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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第3章「か弱き逃避行」
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第66話「空中戦」

 即座に振り返る。

 きょとんとした面で座る鈴。そこに尖った口吻が吸い込まれてゆく。


「っ!」


 咄嗟に伸ばした私の手が、紙一重の差で先に鈴へと届いた。その際、体が魚モドキを透過する。やはり私はこれに干渉できないらしい。


 破壊も庇うことも不可能。

 となると不本意だが、鈴を連れて逃げるしかない。


「許せ紘久!」


 氷の翼を背に生やし、私は真上に飛んだ。鈴を抱えて屋根を突き破り、上空高くへ羽ばたく。

 とりあえずこれで由于夏たちとは距離を取れる。家が少し潰れたが、それと命を天秤にかけるなら命だろう。鱗士なら多分そう判断する。


 さて、この後どうするか。

 鈴の無事を確認してから、私は真下を見下ろす。


「ひおう?」

「気にするな。鱗士の奴がヘマしただけだから——」


 不覚にも寒気を覚える。宙ぶらりんの私の足に、既にそれは触れかけていた。

 鈴まで届く前に躱しきり、滑空して距離を取る。しかし魚モドキは、不自然なまでに無駄のない軌道で追跡し続けてくる。


 中々速いな。撃ち落としてやりたいが、恐らく無駄だろう。氷柱がすり抜けて天に消える光景が私の頭に浮かぶ。

 チッ、もやしのくせに厄介な式神を使うな!


「本人を叩くのが手っ取り早いが……」


 一番現実的な考えを一人呟くが、その場合私は人間を傷つけることになる。その結果私がどうなるか、冬汰は分かっているに違いない。

 奴は“結命鎖縛”を盾にして、私に手出しをさせないつもりだ。


「小癪な。咄嗟のことだろうによく頭が回る」


 悪態を空から吐き捨てる。独り言のつもりだった。

 だから返事が返ってくるとは思わなかった。


「非力なりの戦い方だよ」


 声の聞こえた方へ振り返る。

 昨日壊したはずの鳥モドキ。その背に冬汰が立っていた。表面上穏やかだった昨日と違い、殺気を隠す気もなくあふれさせている。


「本当に“六魔”すら懐柔してるのか。ますますここで殺さなくては」


 冬汰は据わった目でこちらを見据えたまま、手に持つ紙束を本のように開く。


「貴様にはばうむくーへんの借りがあるが、それもその生意気な態度で帳消しだな。喧嘩を売るなら私は買うぞ」

「君は僕を殺せない。自分の命が惜しいらしいからな」


 背後に迫っていた魚モドキを、のけ反るように躱す。その最中も、冬汰を睨みつけることは怠らない。

 なるほど、やっぱりその言動気に入らないな。防戦一方は癪でしかない。


 よし決めた。少し分からせる程度なら許容範囲内……鱗士にはそれで押しきるとしよう。そもそもあいつが失敗したのが悪い。


「図が高い。落ちろ」


 氷柱を一発、鳥モドキの土手っ腹目掛けて発射。ついでに魚モドキを再び躱しておく。


「“肆号(よんごう)”」


 対して冬汰は躱すそぶりを見せない。どうする気かと思えば、開いた紙束からなにかが飛び出した。

 今までの鳥や魚と同じく、骸骨頭に灰色の体をした巨大な蝙蝠。それが冬汰を氷柱から庇うように体を……いや、翼を大きく広げる。氷柱が蝙蝠モドキにぶつかって砕けた。


「防御用の式神か……何体使うんだ貴様」

「さあ?」


 透けた翼の奥で、鳥モドキが嘴を開いた。黄色く光る霊気が、その中で凝縮されてゆく。

 向こうからは攻撃できる防御壁か。本当に小癪だ。


 霊気の弾が吐き出される。ほぼ同時に背後から来ていた魚モドキ諸共躱した。


 そしてすぐさま急上昇し、冬汰の頭上を陣取る。


「まあいい、ぶち壊してやる!」


 背の翼を思いきり羽ばたかせた。

 鳥の羽根のようにびっしりと並んでいた氷刃が、雨霰と冬汰に降り注ぐ。


「……!」


 やや距離がある上、蝙蝠モドキのせいで見えづらかったが、冬汰の表情が僅かに曇った。


 激しい衝突音が連続する。砕けた氷の粉が幾度も舞う。

 まあまあ本気で撃ったが、想像以上に硬いな。しかし……。


「チッ……」


 蝙蝠モドキが黄色く光って消える。遮蔽物がなくなり、冬汰の体が晒された。案の定、保たないと見たらしい。

 思わず口角が上がる。冬汰は逆に顔を顰めた。


 鳥モドキが羽ばたき、氷刃の射線から逃れる冬汰。

 そうだな、そうするしかないだろうな。


「隙ありだ‼︎」


 さっきの防御はすぐに使えまい。しっかり魚モドキを回避してから、私は冬汰の方へと突っ込んだ。

 左手で鈴を抱え直し、右手に氷の刃を伸ばす。殺さないよう切れ味は鈍らせた。それでも骨くらいはいくかもしれんが、もう知ったことか。全てこいつが悪い!


「今度こそ落ちろッ!」

「“陸号(ろくごう)”……!」


 紙束からまたなにかが飛び出した。しかし私の方には向かってこず、冬汰が右手でそれを掴む。

 諸共薙ぎ払おうと右手を振るったが、衝撃と共に斬撃がとめられた。冬汰が右手に握る刀……いや、式神に。蛇のような長細い体で、胴体を刃に見立てた珍妙な姿だ。鳥モドキが衝撃を逃したらしく、姿勢もさして崩せていない。


 接近戦も可能か。しかしもう驚いてやらんぞ。

 どうせこのまま氷柱でも撃ち込んでやれば——


「…………」


 冬汰が鍔迫り合う刃の角度を変えた。


「?」


 力を込めるにはやや不自然な構えだ。その辺の心得はよく知らんが、少なくともさっきの方がマシに見える。現にこのまま押し返してしまいそうな……。


 疑問が一瞬よぎった隙に、冬汰の霊気が高まる。

 冬汰の握る蛇モドキ。その柄頭——頭部がこちらを向いていた。ぱかりと開けた口の中が黄色く輝く。


「……⁉︎」


 正直、大した威力ではなさそうだった。

 私なら無傷……精々かすり傷程度。


 しかし、不覚にも焦らされた。

 私なら無傷。私なら……。

 しかし力のない妖怪なら。


 腕に抱く鈴が強張るのを感じた。


「くっそ!」


 刃を弾きつつ後ろに下がる。直後に放たれた霊気が、半身になった私の鼻先を掠めた。

 休む間もなく、背後からなにかが近づいてくる。身をよじりそれを……魚モドキをどうにか躱す。


 まずい、崩された。

 視線から外された……!

 早く立て直せ——


「守るのは苦手か?」


 頭の後ろからぶつかる声。

 背中から襲いくる圧力……昂った霊気。

 さっきの鳥や蛇の比じゃない。


「ッ」


 首をねじって視界の端に冬汰を捉え、思わず息を呑む。

 傍らに、巨大な狼の頭骨が浮かんでいた。それが大口を開き、尋常じゃない輝きを放っている。


「“捌号(はちごう)”」


 口の中の黄色い光球が縮み……。

 狼が咆哮した。


「……ッ!」


 目が眩む。躱せない。

 即座にそう悟り、翼で防御姿勢を取る。

 光と衝撃に、全身が激しく揺さぶられた。


「ぐっ」


 屈辱的な音と共に、翼にヒビが広がる。

 全盛期でないとはいえ……不意を突かれたとはいえ、破られかけているだと! これが本当にあのもやしの霊気か⁉︎

 その上また魚モドキが来るだろう。このまま耐えていては鈴がやられる。


 こんな奴に、私が苦戦している。


「あああクソッ‼︎」


 霊気の光線を強引に振り払い、私は上昇する。

 目の前に、冬汰が肉薄していた。


「上がると思ったよ」

「貴様……ッ」


 三度意表を突かれた。

 冬汰が手に持つ蛇の切っ先をこちらに——鈴に向けて構える。


「死ね」


 驚くほどに冷徹な目と言葉で射抜く。

 鈴が怯んだのを見届ける間も待たずに、殺意のこもった突きが放たれた。


 肉が抉れて血が滲み出した。


「いっ…………‼︎」


 庇った私の右肩に、刃が深々と突き刺さる。反対側から切っ先が飛び出しているのが分かった。血が滴って落ち、局所的に赤い雨が降る。


「ひおう……⁉︎」

「黙ってろ…………この程度で私は死なん」


 涙目で震える鈴を宥め、目の前の男を睨んだ。

 眉をぴくりとも動かさず、虫でも見るような目を私たちに向け続けている。癪に触る感情を、隠す気もなくぶつけてくる。

 自然と歯が軋み、眉間に力が行く。


「全力とは程遠く、お荷物を抱いているとはいえ。やりようはあるものだな、“無間の六魔”」

「はっ……まぐれで一撃入れられたのが、そんなに嬉しいか? 末代まで自慢していいぞ」


 脂汗がとまらないし痛みも鮮烈だが、腹立たしさが勝って歪に口角が上がった。


 やってくれたな。

 もう、しょうもないのはやめだ。

 こいつは骨折程度じゃ済まさない。


 突き刺さる蛇に右手をかけて握った。手のひらに刃が食い込み、また血が流れる。


「……?」


 冷気を発生させ、傷口を刺さった蛇ごと凍らせて止血した。

 冬汰が不審げに瞼をひくつかせる。


「なんのつもりだ」

「別に? このまま私を留めたいらしいから、手伝ってやろうかと思ってな」


 私を串刺しにしたまま逃さずにいれば、そこまで来ている魚モドキが鈴を貫いて終わり。どうせこいつはそう考えているのだろう。

 なら逃げるのはやめだ。そもそも性に合っていない。


「貴様は、私が本気で殺す気はないと思っているんだろうがな……」

「実際そうだろう」

「あまり舐めるな」


 思わず歪んだ笑みが深まった。

 冬汰が目に見えて怯む。


「勢い余って殺したらどうしてくれる」


 蛇が握った部分から凍り始めた。咄嗟に手を離した冬汰までは届かず、蛇だけが完全に凍って砕ける。


「落ち着け殺さないさ。殺さなければ正当防衛はまだ主張できる。鈴という大義名分もある。きっと鱗士も分かってくれるさ」


 鳥モドキの首根っこを鷲掴みにする。

 瞬く間にその全身が氷に覆われてゆく。


「“六魔”……!」

「いい面だなあ、ざまあない!」


 冬汰に初めて焦りが生まれる。

 そもそも強いのは私の方だ。本気が出せなくとも鈴を庇っていようと、こんな奴より下なはずない。


 これから証明してやる。

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