第61話「妖怪の見方」
鈴を追っているのは荒崎冬汰……俺の知り合いの退魔師で、師匠や術丘さんと同門で親友。俺の告げた事実に、氷凰たちは驚きに目を見開き固まっていた。
「それじゃあこの鳥みたいなのは……その人も二人みたいに協力し合ってること?」
「違うぞ由于夏。私たちは協力してない」
真っ先に疑問の声を上げた丁を、氷凰が食い気味に否定した。いちいち突っかかるなと文句を言いたいが、そんな場合じゃないので俺が引き継いで答える。
「荒崎さんは式神使いだ。これは妖怪じゃない」
「式神……使い魔みたいなやつか⁉︎」
「似たようなもんだと思ってくれ。細かく言うと違うけどな」
しかし、これはまずい。思っていた以上に面倒だ。そこらの少し強い妖怪が相手の方が、よっぽど楽だった。
「でもそれなら、間定君が話してくれればいいんじゃ?」
丁が希望と疑問を混ぜこぜた目で俺を見る。
もっともな疑問だ。荒崎さんから見て、俺は親友の弟子。事情を話せば丸く収まる、と思われるのは自然な流れだろう。同じ状況で立場が逆なら、俺もそう思う。
だから丁には疑問が混ざっている。なぜ俺の家が安全でないのか。早くここを立ち去ろうとしているのか。
「無理だ。妖怪絡みで、あの人の説得は誰にもできない」
簡潔に言うと、そういう理由だ。
師匠でも術丘さんでも、荒崎冬汰はとめられない。
「どういう意味だ?」
氷凰が続いて疑問を呈する。氷の処理はもう済んだようだ。
「……お前、今日あの人と会ったんだろ? どんな感じだった」
「生意気だった」
荒崎さんもお前にだけは言われたくないだろうよ、とは今は言わないでおく。
「それはお前が妖怪だからだよ。俺の言いたいこと分かるか?」
「……あー、なるほど。昔からそういう奴はいるな」
納得しつつも面倒くさそうに、氷凰は頭を掻いた。
生意気、要するに愛想が悪かったということだろう。しかし荒崎さんは基本的に温厚だ。俺も昔からよくしてもらってる。
しかし、話が違ってくる場合があるのだ。
「どういうことだよ?」
「あの人……妖怪が嫌いなんだよ。見つけたら例外なく殺すくらい」
吉城が絶句する。丁は鈴を抱く力を強める。
これは別に珍しいことでもない。退魔師なんて基本的に、妖怪相手に碌な思い出がない生き物だ。恨みを持つのはむしろ普通。かく言う俺も、最近までは荒崎さん寄りだった。
「いやでも、氷凰ちゃんは……さっき会ったって」
「あー……コイツは事情が特殊だからな。あの人も下手に殺したりしない」
「私があんな奴に殺されるわけないだろう」
氷凰が吉城に食ってかかるが、そこは今重要じゃない。だから置いておくとして。
俺と氷凰の関係、吉城はよく知らないからな。言っても余計な心労与えそうだし、悪いが濁しておこう。
「ともかく説得は無理だ。式神倒したことも多分バレてる。俺たちがやったとは思ってないだろうけど、早くどっかに移動した方がいい」
全員顔を見合わせ、とりあえずその場を去った。
行き先はどうするか……。俺の家は論外。丁と吉城にしても、転がり込んだら相応の迷惑をかけるだろう。
「どういった経緯で、奴は妖怪を憎んでるんだ?」
「聞けるかよ。多分師匠だって知らなかったはずだ」
お前はもっとデリカシーを知れ。俺や虎乃みたいないきさつが珍しくない世界だぞ。
「吉城君、鈴ちゃん任せてもいいかな」
「お? おう……」
後ろから丁たちの声が聞こえる。微かに鈴がすすり泣く声も。
どこか安全な場所……。とりあえず走ってるが、あそこから多少離れた程度じゃ駄目だ。かといって山の中で野宿、なんてわけにもいかない。丁たちは家に帰らせるとして……いやきついか? 俺が鈴のメンタルケアをできるとは思えない。
クソ、考えれば考えるほどよくない状況だ。こんなことになるとは。
走りながら考えるもどん詰まり。考えもなく角を曲がる。
進行方向に見覚えのある人がいた。
「!」
急ブレーキをかけてとまった。氷凰がつんのめる。後ろからの足音も聞こえなくなった。
「おや」
その男性は、俺と氷凰を見て目を見開いた。出会うと思っていなかった、という風に俺たちを見比べる。
肩で息をしながら、氷凰も似たような反応をしていた。
「間定……?」
「え、まさか……」
二人の不安げな声。
立ち止まった俺と氷凰。相対した、俺たちを知っている風な男。二つが合わさり、最悪の事態が頭をよぎったのだろう。
それに真っ向から反する、穏やかな様子でその人は言った。
「久しぶりだね。間定君、だったかな」
「榊さん……?」
榊紘久。
氷凰と出会ったばかりの頃、とある事情で知り合った人だ。
*
俺たちは寺の客間に通され、榊さんの出してくれた茶をすすっていた。俺と氷凰、丁と吉城に分かれ、机を挟んで座敷に座っている。
鈴は泣き疲れたのか、吉城の胡座の上で丸まって眠ってしまっていた。
「すまないね、大したものがなくて」
榊さんが茶菓子を持ってきてそう言う。
俺は軽く頭を下げた。丁も吉城も同じ仕草をするが、氷凰だけは不遜に頬杖をついたまま動かない。
「ばうむくーへんは?」
「今切らしていてね」
「ちっ……気が利かない奴め」
舌打ちした馬鹿の頭をはたく。睨む矛先が俺に変わったが、完全にコイツが悪い。
俺は無視して榊さんを見やった。
「事情は説明しましたけど……本当にいいんですか、いさせてもらって」
「気にしないでくれ。君には借りがある」
借りと言うほどでもない。ただ榊さんが見つけた妖怪を俺が……いや、氷凰が倒したというだけだ。それで巻き込むのは——
うわ、借りがあるとしたらこの礼儀知らずじゃねえか。気づかれる前に話打ち切った方が賢明だな……。ここは厚意に甘えておこう。榊さんへの埋め合わせは後で考える。
「ありがとうございます」
さっきより深く頭を下げる。榊さんは笑い、茶菓子を机に置いて座った。
「あまり参考にならないかもしれないが、簡単な助言はできる。私も手を貸すよ」
「榊さん? も妖怪が見える人ですか?」
丁が控えめに手を挙げる。
「少しだけね。間定君みたいなことはできないよ」
「……霊感持ちって身の回りにこんないるもんなの?」
「まあ珍しいだろうな」
吉城には俺が答えた。割合は知らないが、たまたま会うのは稀だろう。
「さて」
咳払いをして空気を改める。緊張した眼差しが俺に向いた。
「どうするかなー……」
しかし残念ながら、現状それに応えられる案はない。俺は頭を抱えて項垂れた。
「私が行ってぶちのめすというのは」
「却下」
「待て待て、殺しはしないぞ? 私だってそれくらいの自制はもう効く」
「却下」
俺は問答無用で切り捨てる。自分に名案がない手前偉そうに言えないが、氷凰には最初から期待していない。
続いて、顎をさすりながら榊さんが口を開いた。
「本当に説得は難しいのかい? その子に害がないと、きちんと話せば……」
「厳しいと思います」
それは本当に無理なのだ。荒崎さんを知っているのが実質俺だけなので伝わりにくいが……簡単に言うと、そうだな。
「あの人にとっては、ゴキブリを潰すような感覚なんですよ。自分の領域内で見かけたりしたら、死を確実にせずにはいられない、というか……。だからそれを殺さないでと頼むのは、現実的じゃありません」
榊さんは難しい顔で腕を組む。丁や吉城も深刻な表情で固まっていた。
これは誇張でもなんでもない。仕事外で見かけても殺す。害意が全くなくても殺す。人間に有益な存在であろうと殺す。
妖怪を絶対悪と考える退魔師はそれなりにいるが、荒崎さんほど極端な人はそうそういない。妖怪がこの世に存在しない世界……それを本気で実現させたがっている風にも見える。
「逃がす……って言っても、どこにって話だよね……」
丁が声を上げたが、次第に尻すぼみになって俯いてしまう。
鈴は多分、今までも逃げてきたのだ。それを今後も続けたところで、いずれ限界が……。
「……いや、待てよ」
ふと疑問が浮かんだ。よく考えれば、最初から不可解なことがある。
「鈴はどうやって荒崎さんから逃げてきたんだ?」
氷凰が目つきを鋭くする。丁たちは疑問符を浮かべて俺に視線を合わせた。
「鈴はどう見ても強い妖怪じゃない。殺意を持って追われて無事に逃げ続けるなんて、少なくとも一人でできるわけが……」
「何日追われていたんだ? 一日程度ならどうにかなるだろう」
「割と汚れてたし……一日そこいらってことは、ないかなと……」
氷凰の問いに、恐る恐る吉城が答えた。
その感覚が正しかったとすると……鈴は少なくとも数日間、荒崎さんから逃げ続けたということになる。あまりに非現実的だ。
「とすると、吉城の前に誰かが手を貸していた?」
「ならそいつらはどうなったというんだ」
「知らねえよ。ただ荒崎さんが人に危害を加えるとは思えねえし……」
あの人の敵意は、あくまで妖怪に対してだ。たとえ妖怪を庇ったとしても、人間が悪いとは考えない。
協力者がいたと仮定するなら、ソイツは多分妖怪だったのだろう。そして、荒崎さんに殺された。
「それでも一日持つか怪しいくらいだぞ」
「待ってくれ待ってくれ、なんかややこしくなってきたぞ⁉︎ どういうことだよ? 鈴は……」
混乱気味に吉城が身を乗り出す。しかし鈴が寝ていると思い出したのか、すぐに取り繕って座り直した。そのまま胡座の上の鈴に視線を落とす。色々な感情がごちゃ混ぜになった、複雑な表情を浮かべていた。
「吉城の所に来るまでに、代わる代わる守られてきた……?」
そんな都合よく? しかしそうでもないと、無力な鈴じゃ荒崎さんから逃げ続けられない。危なくなる度、誰かが守ってきた……。
丁度、今の俺たちみたいに……?




