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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第3章「か弱き逃避行」
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第62話「鈴」

 自分の想像に寒気がした。腕を見れば鳥肌が立っている。


「鱗士?」

「……なんでもない」


 氷凰が怪訝そうに、俺の顔を覗き込む。

 今のところ、これは完全に憶測だ。確固たる証拠もない。しかし矛盾もしていない……と、思う。


 妖気をもう一度確認してみる。痣と鈴に意識を向けた。


「…………」


 ……敵意なし、悪意なしのないない尽くし。危険を感じる方がどうかしている。

 しかしその度を超えた無害ぶりが、今の俺には不気味だった。


「間定君?」


 丁までもが、なにかを察したように俺を見る。

「氷凰」


 俺は立ち上がり、視線で氷凰に促す。

 あまり聞かせたくない話だ。吉城には特に。


 とりあえず意図は通じたらしく、氷凰は仏頂面で立ち上がった。


「ちょっと二人で相談がある」


 三人には簡潔に告げて、俺は客間から出た。無言の氷凰が俺に続き、襖を閉める。廊下を少し歩き、十分離れた所で立ち止まった。


「どうかしたか」

「……嫌な想像しちまった」


 壁に背を預けて屈み込む。氷凰は立ったまま向かいの壁にもたれかかり、低い位置にいる俺を見下ろした。腕組みと合わさって、随分と偉そうな構図である。


「鈴はただの弱い妖怪、じゃないかもしれない」

「私も貴様も同意見だっただろう。あれに大それた力はないと」

「まあ、鈴自体は弱えよ。俺らがいなきゃ、あの場で死んでたと思う」


 氷凰は要領を得ない様子で、眉間に皺を寄せながら首を傾げる。


「守られたお陰で生き延びられた……さっき貴様はそう言ったな」

「あくまで仮説だけどな。それでも荒崎さん相手に、数日も時間を稼げるとは思えない。あの人は師匠と同門だぞ」

「それも信じがたいな……見る限りだと貧弱そうだったが」


 お前も見た目だけじゃ強そうには見えねえよ。外見で判断なんかできやしねえ。


「ともかくそうなると、鈴が守られたのは一回じゃないって考えた方が自然なんだよ。けどそんなこと普通あり得るか?」

「……煉鮫みたく徒党を組んでいたんじゃないか?」

「なら数日で一匹にはならないはずだ」


 妖怪が群れる場合は、基本的に百鬼夜行みたいになる。それが向かってこず逃げに徹したなら、流石に数日で全滅はない。


「見ず知らずの奴を、妖怪が命を懸けてまで? それも一度ならず……」


 氷凰も違和感を感じ始めたらしい。

 弱者は死あるのみ……多くの妖怪がそう考える。なのにどう見ても弱い鈴が、殺されるどころか守られ続けるなんて不自然でしかない。


 だが。


「これが鈴の仕業だとしたら」

「……私たちは術中にいると言いたいのか?」


 目を見開く氷凰。信じられないと俺に訴えている。


「お前、初見で鈴に懐かれたらしいじゃねえか。しかもそれをあっさり受け入れてる。あのお前がだぞ」

「貴様それはどういう意味だ。喧嘩売ってるのか?」

「客観的な意見だよ」


 多少は丸くなったはいえ、氷凰は【無間の六魔】。最強最悪の妖怪だ。性格からしても、初対面でいきなり友好的な対応はしない。丁にも最初は塩対応だったらしいし、俺や虎乃に至っては戦闘にまで発展した。


「鈴は現状、お前が出会ってすぐ優しくした唯一の存在だ。たまたまかもしれんが、俺は異常だと思う」


 なにか言い返したそうにしていたが、やがて氷凰は難しい顔で考え込む。


「……確かに、守ってやってもいいと考えていた。助けてやるのもやぶさかではない、と」

「俺もだ。目に見えた危険がないとはいえ、いつの間にか守るつもりになってた」


 昔ほど妖怪を憎んじゃいないが、いくらなんでも警戒しなさすぎだった。冷静になるとどうかしてる。


「後これも仮説だけど……丁や吉城にも姿が見えるのは、守らせるためなんじゃないか?」

「…………」


 氷凰は返事をしない。難しい顔のまま俺を見る。


「丁には最初見えてなかった。それが心を許したから……。丁なら守ってくれると思ったから」

「守助は? あいつは最初から見えていたはずだ」

「分からん。あくまで俺の想像だし」


 流石にこじつけっぽいが、あながち間違いという気もしなかった。

 今の俺の中で、もう鈴はただの庇護対象じゃない。


「たとえば、吉城の方にトリガーがあったとか」

「……貴様が鈴を怪しんでいるのは分かった。正直、同感な部分もある」


 冷たい眼差しが俺を捉える。体感温度が下がった気がした。

 氷凰はやっと、席を外した意図を理解したらしい。


「で、どうするつもりだ? 冬汰に突き出すか? それとも貴様か私がけりをつけるか?」


 それは、必ずこんな話になると思ったから。

 今の仮説が本当だとすると、このまま鈴を守っていいのか怪しくなる。俺が損をするだけならいい。しかし丁や吉城、榊さんが既に関係者なのだ。


 ああ……また間違えた。


「……もしそうなったら、丁たちは鈴を庇うかな。命を懸けてでも、俺たちから守ろうとするのかな」

「なんだそれ。狂狸よりタチが悪いぞ」


 考えすぎであってほしい。鈴は本当にただ弱いだけで、今まで逃げ仰せられたのも運がよかったから。


 だがもしそうじゃなかったら?

 もし今の仮説が正しかったら?


 鈴を守り続けて、最後にはどうなるのか。

 害そうとしたら、どうするのか。

 いなくなったら、どうなるのか。


 ……これ、荒崎さんなら詳細知ってるのか?


 意味も分からず追い続けてる、ってことはないと思う。鈴になにかしらの特性があるなら、感づいてる可能性も……。


「一回、荒崎さんと話してみようと思う」

「……まあ、こういうのは貴様の仕事だからな。私はどっちでも」

「吉城たちにはまだ伏せとこう。ひとまず明日次第だ」


 不安を携えたまま、俺は立ち上がる。

 後手に回りたくはないが、下手を打てないのも事実だ。俺にできるのは現状維持。もどかしい。


 氷凰と共に客間へと戻った。元いた席に座り直し、とりあえず出した結論を三人に告げる。


「匿ってることは伏せつつ、荒崎さんに探りを入れることにした。鈴についてなにか知ってるのかもしれない」


 反対の声は誰も上げないが、不安げな顔が向けられる。特に吉城。


「鈴って、なんかヤバイのか……?」

「そういうわけじゃない。ただ改めて謎が多いから、情報が欲しいんだ」


 吉城が鈴を見下ろす。穏やかな寝息が俺にも聞こえる。こうして見ると、危険なはずがないのだが。


「明日、俺の家に荒崎さんが来る……だよな?」

「ああ。そんなことを言っていた」


 氷凰は視線も寄越さずにそう答える。

 なら機会は待っていても訪れるわけだ。


「多分放課後に合わせて来るだろうから……その間鈴をどうするか」

「ここでよければ、好きなだけいてくれて構わないよ」


 榊さんがそう言ってくれるならありがたい。吉城の家付近は、もう荒崎さんに怪しまれてる。ここの方が見つかりにくいのは確実だ。


 お礼を言おうとしたとき、吉城が顔を上げた。


「俺も明日……ここにいていいですか……?」


 不安を押し殺す声。決意を固めた目で榊さんを見る。

 俺には、使命に突き動かされているように見えた。


「もちろん。心配なら泊まるといい」

「あ、ありがとうございます……!」


 吉城が机にぶつけそうな勢いで頭を下げる。

 こうなるだろうとなんとなく思っていた。別に不自然な展開じゃない。


「……じゃあ、私も」


 続くようにして、おずおずと手を挙げる丁。

 これも予想済みだった。丁の性格からして、むしろこうならない方が不自然だ。


 榊さんは無言で頷く。誰もが鈴のために動こうとしている。


「……なら、着替えとか持ってきた方がいいな」


 多分、こんなにも違和感を感じているのは俺だけだ。それを悟られないよう、同調した体で俺は言った。







 夜になりかけの、薄暗い空の下。

 俺と丁が並んで歩いていた。


 ただし、いつものように浮かれる余裕は全くない。会話もほぼなく、丁の家に向かう。


「…………」


 着替えやその他を取りに、丁と吉城は一旦家に戻ることになった。それを念のため送っている最中である。吉城の方には氷凰がついて行った。鈴はあのまま、榊さんの寺の客間にいる。


 俺はどうするか。一緒に泊まった方がいい気はする。荒崎さんは放課後までは来ないはずだし……。しかし、もしかしたら朝一の可能性も……まあゼロではない。多分ないが。

 それでもボロが出る行為は控えた方が得策か? 最悪、氷凰だけでも護衛は事足りる。話の邪魔にならないよう、信頼できる人の所に置いてきたということにして。


「間定君?」

「!」


 いつの間にか、丁が俺の顔を覗き込んでいた。

 例によって近い。ただ、今回ばかりは冷静なままでいられた。


「どうした?」

「……氷凰ちゃんと話すとき、二人きりになってたってことは……。私たちは知らない方がいいなにかが、鈴ちゃんにはあるってこと……かな?」


 かと思えば、少したじろがされた。

 丁は不安げな丸い目で俺を見る。


「……ごめん。こんなことも聞かれたくないよね」


 が、すぐに伏せられてしまった。不安げなまま、目線が地面に落とされる。


 ……なにがあっても守るって言ったばかりだろ。

 こんな顔させたままで、守ってるって言えるか?

 俺より丁や吉城の方が不安に決まってる。

 しっかりしろ、馬鹿か俺は。


「丁……」


 なにか不安を拭えること。思い浮かぶ前に口を開きかけて。


「鱗士か?」


 声が喉に詰まった。


 知っている声。

 尊敬している人の声。

 今は会いたくなかった人の声。


 振り返る。


「……荒崎、さん」


 師匠の旧友が、悠々と歩いてきていた。

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