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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第3章「か弱き逃避行」
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第58話「荒崎冬汰」

 見知らぬ男を前にして、何者なのかと私は考える。

 身なりにおかしなところはない。強いて言うならやや貧弱。虎乃や龍臣と同じか少し上くらいの歳だろうか。

 問題なのはそれ以外だった。意識を少し集中させれば、見えるか見えないか、戦えるかそうでないか……得意分野でなくともすぐに分かる。


「退魔師……」

「そう言うお前、いや君は妖怪。それもそこらのとは格が違う。なるほど、【無間の六魔】というのは君の事か」


 男の目付きが一瞬だけ鋭さを増したが、すぐに淡々と私を分析し始める。殺気諸共、すぐに平静を取り戻してみせた。

 見た目で若いと判断したが、その感情制御の上手さ。実年齢はもう少し上か? それに私の事を知っている。更にここを訪れるような退魔師、となると……私の知る限り、心当たりは一人だ。


「景生の知り合いか?」

「……聞いていたより頭が回るみたいだな」

「あ?」


 こいつ今さらっと私の事馬鹿にしたな? 絶対した。初対面でいい度胸だ……!


「睨むなよ。君に用はない」


 その上いないものとして扱おうとするとは……本当にいい度胸だなこの童顔もやし! 自分を景生と同等だとでも思っているのか? だとしたら自惚れもいいところだぞ。霊気の大きさはもちろん、質も随分弱々しい。下手したら鱗士の方が上だ。

 そんな分際でこの私に舐めた口を叩きおって……嫌いだこいつ。すぐにでも八つ裂きにしてやりたい。


「鱗士はいないのか? 学校は終わった筈だが」

「知らん。そもそも訪れておいて名乗りすらしない奴に教える事はない」

「……一理あるが中指を立てるな」


 無視して右手の中指を伸ばし続け、男が名乗るのを待つ。最初は訝しげに睨まれ続けたが、観念したのかすぐに溜め息を吐いた。


荒崎冬汰(あらさきとうた)。景生とは同門だった。鱗士や虎乃たちとも知り合いだし、君の事も話に聞いた。初めまして、氷凰」


 ようやく名乗った男——改め冬汰は、手に持っていた紙袋を私の方に差し出してきた。どうでもいいが、龍臣だけ名前飛ばされたな。まああいつぱっとしないから仕方ないか。


「何だそれ」

「手土産だ。本当は鱗士に渡すつもりだったが、まあ君にやる」


 いちいち癪に触る言い方だ。苛つくので、紙袋をわざと乱暴に奪い取った。冬汰は何か言いたげだったが、それもまた無視して中身を覗く。


「!」


 瞬間、私の体を衝撃が駆け巡る。思わず目を見開いて、顔を袋の中身に突っ込んだ。


「……何してるんだ」

「これをどこで?」

「普通に駅前だが」


 見覚えのある箱。顔を引き出してよく見れば、袋にも見覚えがあった。今日という日を費やして尚、私に再現出来なかったものが。一口で私を至高の幸福へと誘う魅惑の輪が……何の因果か今再び、私のこの手に!


「明日また来る。鱗士に僕の事を伝えておいてくれ」

「まあ待て冬汰。とりあえず茶でも飲んでいけ」


 振り向いて帰ろうとする冬汰の腕を掴み、私は気さくに笑いかけた。相当嫌そうな顔で振り向いてきたが、今の私は気にしない。


「まあ? 初対面は最悪だったが? それでもあれだ。ご足労願ったにも関わらずただで帰すのも、ほら、あれだろう? 後で鱗士に小言を言われるのも癪だし? 更に高いばうむ……手土産まで貰ったら……なあ?」

「……分かりやすい奴だな君は」


 鬱陶しそうにしながらも、冬汰は私に引っ張られるままに居間まで上がってきた。


「長居する時間はないんだが」

「まあ一杯だけでも飲んで適当にくつろいでいけ! 喜べ、私が茶を入れてやるぞ!」


 ばうむくーへんは適当なところに置いて、私は台所で急須と茶葉を探す。普段やらないからどこにあるのかよく知らない。


「鱗士に何の用だったのだ? 私が伝えておいてやらん事もないぞ」

「……明日僕が直接伝えるからいい」


 目当てのものを両方見つけ、私は茶葉を急須にぶち込む。とりあえず山盛り入れとこう。今の私は機嫌が良いからな。

 あとは湯か。確かぽっと? とかいうので注げるらしいが、まあ水でいいだろう。このじゃぐち? が近くにある事だし。


 水も満タンに注ぎ入れた。茶葉が溢れたが飲むのに支障はない筈だ。蓋をして適当に回す。鱗士は入れてからただ待つだけだったが、この方が混ざるに違いない。ある程度回し、適当に湯飲みを出して注げるだけ注いだ。そして出来た茶を、卓袱台の前に座る冬汰の前に置いた。若干溢れた。


「良し、飲め!」

「いらない」







 丁の腰回りに、ピッタリとしがみつく鈴。困惑の色を顔に残しつつも、丁はその小さな頭に手を当て優しく撫でる。ついでに吉城が何故か腰を抜かしている。


「どんな風に見えてる? 見た目の特徴言ってみてくれ」

「薄茶色の猫っ毛で、小さい女の子……」


 正解だ。

 前後の状況はいまいち分からない。が、「見えるようになったみたい」という言葉に、嘘偽りはないという事はハッキリ分かった。


『どうした間定。何かあったか?』

「……ちょっとややこしい事になりました」


 受話器の向こうから、軽くノイズがかった術丘さんの声が届く。こちらの気配を察知してか、その色に神妙さが増していた。


「さっきまで見えてなかった子にも、急に見えるように」

『その妖怪が実体化した、のではなくか?』


 姿を現せる——霊気の弱い人間の視界に映れるという事は、それなりの妖怪である証拠。要は、人を襲えるかどうかのボーダーみたいなものだ。

 この鈴にそんな芸当が出来るか? 何度妖気の様子を伺っても、悪さをする妖怪だとは全く思えない。今まで見た中で一番無害ですらある。以前感じた印象と何も変わらなかった。


「弱い妖怪で間違いないです。さっき言った通り、今いる二人とも霊感はなし。ごく普通の霊気です」

『ふむ。確かにおかしな状況だな。もう角が取れたとかよりそっちが気になる』

「ですよね」


 角と違い、丁と吉城にまで影響が出ているのだ。俺の懸念も、どちらかと言えば術丘さんと近い。


『直接会ってみれば少しは分かるかもしれないが、今立て込んでいてな。すまないが大して力になれそうにない。思いつく事があればこちらから連絡しよう』

「こちらこそ、忙しい時にすみません。俺なりに考えてみます」

『応援してるぞ。あと最後に一つ』


 トーンを一層落とし、真剣味を増す術丘さんの声。つい身構えるが、すぐに俺は思い出した。

 この人はよく、真剣にふざける。


『その妖怪の子幼女だと言ったな。可愛いか? どんな見た目だ? いい匂いするか——』


 案の定だったので、言い切る前に受話器を置いてシャットアウトした。尊敬してるが、そういうところは割と本気でどうかと思う。というか一つじゃなかった。少なくとも三つ以上は言いかけてた。


「悪い。詳しくは分からなかった」

「そ……そう」


 本来なら望むような情報が得られず失望するところなのだろうが、吉城はそれどころじゃない様相だ。大方、丁が驚いて上げた声に驚いたというところか。


「どころか、異常事態が一つ増えたな……」

「聞いてた感じだと、氷凰ちゃんが見えたり消えたりするのとは違うん……だよね」


 俺は頷きで丁に答えた。これがどの程度の異常事態かは伝わっていないだろうが、ただならぬ雰囲気は感じさせてしまったらしい。


 どうする……?

 見える以外に異常はなさそうだが、その先何もないとは言い切れない。


「…………」


 蓋をしていた暗い感情が、少しだけ漏れ出した。


 もし丁や吉城に何かあれば、それは俺の責任だ。無理にでもさっき帰ってもらっていれば。妖気に気づいた時点で、何らかの手を講じていれば。


 また俺の不手際で……最悪の結末を迎える——


「でも良かった。これで話し相手くらいにはなれるね」


 一瞬、丁が何を言ったのか分からなかった。


「……え?」


 結果、俺は数秒遅れで間抜けな反応をさせられる。この状況をどうしようとは思えども、良かったなんて言うとは思わなかった。丁や吉城だけでなく、俺にも何が起こっているか分からないのに。


「鈴ちゃんでいいんだっけ。私なんてあんまり頼りにならないけど、怖い事があったら一緒にいてあげるね」


 目線の高さを合わせ、丁は優しく鈴の頭を撫で続ける。その表情には最早驚きも戸惑いもなく、純粋な笑顔だった。


「ひの……」


 駄目だ帰れと言いかけて、言葉を飲み込む。

 妖怪を目の当たりにして、襲われて、死にかけたのに。そこから避けるどころか、より深く関わり合おうとするのが丁だ。俺は身をもってそれを知ってる。


 そんな事を言ったところで意味がない。こうなった丁は多分、関わるなと言っても無駄だ。


「……丁。あと吉城も」

「ついでみたいな言い方やめろよ」


 そもそも既に関わってしまった。もう遅いのだ。俺の責任だ。


 なら俺のやる事は。


「鈴の事は任せていいか?」

「……いいの? 帰れって言われるかなと」

「言っても帰らないだろ丁は」

「いやー……」


 丁は少し気まずそうに目を逸らす。そんな顔もするのか。そしてやっぱり帰らないつもりだったのか。


「様子を見る限り、二人には心を開いてる。特に吉城、出来ればここに来るまでの経緯も聞き出してくれ。ゆっくりでいいから、何か手がかりが欲しい」

「お、おう」


 ようやく立ち上がった吉城は、目を丸くしつつ頷いた。


 一旦間を置いて、呼吸を整える。これだけは、特別強く言わなくてはならない。俺自身にも言い聞かせる必要がある。絶対の決意を、ここに示さなければならないのだ。


「二人の事は……何があっても、俺が守ってみせるから」


 丁も吉城も、呆けたように口を開く。そんな二人の視線に当てられ気恥ずかしさが湧き上がるが、俺は目を逸らさなかった。多少言い回しが臭かろうと、全くもってふざけたつもりはない。


「……でもヤバくなったらまず逃げてくれよ」


 それでも恥ずかしさには勝てず、口早にそう付け足す。ついでに痒くもない頭を掻いた。







「探ス……」


 上空を飛ぶ、大きな鳥のような何か。


「見ツカラナイヨウニ……」


 その言葉しか知らないように、延々同じ事を喋りながら飛び続ける。


「見ツカラナイヨウニ……探ス……」


 その空の下に広がるのは、鱗士たちの住む地域だった。

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