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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第3章「か弱き逃避行」
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第57話「訪問」

 ドアを隔てた室内から、必死で宥めたてるような吉城の声が聞こえ続けている。かれこれ五分くらいは丁と並んで待機状態だ。


「急に来たせいで怖がらせちゃってるかな……」

「安心してくれ。確実に丁のせいじゃない」


 丁は少し不安そうにしているが、まあ怖がられてるのは俺だろう。かつてないほど自信を持ってそう言える。

 ……こんなにも必要かどうか微妙な自信も珍しいな。だが、現に外見上は年端もいかない少女を何もしていないのにここまで怯えさせている。悲観的に考え過ぎだとも思わない。


 そこまで考えて自分で悲しくなってきた。


「丁……俺はそんなに目付き悪いか?」

「へ? そんな風に思った事ないけど、何で?」

「こんな感じで怖がられるし、氷凰にも言われる」

「うーん、感じ方は人それぞれだからね。私は間定君の目好きだよ?」

「ン゛」


 何かに心臓を刺された。思わず胸元を押さえるが、当然血など出ていない。


「ほら! 凛々しい目って、人によってはちょっと怖く見られたりするのかもしれないし。氷凰ちゃんだってきっと軽口のつもりで……」

「スマンもう勘弁してくれ」

「?」


 この瞬間、俺のコンプレックスが一つ消えた。


「……そろそろかな」

「そろそろだよ」


 ヤバイ。不意打ち食らったせいで間がもたなくなってきた。全身から蒸気が出そうだ。助けてくれ吉城! 早く説得してくれ! さっきの事は謝るから……!


 そんな情けない願いが届いたかどうかは不明だが、ドアノブの捻られる無機質な音が遂に聞こえた。数秒遅れでドアも開き、隙間から吉城が顔を覗かせる。


「……もうちょっと粘った方が良かったか?」

「! いや、いい」


 ジトッとした目で見られて心臓が軽く跳ねた。何なんだ今日は。俺の心臓忙しいな。


「ええ……じゃあ、上がらせてもらうぞ」

「いや、まだ開けずにちょっと待ってくれ!」


 誤魔化しながらドアを開き切ろうとした途端、今度は吉城が慌てだす。コイツもコイツで忙しい。


「よーし、じゃあ下がるぞ」


 語りかけるようにそう言い、体は俺たちの方に向けたままで後退りを始める吉城。かなり奥まで移動してしまい、狭い隙間からでは状況がよく確認出来ない。

 意図が分からず、俺と丁は顔を見合わせた。


「もういいぞー」


 何だか分からないが、とりあえず許可が下りたのでドアを開き切る。


「お邪魔しまーす」


 丁はそう言い、律儀に脱いだ靴を揃え始める。つられて俺も綺麗に並べ直しておいた。


「……なるほど、そういう」


 改めて室内に上がり、吉城の正面に立った時、ようやく合点がいった。さっきの後退りの理由だ。


 吉城の腰辺りに、鈴がガッシリしがみついている。後ろから顔だけをほんの少し覗かせて、あからさまに怯えきった目で俺の方を向いていた。何もしていないのに罪悪感が芽生えそうだ。

 多少凹むがもう落ち込まない。何故なら俺の目付きは悪くないからだ。人によってはそう見えてしまうだけで。


「これは話聞けないな」

「スマン。俺の方から呼んでおいて……これが限界だ」

「気にしないでくれ。どうせ俺にも大した事は分からない。それより電話借りてもいいか?」


 どちらかと言うとこっちがメインの目的だった。分からない時は、詳しい人に聞くのが一番手っ取り早い。この場合はそうだな……術丘さんあたりに当たってみるか。


「いいけど、携帯は?」

「持ってない」

「マジで⁉︎ このご時世に⁉︎」

「別にかける相手いねえし」

「……スマン」

「…………」


 謝られた直後、自分の発言の寂しさに気づいた。誰が悪いかと聞かれると、考えるまでもなく俺が悪い。


「そこにあるから使ってくれ。とりあえずお茶くらい出すから」

「お気遣いなく」


 指差された方向にある固定電話を手に取りながら、俺は軽く返した。







 鱗士が受話器を耳に当てている間に、守助はキッチンに向かった。鈴がしがみついたまま離れないので、少々動きづらい。普通の人からは、重りをつけられた人のパントマイムにしか見えないのだろう。

 現に由于夏は、そんな様子の守助を不思議そうに眺めていた。


「……あ、もしかして誰かくっついてるの?」

「そうだけど。マジで見えてないのか」

「へえー。吉城君も見える人だったんだね」

「そんな筈ない……と思う。鈴以外は見えた事ないし」


 普段より少しだけ苦労して、キッチンに辿り着く。人数分のコップと麦茶、そして昨日貰ったバウムクーヘンを取り出しながら、守助は思う。


 丁由于夏は変わった人だと。


「何か手伝おうか?」

「いやいいよ、客だし。俺がやるから座っててくれ」

「でも零したりすると危ないよ」


 そう言うなりコップをせっせとお盆に乗せ、手際よくお茶を注ぎ、卓袱台の方へ行ってしまった。


(めっちゃお節介……)


 そういう部分も不思議だと思うが、何より受け入れの早さがどうかしてる。

 道中に話を聞いたが、彼女が妖怪の存在を知ったのは約一ヶ月前。つい最近だ。しかもその初対面は穏やかなものではなく、危うく死ぬところだったらしい。


 この短い期間で、その上襲われたというのにこの受け入れっぷり。只者じゃないと守助は戦々恐々だった。


「丁ってさ、怖いとか思わねえの?」

「うーん? 人並みには感じると思うけど」


 そんな訳ないだろと思った。


「じゃあ何でそんな平然としてんの? 別に無関係な訳だから、ついて来なくて良かったんだしさ……」


 元はと言えば守助が引き留めたようなものだという事を、本人は忘れている。


(……いや違うわ。俺が帰れない空気作ったんじゃん。ドクズじゃねえか俺)


 そして今思い出した。


「何ていうか……嬉しいんだ」


 卓袱台にお茶を並べ終え、由于夏は小走りでキッチン——守助の方まで戻ってきた。かと思えば、声を落として話を続ける。


「間定君が、ちゃんと誰かと仲良くなれそうなのが嬉しい」

「ハイ?」


 反射で鱗士の方に視線をやる。部屋の角の方で受話器と会話を続けていた。こちらの話に気づいてはいないようだ。


「誰とも仲良くしようとしてなかったのに。一人が好きな人もいるけど……何か、そんな感じに見えなかったんだ。いつも辛そうで。だから友達が増えてくれて嬉しい。それで何か力になれたらなって」

「え……あ……へ、へえ〜……」


 ツッコみたい気持ちと思うところがある気持ちが複雑に混ざる。結果、守助は何とも言えない返事をするしか出来なかった。

 お節介なんてものじゃない。少し照れ臭そうに笑う由于夏を、優しい通り越して異常とすら感じた。この世に何人、ちょっと気にかかっただけの相手をそこまでに思える人間がいるのだろう。


(……………………すっげ)


 理解の外側ではあったが、守助は由于夏を尊敬した。来世があっても、自分はこうなれないだろうと思う。


(てかアイツこれ脈ありじゃね?)


 それはそれとして、鱗士の気持ちは既に守助にバレていた。


「あ、ごめんね手止めさせちゃって。それ切り分けるの?」

「そんな手間かかんねえし、別にいいって。鈴がじっとしてくれてりゃ危なくも……」


 由于夏との会話に意識がいって疎かになっていたが、はたと気づく。腰あたりの重みがなくなっている事に。しがみつかれる感覚が消えていた。


「鈴⁉︎」


 驚き、見下ろしがちに近くを見渡した結果、鈴は目と鼻にも満たない位置にいた。守助から手を離しただけで、移動した訳ではなかったのだ。

 ほっと胸を撫で下ろすのも束の間、違和感を覚える。鈴が自分と反対の方をじっと見上げたまま、微動だにしない。何かを凝視している様子だった。


「どうした?」

「?」


 心配そうに腰を落とす守助につられ、由于夏の視線もまた下へと落ちる。


「うわあ⁉︎」


 そして上がった、驚きの声。


「うひぃ⁉︎」


 その声に驚き、守助は悲鳴と同時に尻餅をついた。


「どうした⁉︎」


 電話中の鱗士すらも、次々上げられる声に堪らず振り返る。しかし由于夏は固まり、守助は腰を抜かし、鈴は鱗士の視線に気づいて再び怯え始めた。


「……あー…………」


 誰も状況の説明が出来ないと、鱗士は瞬時に理解した。


「う……」


 沈黙を小さな呻き声で破った鈴が、涙目で一瞬だけ鱗士の方を見た。微妙に鱗士から遠ざかりつつ、よたよたと前方——由于夏の方へ近づいてゆく。


 その小さな体を、由于夏は目で追っていた。


「……何か……私にも見えるようになったみたい……」


 由于夏が鈴にしがみつかれるのと同時に、ようやく現状が言葉で表された。







 たった今、この私にも不可能が存在するという事が判明してしまった。何度も記憶を掘り起こし、何度もその感覚を口の中に再現しようと舌をこねくり回してはみたが、とうとう完璧な成果は得られなかった。


 やはり現物には敵わない。記憶だけでは、あのばうむくーへんを堪能する事は出来ないのだ。


 私はどのくらい座り込んでいた?

 固まりかけていた体を目覚めさせて立ち上がり、壁にかかった時計を見る。

 ……とっくに昼が過ぎていた。まさかそこまでの時間を費やして何も生み出せなかったとは。なんて事だ、【無間の六魔】の名が泣くぞ!


 おのれ、嫌な気分だ。全て鱗士のせいだ。時間的にそろそろ帰ってくるなあいつ。丁度良い、文句の一つでも言ってやる。


 そうと決まれば話は早い。私は玄関の方へ急いだ。帰ってきた瞬間、その生意気な面に言葉の氷柱を突き刺してやる!


 辿り着いた時点で既に、戸の向こう側に人影が見えた。素晴らしい。これはもう私の言い分が正しいという事に他ならない。


 さあ開けろ!

 私のこの苛立ちを全てぶつけてやろうではないか‼︎


「…………」

「…………」

「「…………」」


 意気込みが全て喉につっかえ、何も言葉が出なかった。ただ腕組みして立ったまま、戸を開けた奴と目を合わせて固まる。


「……誰だ君は」

「貴様が誰だ」


 というのも。戸を開けた奴が、全く見覚えのない男だったからだ。

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