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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第3章「か弱き逃避行」
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第64話「持たざる者の憂鬱」

 そのとき守助は、人は生きたまま死ぬと知った。

 見殺しがこんなにも苦しいと知った。

 臆病は罪と知った。


 十歳のとき、守助は死人を見た。







「吉城君?」

「‼︎」


 呼びとめられる声で我に帰った。無意識に息をとめていたせいで、空気が喉につっかえてむせそうになる。

 そんな守助の様子に、由于夏が心配げな眼差しを向けた。


「どうしたの? 体調悪いの?」

「いや、そういうわけじゃ……」


 混乱が抜けきらないまま、守助は後ずさりして両手を胸の前に出す。それでも由于夏の気遣う雰囲気は途絶えない。情けなく感じて必死に弁明を考える。


「なんか今間定が氷凰ちゃんと話してるっぽいから離れてようって思っただけで別にしんどいとかそういうんじゃ」

「……そっか。なるほど」


 早口に並べた言い訳に、由于夏の表情が少し陰った。


(ヤベッ、なんか余計なこと言った……?)


 口を噤む守助。

 じんわりとした自己嫌悪が、再び滲む。どうしてこう自分のことでいっぱいいっぱいになってしまうのか。


「氷凰ちゃんの様子見に行こうと思ったんだけど、そういうことなら戻ろうかな」

「…………」


 由于夏はそう言って笑い、守助に背中を向けた。声をかけられず押し黙る。


(……なにやってんだろ俺)


 すぐに焦って碌なことのできなくなる自分に、鱗士や氷凰のような力はあるのか。考えるまでもない。ならせめて、由于夏のような心を少しでも備えているのか。

 今更考えたってどうしようもない。そんなこと、分かった上で鈴に頼られてきた。しかしいざ危機に陥って、自分になにかができたか? 逃げるしかできなかった。


 守助の握り拳に力がこもる。心に刻むだけでは駄目なのか。死んでもいいという覚悟でもなければ、持たざる者はなにもなせないのだろうか。鱗士でさえそうらしいのに。

 断片的に聞いたさっきの会話から、自棄気味にそんな思考が浮かんだ。


「……私って、やっぱり一般人なんだよね」

「え?」


 思いもよらない吐露。後ろを向いたままの由于夏の、暗い声色。守助は思わず聞き返した。

 そして、反射的に反論していた。


「俺はそうだけど丁は違うだろ。だってほら……間定さ……。前と雰囲気変わったじゃん? それって丁のお陰だろ?」


 苦手な雰囲気。苦手な目。それが幾分か丸くなった気がしたのは、おおよそ一月前だっただろうか。この間、実際話してみて驚いた。あまりに守助の中の鱗士とかけ離れていて。

 原因は簡単に分かった。由于夏と話す鱗士を見れば、多分誰でも分かる。彼女は鱗士のなにかを変えたのだ。


 丁由于夏は、守助が欲してやまない力を持っている。


「お前凄いよ。カッコいいよ」

「…………」


 由于夏が振り返る。丸い目を見開いて守助を見た。


「だから……えーと、なにが言いたいってわけじゃねえけど……間定は、丁がいてよかったって思ってるよ! 多分、いや絶対!」


 つい言葉に熱が入った。自分にできないことをできる人が、自虐的な態度を取る。それが心苦しかったのだろう。もっと胸を張るべきだと、守助は思った。


「そうかな。でも、間定君にも似たこと言われたから、もしかしたらそうかも……よく分かんないや」


 由于夏は頭を掻きながら照れ笑う。自分が他人からどう映っているのか、いまいち実感がわかない。色んな意味でむず痒かった。


「ありがとう。吉城君はいい人だね」

「……丁には及ばねえよ」

「及ぶよ。鈴ちゃん吉城君の話しかしないし。聞いてると本当に、大事にしてるんだなって思うよ」


 部屋を男子と女子に分けた都合、鈴は守助とは別部屋にいた。正直一緒でも問題ないと誰もが思ったが、鱗士だけは怖がられ続けているので致し方なくだ。自分のために居座ってくれた鱗士を一人つまみ出すのは、流石に気が引ける。


(……それでも俺と鈴、そんで間定、丁、氷凰ちゃんの分け方でいいと思うけどな)


 という守助の見解もあるが、鱗士は由于夏との相部屋をやんわり避けていた。二人きりでもないのに、そういうところはとことんヘタレらしい。

 それでいて守助と由于夏が同じ部屋だと、恐らく嫉妬するのだろう。流石にそんな選択しないが。


「……俺の話ったって。他に言うことないんだろ、多分」

「それは分かんないけど、あんなに頼られてるのは確かなんだし」


 由于夏はそう言うが、守助の後ろ向き思考は素直に喜べなかった。

 それは一種の擦り込みじゃないのか。たまたま自分が出会ったから。別の誰かがこの役をやっていても、鈴は同じように懐いていたんじゃないか。


 今となっては分からないし、考えて気分が好転するわけでもない。守助はため息を吐いて思考を絶った。


「なんか傷の舐め合いみたいで変な感じだ。もうやめよう」

「そうだね、ごめん。私、結構怖がってるのかも」


 そういえば、先に自虐を切り出したのは由于夏だったと思い出す。会ったときの印象からして、そんなこと言わなさそうなのに。


 ふと、鱗士と氷凰の会話が脳裏に蘇る。


「……丁ってどこまで」

「え?」

「いやなんでもない!」


 こぼれかけた質問を、守助は慌てて飲み込んだ。両手で口を押さえ、背中をのけぞらせる。


(馬鹿なに聞こうとしてんだ!)


 鱗士と氷凰の命は繋がっている。

 不可抗力で知ってしまった二人の事情。


 由于夏は二人から、その話を聞いていたりするのか。つい疑問に思って、そのまま口から吐き出しかけた。

 どこまで軽薄なら気が済むのか。確認してどうする。そんな告げ口になんの意味がある。間違っても、自分がどうこう言っていい問題のはずがない。


「? じゃあ私そろそろ戻るね」


 深く追求することなく、由于夏は借り部屋に戻っていった。胸を撫で下ろす。


「…………」


 今更丸投げはしない。するわけない。神も自分も許さない。

 けれど守助の中で、それとは別のものがゆらゆら揺れる。鱗士と氷凰のことが頭から離れない。それが伝播して、ますます自信が失せてきた。


 忌まわしい思い出が顔を覗かせる。

 自分に誰かが本当に救えるのか。


(こんなん考えてる時点で駄目だよな。やっぱり俺って弱いなあ……)


 進む以外に道はないのに、その足取りがどうしても覚束ない。守助は自分が嫌いだった。ずっとずっと嫌いだった。

 時間は守助を置いて流れる。改めて部屋に入り、布団を敷き、氷凰を見送り、寝床について。眠気は全くなかった。







 教室の自分の席で、俺は久しぶりにボーッと授業を聞き流している。前ほどやる気がないわけじゃない。ただ考え事が授業よりも大事なだけだ。

 普段丁が座っている席を横目で見る。いない。欠席である。


 氷凰、丁、吉城、鈴は、昨日から引き続き榊さんの寺に滞在中だ。俺だけが普段通り学校にいる。

 放課後、荒崎さんに会うことになっているのだ。妙なそぶりを見せるわけにはいかない。


 特に気をつけるべきは、俺や氷凰が寺を出入りするのを見られること。この可能性がないとは言いきれない。だから早朝に家に帰り、普段通りの道で俺は学校に来た。氷凰にも外に出るなと言ってある。


「…………」


 自然と眉間に力が入る。大丈夫だ。俺はただ聞き出せばいい。その結果なにを知ろうとも、丁と吉城だけは守る。


 チャイムが鳴る。この日最後の授業が終わった。

 ホームルームを聞き流して終わりを待つ。大した時間はかからなかった。

 誰に邪魔されることもなく、教室を立ち去り、下駄箱で靴を履き替え、校門を抜ける。


 帰路につく間、俺はひたすら無心だった。さっきまで思考があふれていたのが嘘のようだ。

 しかし心臓が収縮したような、縛られているような、そんな感覚が次第に強まる。どうやら冷静になって頭が凪いだわけじゃなく、ただ考える余裕がなくなってきただけらしい。

 まずい、思ったより緊張している。


 深呼吸しながら歩く。

 普段通り……。不自然を晒すな。

 間もなく家だ。既に門が見えてきている。


 そこに人影があった。


「……!」


 心臓を縛る縄が強まった。

 師匠と同年代とは思えない、どちらかと言うと虎乃や龍臣に近く見える顔立ちと背格好。一見穏やかで、退魔師とは思えないほど柔い霊気。


 荒崎さんが俺を待っていた。


 俺に気づき、片手を挙げる荒崎さん。足が徒歩から小走りに変わる。


「すみません、待たせましたか」

「僕が早めに来ただけだ。気にするな」


 荒崎さんは優しく笑い、そして表情をほのかに暗くした。


「僕こそすまない。景生の葬式、出席できなくて……。来るのが遅くなった」

「いや、そんな。気にしませんよ、俺も師匠も」


 それは珍しいことじゃない。退魔師には、長期間身動きできないような仕事だって存在する。

 そして、突然死ぬのも珍しいことじゃない。


 荒崎さんを家に上げる。

 仏壇に線香を供えている間に、俺は卓袱台にお茶を運んだ。


「……虎乃や龍臣にも謝らないとな」

「別にいいと思いますけど」


 卓袱台を挟んで向かい合う。持ってきた茶で喉を潤してから、俺は切り出した。


「それで……どういった話ですか」

「ある妖怪を追っている」


 食い気味の返答だった。

 荒崎さんの雰囲気が変わる。好青年の顔が消える。


「どんな妖怪ですか」

「極めて危険だと僕は見ている」


 そこにいるのは殺し屋だった。慈悲の欠片もなく、ただただ殺すことに心血を注ぐ殺し屋。


「一目じゃ分からなかった。あんな方法でこの世にへばりつく妖怪がいるとは……」


 痰でも吐き捨てそうなほど憎々しい口振りだ。

 身構えそうになる体をどうにか固め、俺は更に聞いた。

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