えっ、僕も全然分かんないよ…。僕、音楽にはちょっとは自信あるけど、他の教科、特に5教科と体育は全然ダメで…。」
「何だ秀哉くん、使えないなあ~。」
「ゴ、ゴメンね…。」
「ちょっと、真剣に落ち込まないで!冗談だよ冗談!
じゃあさ、2人でこの数式、解読しよ、ね?」
「うん分かった!ありがとね、玲奈ちゃん!」
「こちらこそ!」
こう言って彼と彼女は、笑った。
「ここは因数分解…って、何だっけ!?」
「えっと、確か…。」
彼、秀哉は、(数学に関しては)ない知恵を絞り、頑張って、答えを出そうとした。
しかし、それよりも何よりも、彼、秀哉には気になることがあった。
それは…、
その日の彼女、玲奈の様子である。
その日の彼女は、いつも通り、いやいつも以上に、元気であった。そして、彼に対しても、彼女は明るく接していた。
いや、やはりそれは、いつも通りではない、彼には、そう感じられた。ちなみに彼は、人の感情の動き・機敏に敏い方では決してないので、細かい人の気持ちまでは、分からない。しかし、そんな彼でも、その日の彼女の様子は、
『何かがおかしい。』
と感じさせるには、十分であった。
(先述の理由のため)彼はその違和感を、うまく言葉で表すことはできないが、とにかく、「彼女は無理をして、明るく振舞っている。」そういう風に、その時の彼には感じられた。それは、例えば前にショッピングモールにデートに行った際のように、屈託のない笑顔ではなく、どこか影があり、その「影」を隠すように、笑顔を作っている、彼はそう思わざるを得なかった。とにかく、彼は彼女のそんな様子が、気になったのである。
「ところでさ、玲奈ちゃん、関係ない話だけど…。」
彼は、自分の「違和感」に正直になり、思ったことを訊いてみよう、そう思った。
「うん?どうしたの秀哉くん?」
「玲奈ちゃん、最近、嫌なこととかあった?」
「…どうして?」
「いや何かさ、今日の玲奈ちゃん、本当は元気ないように見える、って言ったら大袈裟かもだけど…。
とにかく、もし何かあるんだったら、何でも僕に言ってよ?」
「そっか、ありがとう。秀哉くんはやっぱり優しいね!
ううん、本当に何でもないよ!ただ、ただね…。」
「どうしたの?」
彼は、少し緊張しながら、彼女の次の言葉を待った。
「何か私たちって、今本当に幸せじゃん?
だから私、今の幸せが、本当に、心から、ずっと続いて欲しい、そう思うんだ。」
「僕も同じ気持ちだよ、玲奈ちゃん。」
「それで私、『幸せ』って何だろう?って、ふと思ったの。
それで…なんだけど、私、ある結論に達しました!」
「えっ、何何?」
「…ではその結論を、発表します!
それは、『幸せ』っていうのは、『自分のこと』を第一に考えるんじゃなくて、『相手のこと』、『相手の幸せ』を、第一に考えることだと思います!
私、思うんだ。私、秀哉くんのことが、本当に大好き!だから、私は、自分のことじゃなくて、やっぱり、秀哉くんに幸せになって欲しいです!
だから、もし秀哉くんが、私のせいで苦しい思いをするなら、それは違うと思う。私、秀哉くんには、いつも笑顔でいて欲しいから…。
だから、私の存在が、秀哉くんにとって、笑顔をもたらせるようなものであればいいと思うんだ。それで、私のために秀哉くんが泣いたりするのは、違うと思うし、それに…、」
そう言いながら彼女は、目にうっすらと涙を浮かべた。
「どうしたの、玲奈ちゃん!?」
「ゴメンね、急に泣いたりして。
でも、私の気持ちは、そうだから…。」
そして、彼、秀哉は、そんな彼女、玲奈の言葉や態度に違和感を大きく覚えながらも、こう言った。
「僕もそう思うよ、玲奈ちゃん。
僕も、僕にとっての『幸せ』も、『相手の幸せを願うこと』だと思う。だから僕も、玲奈ちゃんには常に笑顔でいて欲しい。それで、そんな玲奈ちゃんの『笑顔』に、僕が貢献できたら、こんな幸せなことはないと思います!
だから玲奈ちゃん、嫌なことがあったら、僕に話してくれていいんだよ?
玲奈ちゃん、何かあった?」
しかし彼女の口からは、
「ううん、本当に何でもないよ。ただふと、そんなことを思っただけ。」
という答えが、返って来た。
「…そっか。ならいいんだけど…。」
「あ、もうこんな時間だ。私、そろそろ帰らなきゃ。
秀哉くん、今日は本当に、ありがとうございます!楽しかったよ!
これからも私、秀哉くんには、笑顔でいて欲しいから…だから、秀哉くんは秀哉くんの、ままでいてね!
あと、数学はもうちょっと、勉強すること!まあ、人のこと、全く言えないんだけど…。
じゃあまたね、秀哉くん!」
「…分かった。次までに因数分解は何とかします!
またね、玲奈ちゃん!」
その日2人は、そう言い合って別れた。
彼女、玲奈の転校が告げられたのは、その年の2学期が始まった、9月1日のことであった。
彼、秀哉の担任の先生がそのことを告げた時、彼は耳を疑った。
『そんな、玲奈ちゃんが僕に何も言わないで、転校だなんて…。』
その日の放課後、彼は彼女と付き合い始めてから、親に買ってもらった携帯電話で、彼女に連絡をとろうと試みた。
しかし、彼が何度コールをしても、
「この電話番号は、現在使われておりません。」
というアナウンスしか、返って来ない。
それに、いくら彼がメールをしても、
「このアドレスは、現在使われておりません。」
という内容の業務メールしか、返って来ない。
しびれを切らした彼は、職員室に駆け寄り、担任の教師に、
「先生、玲奈ちゃん、藤澤玲奈さんは、どこに引っ越したんですか?」
と、問い詰めた。
しかし、
「水谷君、申し訳ないけど、それは言えない決まりなんだ。」
担任の教師からは、そんな答えしか、返っては来ない。
「そんな、そんな、先生、そんなのあんまりです!」
そう言った彼、秀哉は、気づいたら、学校を飛び出していた。
そして彼は、自分でも気づかないうちに、彼女、玲奈と巡った、デートの場所に来ていた。その中でも印象的だったのは、やはり、あのショッピングモールだ。あの時、2人はお互いに、お互いの服をプレゼントした。そして、お互いに、冗談を言って笑った。そして、初めてのキス―。今ではその全てが、「想い出」に変わってしまったというのだろうか?
『僕はもう、玲奈ちゃんなしには生きていけない。そうだ、玲奈ちゃんがいないなら、ファッションなんて、見た目なんて、どうでもいい!
こんなショッピングモール、なくなってしまえばいいんだ!』
彼、秀哉は、自暴自棄になっていた。
そして、そこで彼は、彼女の、とある言葉を思い出した。
『~もし秀哉くんが、私のせいで苦しい思いをするなら、それは違うと思う。私、秀哉くんには、いつも笑顔でいて欲しいから…。~』
『玲奈ちゃん、あの時、僕たちはこうやって別れるってこと、知ってたの?
だから、あの時僕に、あんなことを言ったの?』
彼、秀哉は自暴自棄になりながらも、彼女の言葉、彼女の態度を、思い返していた。それは、焼け残った2人の熱い想いのような残暑が残る、まだ暑い、9月の始めのことであった。