第68話「臆病者」
せっかく現れたというのに、守助は既に役に立たない。冬汰に睨まれた瞬間から、見事と言いたくなるほどに怖気づいている。妖怪だけでなく、人間相手にもこのびびりよう。普段なら面白いが、今に限っては目も当てられない。
「……怖いなら関わらないほうがいい。君のような人を守るために僕らがいるんだ」
びびりすぎて、冬汰ですら戸惑い気味にそう言う始末だ。どうしようもないな。
「クソ」
魚モドキが墜落するように迫ってくる。今の私では躱せない。当然、防げもしない。詰みか……。
思わず下唇を噛んだ。己の体たらくに、腸が煮え繰り返る。なんてざまだ。
そう思ったときだった。
魚モドキの進み方がおかしいと気づく。
「あ……?」
落ちてくる方向が、私と鈴から逸れていた。真っ直ぐこちらに向かってきていない。あのまま行くと、私の頭より上方向へ落ちる。
着弾点に気づき、目を見開いた。
「っ⁉︎」
冬汰までもが息を呑んでいる。奴にとっても予想外の事態らしい。それもそうだ、なぜそっちに狙いを定める必要がある。冬汰の理念からしてあり得ない。
「へ……?」
魚モドキにようやく気づき、守助が間抜けな声を漏らす。
「いやちょ、なにアレなに⁉︎ なんで俺の方来てんの⁉︎ ねえ!」
そして自らに突っ込んでくるそれに、激しく狼狽し叫び出した。
「ギャアアアアアーーーーーーーー‼︎」
「戻れッ!」
守助ほどみっともなくはないが、冬汰も同じくらい焦っていた。紙束を開いて一声発し、魚モドキを引っ込める。
うずくまった守助は無傷で済んだが、全員が混乱の渦に落ちた。
「どうなってる⁉︎」
「守助貴様なにをした……?」
「なんもしてねえよ! なんだよもう怖えなあ! てか氷凰ちゃん大丈夫それ⁉︎ 肩やべえんだけど!」
やかましい……傷に障りそうだ。なんか存在にイラっとする。
無駄に額に青筋を立てて守助を睨む。同時に、奇妙なものが目に映った。
「お前……なに光らせてるんだ」
「光らせる? 俺そんなん持って——」
言い終わる前に、守助は目を丸くした。ズボンが光っている。衣嚢の辺りが、ほんのりと琥珀色に輝いている。
恐る恐る手を突っ込み、光源を取り出した。守助の手のひらで光が強まる。
「…………なにこれ」
「私が知るか!」
思わず叫んでしまい、吹っ飛んだ肩が痛む。
いやしかし本当になんだあれ⁉︎ 守助が狙われたのはあれのせいか? どういう原理で……。
一度冷静に考える。魚モドキはなにを頼りに鈴を狙った。恐らくは鈴の妖気。
もしやと思い妖気を探る。なんの圧も感じない、脆弱な妖気。それが二つ存在した。私が抱いてるものと、守助が握っているもの。
「なるほど、囮。そんなものを持っていたのか」
冬汰が忌々しげに吐き捨てた。そしてゴミを見る目でこちらを見下ろす。
その面引っ叩いてやりたいが、動けないし私も同じ結論だった。鈴がどこまで意図しているのかは知らんが、守助を囮に危機を回避した……この状況はそうとしか思えない。
「君、早くそれを捨てろ。持っていると碌なことにならないぞ。さっきは防げたが、今みたいな事故がまた起こりかねない」
「は……? あ、これ抜けた鈴の角だ」
角? 確認する元気はないが、こいつそんなの生えてたのか。それを切り離して囮に使った。
こいつがそんな狡猾には見えないが……鱗士の推測が事実と仮定すれば、それくらいの手段は持っていてもおかしくない。
「微弱だが妖気を放ってる。無害とも言いきれない。下手したら君に妖気が移るぞ」
「…………」
へたれた顔で、守助は私と鈴を見た。この体たらくをジロジロ見られるのが癪で、眉間に力が入る。特にそんな目をするのはやめろ。私はそんな惨めじゃない。
「……まあいい。本体が死ねば、囮も効力を失うだろう」
紙束がめくられる音。
愛想を尽かせた冬汰の無慈悲な声。
「“壱号”」
「……っ」
現れたのは、歪な人形をした式神だった。腕が大きく前傾姿勢で、ぶよぶよの皮と骨のような頭。腕力任せに襲いかかってくるというのが見え見えの巨人だ。
ああくそ、今度こそまずい。あの囮が通用するのは、こちらが視認されていない状況下……もしくは魚モドキに対してだけだ。今の冬汰が惑わされる所以がない。
苦し紛れに氷柱を放つ。しかし情けないほど威力が出ず、巨人にぶつかっては無様に砕けた。
「もういいだろ。君は殺さない。鱗士を死なせたくないからな」
「やかましい……ッ」
巨人がのしのしと、重たい足音と共に近づいてくる。このまま目の前に来られて、見下されて、拳を振り下ろされる……。予知の如くその光景が浮かんだ。
あんな式神、全力でなくとも一撃で破壊できるだろうに。なんたる屈辱だくそ……くそ! どうにかできないか⁉︎
「……妖気が移る?」
守助がぶつぶつなにか言ってるが、耳に入らない。
せっかく来ておいて、役に立ったのはほんの一瞬だったな。それも時間稼ぎにしかならなかった。期待はしてなかったが、本当にあいつは……。
「…………移ったら、俺にも」
役に立たな——
……待て、あいつなにを言ってる?
「守助?」
首を傾ける。
守助が口を開け、震える手をそこに近づけていた。
「貴様なにを……!」
「南無三ッ‼︎」
私が叫んだのにつられ、冬汰の視線も守助に流れる。目を剥き息を呑むのが、気配で伝わってきた。
守助が、鈴の角を呑み込んだ。
「ングッ……」
「…………」
私は絶句した。
妖気の宿ったものを呑む、という話は聞いたことがある。そうして体に妖気を宿す術は、あるにはある。守助はそんなこと知らなかったはずだ。さっきの冬汰の言葉から推察しての行動だろう。この状況を……鈴を助けるための。
あの守助が。あの臆病者が。
「なんてことをするんだ⁉︎」
これまで聞いた中で、最も取り乱した様相の冬汰の声。いきなり現れた根性なしの、予想だにしなかった突飛な行動に、凄まじいほど取り乱していた。
守助の様子が変わる。
凡人の霊気が、妖気へと置き換わってゆく。
数秒呆然としていたが、私の口角は自然と上がっていた。その決断がどうであれ、冬汰が取り乱したのは愉快だ。よくやった守助、さっきは悪かったな。見直したぞ。
しかし、取り込んだ妖気は鈴のものだ。焼け石に水な気もしないではないが、あるいは。
さてこの後どうなる……?
「“壱号”、早くやれ!」
冬汰が式神に指示を飛ばす。とにかく鈴を消すのを優先させている。まあそうだろうな。そうすれば守助が取り込んだ妖気も消えるかもしれない。
「……っ」
巨人の拳は、もう目の前だった。
「やめてくれッ‼︎」
守助が叫んだ。地を蹴る音。
そして、異様に高ぶる妖気。
「おらあああああああああああああああああ‼︎」
勢い任せの拳が式神に命中。
その上半身が、跡形もなく消し飛んだ。
「ッ⁉︎」
冬汰が絶句する。
「ハッ!」
私は声を上げて笑う。
「うぎゃああああああああああ⁉︎」
なぜか守助が泣き叫ぶ。
本当になんでだ。
ともかく、天秤はこちらを味方したらしい。
鈴は守らせる妖怪、それが事実だとしよう。守らせる相手が、必ずしも力を持つとは限らない。そんなときにどう守らせるか。
答えは、守らせる力を与える。方法は、守助がやってみせた通り。そういうわけだ。
「今の俺がやったの⁉︎ マジ⁉︎」
「まじだ。貴様、体はなんともないか……」
「今のところ……あれ、俺もしかしなくてもヤベーことした……?」
「やばいなんてものじゃない! なんて馬鹿なことをしたんだ‼︎」
感情のままに冬汰が叫んだ。守助の肩が過剰に震える。多少見直したが、やっぱり情けないなこいつ。
「君の目には、これから嫌でも妖怪が映る! それだけじゃない、半端な霊気や妖気は奴らにとって格好の的だ! 命だって脅かされる!」
「…………」
「それは君に、自分を守らせようとしているだけだ!いいように使われているんだ! 君の身が滅ぶまで、それは君を使い潰すぞ‼︎」
鈴を乱暴に指差し、がなり立てる。冬汰の声がどんどん声が荒くなる。
対照的に、守助は妙に落ち着いていった。
「……いいよ、それでも」
「いいわけないだろ‼︎ その思いすら作られたものだ、偽物だ‼︎」
「かもしんないけど……。どっちにしろ俺は、多分こうしてた。やらなきゃいけなかった!」
私は押し黙る。
……こいつ、本当に守助か?
さっき自分の拳に驚き喚いた男か?
これがあの臆病者か?
「君は分かっていない! この力はいいものなんかじゃないんだ……‼︎」
「知ってる!」
「っ」
即答だった。
冬汰は面食らい言葉を詰まらせる。
「……知ってる」
同じ台詞を、噛み締めるようにもう一度。
「だから間定は、生きたまま死んだんだろ?」
「……鱗士を知ってるのか?」
「…………」
守助の口振りに違和感を抱く。
生きたまま死んだ。それは、鱗士の過去の話のことだろう。由于夏に話しているのを私も聞いた。比喩でそう言ってもいい話だ。
しかし、なんでこいつが知っている? 守助と知り合ってまだ間もない。話す機会も状況もなかった。
「俺も死なせた一人だから……。見て見ぬふりはもうしない」
*
クラスに変な奴がいた。いつもオドオドと周囲を見渡していた。時々具合が悪そうに、左頬の痣を押さえていた。いつの間にか怪我をしていた。助けを求めるような目で見られたこともある。なにがそんなに怖いのか、分からない。
小学四年、十歳の頃。
吉城守助は、間定鱗士が苦手だった。




