第63話「もう一人の師匠」
丁は振り向かない。顔も体も強張ってしまっている。
出会うかもとは思っていた。なにせ、さっき式神を破壊したのはこの近く……丁の家からそう距離はないのだ。荒崎さんが現場に来るのは必然とも言える。
「久しぶりだな」
「どうも」
だから心の準備はしてある。落ち着け。俺がここにいたって、別に不自然じゃない。普通に会話しろ。
「…………」
荒崎さんは目を見開き、俺と丁を見比べた。信じられないという様子で、視線を何往復もさせている。
なにか怪しまれてる? いやまさか、丁に不審な点があるはずない。会う可能性を伝え忘れたのはミスかもしれないが、それで悟られるほどの動揺じゃ——
「君……遂に友達ができたのか……!」
「……いやどういう意味ですか」
不審がられてるの、俺だった。
しかもそんな悲しい理由で。
「いやすまない、でも心配してたんだ。君は危なっかしいからな。友達が一人でもいればとずっと気にかかっていて……」
「いやもう勘弁してください……泣きそうになってきた」
安心したように優しげな声を上げ、俺の肩を笑顔で叩く荒崎さん。その方面の準備はしてなかった。俺の心がゴリゴリ削られてゆく。
早く話逸らそう。色々と身が持たん。
「今日うちに来てくれたって聞きましたけど、なにかあったんですか?」
笑顔が一転、荒崎さんの顔が陰る。
憎々しげな舌打ちを我慢したような音が、喉の奥から僅かに聞こえた。
「……いや、明日改めて話すよ。今するような話じゃない」
未だ振り返れない丁を一瞥し、荒崎さんはため息をつく。同時に、殺気立った気配が静まった。さっきの笑顔に戻ってゆく。
「水を差して悪かった。この道をこのまま行くといい」
「あ、ありがとうございます」
生温かい目で俺を捉え、正面を指差す荒崎さん。
元から行こうとしていた方向……式神を破壊した場所を逸れる道だ。
手を振る荒崎さんに軽く礼をし、俺は丁を引っ張ってその場を去った。
視線に含みを感じたのは……気のせいということにしよう。少なくとも、まだ鈴を匿ってるとはバレてないようだし。
「すまん。いるかもしれないって言っとくべきだった」
「大丈夫……ちょっとびっくりしたけど」
首だけ振り向かせて丁を見る。緊張が解けて崩れた表情。次いで、意外そうな視線を俺に向けた。
「なんていうか、思ってた感じと違うね。もっと怖い人なのかと」
「まあ、人当たりはな」
あの人は別に悪人じゃない。この世界に入った頃からよく知っている。さっきの説明でしか荒崎さんを知らない、丁たちには伝わらないだろうが……。
「……正義感が強いだけなんだよ」
正直、俺も詳しくは知らない。だがあれが、あの人なりの正義の形なのだということは分かる。
ともすれば命を失うかもしれない退魔師。その大半が持っている、信念と呼ぶべきもの。他の誰かにとやかく言う権利なんかない、絶対の領域。
だからこそ、こんな厄介な状況になっている。
「間定君」
「大丈夫だ。丁が重く考えることじゃない。俺がなんとかしてみせるから——」
「いやあの、私の家行き過ぎてるよ……?」
苦笑いする丁が、後ろにある一軒家を指差す。
全身と顔が強張るのを感じた。仕事モードだった頭が切り替わり、呑気に現状分析を開始する。
丁の手を取り。
そのまま引っ張って歩き。
微妙に空回った。
「すまん……!」
途端に恥ずかしさが爆発した。
丁の手を離し、バックステップ。我ながら異常に俊敏な動きだった。氷凰の攻撃を咄嗟に躱したときでも、ここまでじゃなかったと思う。どこで成長してるんだ俺は。
「じゃあ、荷物まとめてくるね」
「おう……待ってる。ゆっくりでいいから……」
いや、成長してないかもしれん。
一度意識してしまうと、やっぱり上手く話せない。
*
「好きに使って構わない」と、榊さんが貸しきらせてくれた部屋で、一人物思いに耽ける。女子は別部屋で、吉城は風呂だ。
「荒崎さんが敵……ってわけでもないけど……」
この短期間に、色んな奴を敵に回した。蜘蛛や魚なんかは可愛い方で、狂狸や狐華なんてヤバすぎる連中も。
そんな中、今回は色々と事情が違う。というか俺にとっては、敵という認識ですらない。
……そもそも敵がどうこうって問題なのか?
駄目だ、まとまらない。とりあえず俺も泊まることにはしたが、明日どうなるのか全く分からない。
荒崎さんの話を聞いて、鈴は危険だと思ったとして。もしくは守るべきだと思ったとして。俺は戦うことになるのだろうか。だとしたら、誰と。
「究極の選択ってこういうのを言うんだな」
「相変わらずうじうじ面倒くさいな、貴様は」
襖を雑に開き、不遜な顔と声を携えた氷凰が入ってきた。不覚にも少し驚いて肩が跳ねる。
「そんなに悩むなら、私がどっちか瀕死にしてやろうか?」
「絶対やめろ馬鹿」
「……言われすぎて慣れ始めた自分が恨めしい。貴様のせいだぞたわけ」
開けたときと同様、音を立てて襖を閉める氷凰。いくらか大人しくなっても、襖の扱いだけは最初から変わらないのはなぜなのか。
「なにしに来た」
「別に」
不遜な表情を浮かべたまま、氷凰は座り込む俺の隣に立った。
「…………」
視線を上げる。一瞬目が合ったが、なぜかすぐに逸らされた。頭と連動して水色の髪がなびく。
本当になにしに来たんだ。まさかさっきの物騒な提案だけしに来たんじゃないだろうな。
氷凰の意図が分からずに見上げ続けていると、なにか考えるそぶりを見せ始めた。顎に手を当て数秒うなった末。
「……貴様、冬汰のことはどう思ってるんだ?」
そんなことを聞いてきた。
やっぱり意図が分からないが、なんとなく聞き返す気力もなくて、俺は素直に口を開く。
「尊敬してる。師匠の次くらい」
「景生の次か?」
軽く頷き、俺は続ける。
まあいい機会だ。一つ教えておいてもいいだろう。
「……“結命鎖縛”」
「!」
全ての始まりになった技の名に、氷凰が肩を震わせた。そして怪訝な視線を俺に向けて落とす。
コイツにとっては忌まわしい響きだろう。それをなぜ今引っ張り出したのか……そう無言で訴えてくる。
「術者と対象の命を連結させる技。どちらかが死ねばもう片方も——」
「やめろ! 改めて説明するな! ああクソ、最近はあまり考えないようにしていたのに……!」
「そんな技、あの師匠が俺に教えてくれると思うか?」
頭を抱えかけた姿勢で氷凰が固まる。
師匠は生き急いでいた俺に、常々「自分を大切にしろ」と諭していた。“結命鎖縛”はいわば自爆技。師匠からしたら、そんな技覚えてほしくないに決まっていたのだ。
たった今氷凰もそれを理解したようで、上がっていた両手を下げて疑問符を浮かべている。
「……あれ、師匠に黙って荒崎さんに教わったんだ」
「なん……⁉︎」
「後でバレて死ぬほど怒られたけどな」
つい自嘲じみた苦笑いが漏れる。
改めてなんて親不孝だ。
「……つまり奴が、あんなふざけた技を鱗士に教えなければこんなことには」
「まあそうだな」
「そうか……そうか……。フ。フフフフフ……」
俺のとはまた違う、嫌な笑いを漏らし始める氷凰。虚な目を伏せ、肉を裂いた切れ目のように不気味に口を歪め、不規則に肩を揺らす。
「よし。あいつ殺そう」
「そうなったら俺も死ぬからな」
「うがああああ! 荒崎冬汰あああああああああ!」
遂には天を仰ぐように上を向き、髪をめちゃくちゃに掻き毟る。
殺そうとか普通に言い出すあたり、丸くなったんだかなってないんだか。少なくとも、幼稚なところは相変わらずだ。
そう思うと、漏れる笑いから薄暗いものが消えた気がした。俺はようやく理解する。
「……なんだお前、焔ヶ坂山での仕返しのつもりか?」
「ハッ。なんのことだか」
氷凰はしらを切ってそっぽを向く。
悩む俺。そこに現れた氷凰。いがみ合いのような、そうでもないような些細な会話。
それは奇しくも、約一月前の焔ヶ坂山での光景とよく似ていた。俺と氷凰の立場が逆、という点を除いてだが。
まさか、お前に気を使われるとは。
そんでもって、まさか効果があるなんて。
いつからこんなに。声を殺し、俺は口角だけを上げて笑った。
「……生意気な奴」
「気が晴れたなら結構なことだ。私には関係ないがな」
あのときと似たような台詞を、俺たちは立場を変えて投げ合う。見れば氷凰も笑っていた。
「やるだけやるさ。どんな結果になっても、守るものだけは見失わない」
「由于夏の前で同じこと言ってやれ」
「無理。意識したら死ぬ」
「じゃあやめろ。このヘタレが」
「うるせえ」
*
盗み聞きする気は、守助にはなかった。ただ貸してもらった部屋に戻ろうとしただけだ。
襖を開こうとしたところで、鱗士と氷凰の会話が聞こえた。
「…………」
あの二人だけの話は、聞かない方がいい気がした。
多分、自分や由于夏のような一般人が知るべきではない情報がそこにはある。だからさっきも、鱗士は氷凰を連れ出して話したのだろう。守助にもそれは察せた。
一度離れよう。なにも聞かないようにしよう。
そう冷静に判断する前に、聞かなくていいことを聞いてしまった。
「……命を連結って……なんだよ…………」
鱗士はどういうつもりで、氷凰にそんなことをしたのか。分からない。
なにも知らないのに、守助の頭に負のイメージが充満する。勝手に闇に落ちてゆく。
(死んでもいいってことかよ?)
手遅れながら、守助は廊下を戻る。
(なんで……)
記憶が蘇る。
死んだ目。死んだ心。
かつて見た生きた死人が、守助の記憶から蘇る。




