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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第3章「か弱き逃避行」
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第56話「モヤモヤ」

 耳を塞いだのに鼓膜が痛い。全身の骨が振動したかのようにすら感じた。人間がこんな声を出せるとは……。


「昨日の今日で申し訳ないけどさあああ! 俺にはどうすればいいのか分かんないんだよおおおお! 頼むよおおおおお間定ああああああ‼︎」

「それより今この状況を申し訳なく思ってくれ……」


 数人ばかりだった人だかりが、今の絶叫で倍以上に増えた。ざわつきは雪だるま式に大きくなっており、人も更に増えるだろう。そんな状況では相談に乗りようもない。


「一旦落ち着け。深呼吸しろ。手のひらに『人』って書いて飲め」

「……『ひと』ってどういう字だっけ⁉︎ そもそも俺なんかが『ひと』を飲み込む資格あるのかなあ⁉︎」

「資格はいらないし字は書いてやるから飲め! そして落ち着け!」


 吉城の手のひらを引っ掴み、人指し指で曲線を二本書いて突き返す。ヤバイどうしよう。一般人相手にこんな気分になったのは初めてだ。


 えげつないくらい面倒くさい。


「……ゴメン。落ち着いてきたかも…………」


 大人しく『人』を飲み込んだ吉城だったが、涙と鼻水に塗れた酷い顔は相変わらずだ。


「だ……大丈夫? 保健室行く?」


 そんなあまりにもあまりな状況を見かねてか、置いてけぼりを食らっていた丁が声を上げた。恐る恐る近づくその目は、心底心配そうに吉城を捉えている。


「……それだ!」


 保健室。そこなら、自然な流れで吉城の話を聞く空間を作れる。保険医にはまた怪訝な顔をされるかもしれないが、今更落ちるような評判は俺にない。


 ……自分で思って少し悲しくなった。

 深く考えないでおこう。


「吉城立てるか?」

「多分……?」

「自信持て。肩貸すから」

「じゃあ私が左だね」


 屈んで吉城の右脇を肩に乗せようとすると、当たり前のように丁も同じ姿勢をとり始める。


「悪い丁、大丈夫か——」

「こんな感じでいいかな。痛くない?」

「うん……ありがと」


 丁の向ける笑顔を、吉城は至近距離でしっかり見据えたまま言葉を交わした。肩を支えようとする状態で。


 つまり、がっつり体が密着した状態で。


「…………」

(いだ)あ⁉︎」


 とてつもなくモヤモヤとした感情が俺を埋め尽くし、気づけば吉城の右手の甲を強めに抓っていた。


「え⁉︎ どうしたの⁉︎ 怪我したところ触っちゃった⁉︎」

「いや、今明らかに……」

「何の事かさっぱり分からん」

「うえぇぇ……?」


 二人が困惑する中、俺は見えすいたしらを切る。立ち上がる際に、吉城の体を自分の方に引き寄せた。なるべく丁に負担がかからないように。この二人が強く密着する必要がないように。


 我ながら何をしているのかと思った。







 都合がいい事に保険医はどこかに出ているようで、保健室は現在俺、丁、吉城の三人だけだった。ベッドに腰掛ける吉城と向かい合うようにして、俺と丁は丸椅子に座る。


「……ええと、私は外した方がいいのかな?」


 丁が控えめに手を上げてそう言った。今朝の会話とさっきの様子から、妖怪絡みの話と察したのだろう。

 今更聞かれてまずいというものでもないが、これは吉城の意思を尊重すべきだ。


「どうする吉城。一応、丁も妖怪の事は知ってるけど」

「じゃあいて! 人口密度高い方が安心するから……!」


 声がでかい。俺は無言で人指し指を口の前に置く。


「ゴメン」

「じゃあ、なるべく落ち着いて話してくれ。何があった?」


 もう何かがあったのは確実なので、それ前提で俺は問いかける。


「とりあえず……これを」


 吉城はポケット弄り、何かを取り出して俺に手渡してきた。


「何だ、これ」


 受け取ったそれを軽く眺める。触り心地は石に近くて、形は円錐状。そして琥珀のような色で、向こうが透けて見える。

 というか琥珀そのものじゃないか? そんな考えが頭に浮かんだ直後、耳を疑う言葉が吉城の口から飛び出した。


「…………鈴だ」

「は?」

「鈴だったものだ……」

「は⁉︎」


 静かにしろと自分で言っておきながら、つい叫んであまつさえ立ち上がってしまった。衝撃で椅子が倒れ、大きな音が続けざまに響く。

 言ってる意味が分からなかったが、俺の中の冷静な部分が気づく。この物体が、僅かながら妖気を放っている事に。


 そしてそれは、確かに昨日感じた鈴のものと同じだった。


「間定君、何か持ってるの? 私には見えないけど」

「……マジか」

「うん」


 指に摘んで目の前に差し出すが、丁は首を傾げるばかりだった。本当に見えていない。「鈴だったもの」という吉城の言葉が、現実味を帯びてきた。


「変化は確かに妖怪の十八番の一つだが、何でまたこんな」

「変化……?」

「そのままの意味だよ。大抵は氷凰みたく、人間の姿をとる奴が多いけどな。騙しやすいから」

「へえ……じゃあ氷凰ちゃんって常に変化してるんだ」

「ああ。言ってなかったっけ」


 琥珀のかけらみたいな鈴? を蛍光灯に透かして眺めながら、吉城と丁それぞれに相槌を打つ。


「変化の意味くらい分かるけどさ……。俺はどうしたらいい?」

「どうって……戻るまで待つか、より詳しい人に聞くかくらいしか」

「氷凰ちゃんとか?」

「却下……とも言い切れないか」


 腐っても大妖怪、特殊な変化について何か知っている可能性もある。しかし氷凰は今この場にいない。幻想のバウムクーヘンを追い求めてトリップしてしまっているのだ。


 となると、少なくとも放課後まで吉城と鈴の現状は好転しない。最悪早退するか……。


「ハア……またちゃんと生えるのかな」

「…………ん?」


 溜め息と共にそう呟く吉城。普通に聞き流しかけたが、単語の違和感にふと気づいた。


「生えるって何だ?」

「何だって、それだけど」

「……これ?」


 何を言ってるんだと言いたげな表情で、吉城はこちらを指差す。俺が持っている琥珀色の欠片の事だろう。それは分かるが、だからこそ意味がよく分からない。


「……吉城、もしかしたら互いの認識にズレがあるかも知れない。生える……ってどういう事だ? 鈴は地面から生えてきた存在とかそういう意味か?」

「いやいや……怖い事言うなよ」


 俺も言ってて怖い。想像したら絵面がシュール過ぎる。


「お前のさっきの言い方から、鈴がこの小さな欠片に変化したんだと俺は思ってたんだが」

「え……違う」

「…………」


 よし、一旦落ち着こう。誤解を招く言い方しときながら、「え、お前何言ってんの?」みたいな表情と態度が無性にイラッとしたとか、今は置いておこう。


 ただ一つ。これが氷凰か虎乃で、場に丁がいなかったなら、俺は間違いなく蹴りを入れていた。


「ま、間定君……?」

「怒ってない」

「えええちょっ、まま待ってくれ! テンパってちゃんと説明しなかったのは謝るから! そんな元から鋭い目を更に鋭くするのはやめ——」

「あ?」

「スイマセン余計な事言いましたちゃんと説明します」


 まさかこの状況で個人的な地雷まで踏み抜いてくるとは。これが氷凰なら“滅爆鎖撃”使ってた。

 ……いかん。さっきからイライラしてる。今度は俺の方が溜め息を吐き、さっき倒した椅子を立てて座り直した。


「こっちこそ悪い。改めて説明頼む」

「えーーっとだな……まず鈴って、デコの上んとこ辺りにちっさい角生えてたんだけど」

「ほうほう」

「今朝起きたらそれが抜けてた」

「……ほう」


 どんなややこしい事態なのかと思ったら……。

 言語化に困らないくらいシンプルじゃねえか!


「他に異常は? 痛がったりとか」

「特に」

「現状角が抜けただけか?」

「そう」

「……一刻を争う事態じゃなさげだな。とりあえず、放課後また吉城の家に行く。その時に詳しい人と連絡連絡してみるか」


 それにしても、さっきどんだけパニクってたんだよ。何だ「鈴だったもの」って⁉︎ よくもまあそんな恐ろしい解釈の出来る言い回しが出来たな!


「いやもう、ホント謝るから……。面倒くさそうな視線やめて……」

「次からはもっと順序立てて話してくれよ」

「ハイ」


 悪い奴ではない。ただネガティブが過ぎるだけで、むしろいい奴だ。なのに何だ、この言葉にしづらいモヤっとした感じ。嫌いなんじゃなくて、こう……対抗意識? のような、そうでもないような。


「やっぱりびっくりするよね。私も最初はそうだったよ」

「えー……と、丁だっけ」

「そう、丁由于夏。私は話を聞くくらいしか出来ないけど、何か力になれそうな事があったら言ってね!」

「あ、ああ。よろしく」


 丁はいつものように笑顔を浮かべ、右手を前に差し出した。どういう意図なのか一瞬考える素振りをした後、吉城はおずおずとその手を握る。


 握手だ。


 丁と吉城の手が、互いに力を込め、ガッチリと繋がり合って、一部分とはいえ密着している。


 ……握手だ。


「…………」


 それを認識した瞬間だった。吉城に向く謎の感情が、爆発的に大きくなったのは。相変わらず曖昧で、俺の頭では言語化出来ない。

 しかし、これはよくないものだ。直感だがそう思った。少なくとも、未知の出来事に困り果てている相手に向けるべきものじゃない。分かっているが、溢れ出して止まらない。


「⁉︎」


 ギョッと目を見開く吉城。鬼でも見るかのような目で俺を捉え、硬直して瞬きすらしなくなった。驚愕のままに開いた口もそのままで、まるで漫画のような表情になっている。


 どうやら完全に顔に出てしまっているらしいが、多分これはもうどうしようもない。心臓に黒い霧がかかり、そこに細かなつぶてが連続してぶつかってくるような嫌な感情。未だかつてない……いや、さっき丁が吉城に肩を貸そうとした時と同じだ。


「……ゴ、ゴメン?」

「オキニナサラズ」

「ヒィ‼︎」


 信じてくれそうにないが、謎に怯えさせて俺の方がゴメンと思ってる。自分でも気持ちが制御出来ない。何をやっているんだ俺は。


 ああモヤモヤする。

 これは、何という名前の感情だろう。







 上空を何かが駆ける。あまりの高さに影は地面に落ちてこず、人々はそれの存在に気がつかない。そしてそれは、彼らにとって幸福な事だといえるだろう。普通に暮らす人間が見るべきものではない。


 灰色でのっぺりとした肌と白い仮面のような頭部を持つ、巨大な鳥のような何かなど。見ない方がいいに決まっていた。


「……探ス……探ス……探ス……探ス」


 譫言のように、一つの言葉を繰り返し続ける化け物など。見てはいけない。

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