第62話「鈴」
自分の想像に寒気がした。腕を見れば鳥肌が立っている。
「鱗士?」
「……なんでもない」
氷凰が怪訝そうに、俺の顔を覗き込む。
今のところ、これは完全に憶測だ。確固たる証拠もない。しかし矛盾もしていない……と、思う。
妖気をもう一度確認してみる。痣と鈴に意識を向けた。
「…………」
……敵意なし、悪意なしのないない尽くし。危険を感じる方がどうかしている。
しかしその度を超えた無害ぶりが、今の俺には不気味だった。
「間定君?」
丁までもが、なにかを察したように俺を見る。
「氷凰」
俺は立ち上がり、視線で氷凰に促す。
あまり聞かせたくない話だ。吉城には特に。
とりあえず意図は通じたらしく、氷凰は仏頂面で立ち上がった。
「ちょっと二人で相談がある」
三人には簡潔に告げて、俺は客間から出た。無言の氷凰が俺に続き、襖を閉める。廊下を少し歩き、十分離れた所で立ち止まった。
「どうかしたか」
「……嫌な想像しちまった」
壁に背を預けて屈み込む。氷凰は立ったまま向かいの壁にもたれかかり、低い位置にいる俺を見下ろした。腕組みと合わさって、随分と偉そうな構図である。
「鈴はただの弱い妖怪、じゃないかもしれない」
「私も貴様も同意見だっただろう。あれに大それた力はないと」
「まあ、鈴自体は弱えよ。俺らがいなきゃ、あの場で死んでたと思う」
氷凰は要領を得ない様子で、眉間に皺を寄せながら首を傾げる。
「守られたお陰で生き延びられた……さっき貴様はそう言ったな」
「あくまで仮説だけどな。それでも荒崎さん相手に、数日も時間を稼げるとは思えない。あの人は師匠と同門だぞ」
「それも信じがたいな……見る限りだと貧弱そうだったが」
お前も見た目だけじゃ強そうには見えねえよ。外見で判断なんかできやしねえ。
「ともかくそうなると、鈴が守られたのは一回じゃないって考えた方が自然なんだよ。けどそんなこと普通あり得るか?」
「……煉鮫みたく徒党を組んでいたんじゃないか?」
「なら数日で一匹にはならないはずだ」
妖怪が群れる場合は、基本的に百鬼夜行みたいになる。それが向かってこず逃げに徹したなら、流石に数日で全滅はない。
「見ず知らずの奴を、妖怪が命を懸けてまで? それも一度ならず……」
氷凰も違和感を感じ始めたらしい。
弱者は死あるのみ……多くの妖怪がそう考える。なのにどう見ても弱い鈴が、殺されるどころか守られ続けるなんて不自然でしかない。
だが。
「これが鈴の仕業だとしたら」
「……私たちは術中にいると言いたいのか?」
目を見開く氷凰。信じられないと俺に訴えている。
「お前、初見で鈴に懐かれたらしいじゃねえか。しかもそれをあっさり受け入れてる。あのお前がだぞ」
「貴様それはどういう意味だ。喧嘩売ってるのか?」
「客観的な意見だよ」
多少は丸くなったはいえ、氷凰は【無間の六魔】。最強最悪の妖怪だ。性格からしても、初対面でいきなり友好的な対応はしない。丁にも最初は塩対応だったらしいし、俺や虎乃に至っては戦闘にまで発展した。
「鈴は現状、お前が出会ってすぐ優しくした唯一の存在だ。たまたまかもしれんが、俺は異常だと思う」
なにか言い返したそうにしていたが、やがて氷凰は難しい顔で考え込む。
「……確かに、守ってやってもいいと考えていた。助けてやるのもやぶさかではない、と」
「俺もだ。目に見えた危険がないとはいえ、いつの間にか守るつもりになってた」
昔ほど妖怪を憎んじゃいないが、いくらなんでも警戒しなさすぎだった。冷静になるとどうかしてる。
「後これも仮説だけど……丁や吉城にも姿が見えるのは、守らせるためなんじゃないか?」
「…………」
氷凰は返事をしない。難しい顔のまま俺を見る。
「丁には最初見えてなかった。それが心を許したから……。丁なら守ってくれると思ったから」
「守助は? あいつは最初から見えていたはずだ」
「分からん。あくまで俺の想像だし」
流石にこじつけっぽいが、あながち間違いという気もしなかった。
今の俺の中で、もう鈴はただの庇護対象じゃない。
「たとえば、吉城の方にトリガーがあったとか」
「……貴様が鈴を怪しんでいるのは分かった。正直、同感な部分もある」
冷たい眼差しが俺を捉える。体感温度が下がった気がした。
氷凰はやっと、席を外した意図を理解したらしい。
「で、どうするつもりだ? 冬汰に突き出すか? それとも貴様か私がけりをつけるか?」
それは、必ずこんな話になると思ったから。
今の仮説が本当だとすると、このまま鈴を守っていいのか怪しくなる。俺が損をするだけならいい。しかし丁や吉城、榊さんが既に関係者なのだ。
ああ……また間違えた。
「……もしそうなったら、丁たちは鈴を庇うかな。命を懸けてでも、俺たちから守ろうとするのかな」
「なんだそれ。狂狸よりタチが悪いぞ」
考えすぎであってほしい。鈴は本当にただ弱いだけで、今まで逃げ仰せられたのも運がよかったから。
だがもしそうじゃなかったら?
もし今の仮説が正しかったら?
鈴を守り続けて、最後にはどうなるのか。
害そうとしたら、どうするのか。
いなくなったら、どうなるのか。
……これ、荒崎さんなら詳細知ってるのか?
意味も分からず追い続けてる、ってことはないと思う。鈴になにかしらの特性があるなら、感づいてる可能性も……。
「一回、荒崎さんと話してみようと思う」
「……まあ、こういうのは貴様の仕事だからな。私はどっちでも」
「吉城たちにはまだ伏せとこう。ひとまず明日次第だ」
不安を携えたまま、俺は立ち上がる。
後手に回りたくはないが、下手を打てないのも事実だ。俺にできるのは現状維持。もどかしい。
氷凰と共に客間へと戻った。元いた席に座り直し、とりあえず出した結論を三人に告げる。
「匿ってることは伏せつつ、荒崎さんに探りを入れることにした。鈴についてなにか知ってるのかもしれない」
反対の声は誰も上げないが、不安げな顔が向けられる。特に吉城。
「鈴って、なんかヤバイのか……?」
「そういうわけじゃない。ただ改めて謎が多いから、情報が欲しいんだ」
吉城が鈴を見下ろす。穏やかな寝息が俺にも聞こえる。こうして見ると、危険なはずがないのだが。
「明日、俺の家に荒崎さんが来る……だよな?」
「ああ。そんなことを言っていた」
氷凰は視線も寄越さずにそう答える。
なら機会は待っていても訪れるわけだ。
「多分放課後に合わせて来るだろうから……その間鈴をどうするか」
「ここでよければ、好きなだけいてくれて構わないよ」
榊さんがそう言ってくれるならありがたい。吉城の家付近は、もう荒崎さんに怪しまれてる。ここの方が見つかりにくいのは確実だ。
お礼を言おうとしたとき、吉城が顔を上げた。
「俺も明日……ここにいていいですか……?」
不安を押し殺す声。決意を固めた目で榊さんを見る。
俺には、使命に突き動かされているように見えた。
「もちろん。心配なら泊まるといい」
「あ、ありがとうございます……!」
吉城が机にぶつけそうな勢いで頭を下げる。
こうなるだろうとなんとなく思っていた。別に不自然な展開じゃない。
「……じゃあ、私も」
続くようにして、おずおずと手を挙げる丁。
これも予想済みだった。丁の性格からして、むしろこうならない方が不自然だ。
榊さんは無言で頷く。誰もが鈴のために動こうとしている。
「……なら、着替えとか持ってきた方がいいな」
多分、こんなにも違和感を感じているのは俺だけだ。それを悟られないよう、同調した体で俺は言った。
*
夜になりかけの、薄暗い空の下。
俺と丁が並んで歩いていた。
ただし、いつものように浮かれる余裕は全くない。会話もほぼなく、丁の家に向かう。
「…………」
着替えやその他を取りに、丁と吉城は一旦家に戻ることになった。それを念のため送っている最中である。吉城の方には氷凰がついて行った。鈴はあのまま、榊さんの寺の客間にいる。
俺はどうするか。一緒に泊まった方がいい気はする。荒崎さんは放課後までは来ないはずだし……。しかし、もしかしたら朝一の可能性も……まあゼロではない。多分ないが。
それでもボロが出る行為は控えた方が得策か? 最悪、氷凰だけでも護衛は事足りる。話の邪魔にならないよう、信頼できる人の所に置いてきたということにして。
「間定君?」
「!」
いつの間にか、丁が俺の顔を覗き込んでいた。
例によって近い。ただ、今回ばかりは冷静なままでいられた。
「どうした?」
「……氷凰ちゃんと話すとき、二人きりになってたってことは……。私たちは知らない方がいいなにかが、鈴ちゃんにはあるってこと……かな?」
かと思えば、少したじろがされた。
丁は不安げな丸い目で俺を見る。
「……ごめん。こんなことも聞かれたくないよね」
が、すぐに伏せられてしまった。不安げなまま、目線が地面に落とされる。
……なにがあっても守るって言ったばかりだろ。
こんな顔させたままで、守ってるって言えるか?
俺より丁や吉城の方が不安に決まってる。
しっかりしろ、馬鹿か俺は。
「丁……」
なにか不安を拭えること。思い浮かぶ前に口を開きかけて。
「鱗士か?」
声が喉に詰まった。
知っている声。
尊敬している人の声。
今は会いたくなかった人の声。
振り返る。
「……荒崎、さん」
師匠の旧友が、悠々と歩いてきていた。




