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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第3章「か弱き逃避行」
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第55話「現場差し押さえ」

 コイツにはとことん呆れさせられる。俺も昨日の時点でもっと問いただしておくべきだった。

 ただまあ結果オーライか。こうして現場を押さえてしまえば、言い訳もさせずに済む。大事じゃなかったから言える結果論だが。


 ……しかし、コイツ。ホントコイツ。


「何で言わねえんだよ」

「いや……それは」


 隣に突っ立っている氷凰は、俺の視線から逃げるようにして明後日の方で目を泳がせ始めた。しかし無駄だ、俺は気づいている。コイツがほんのついさっきまで、俺の右手にぶら下がる紙袋をガン見していた事を。


 不都合がバレると、バウムクーヘンが食えなくなるとでも思っていたんだろう。

 やっぱりバカだ。この大バカ。


「この大バカ」

「何だと⁉︎」


 思うだけじゃなく口に出しておいた。案の定食らいついてきたが、これは無視しておく。


「……吉城、だっけ?」

「ハイ⁉︎」

「話は大体分かった。うちの氷凰がすまなかったな」

「いやお気になさらず! 全然大丈夫なんで!」


 俺に事の流れを説明してくれた吉城だが、何故か氷凰より目を泳がせてやたらと挙動不審だった。

 この前廊下で転けていた事を思い出す。俺が言うのも何だが、少々変わった奴なのかもしれない。


「とりあえず、これ貰ってくれ。迷惑かけた詫びだ」

「え?」

「な⁉︎」


 紙袋を吉城の前に差し出す。正面と隣から同じような声が飛んできた。


「ままま待て! 結果的に何の問題もなかっただろう⁉︎」

「そういう問題じゃねえ」

「いやマジで大丈夫だって! 確かに急に冷たい風が首元に吹いた時は死ぬ程ビビったけど……」

「あ、たわけ貴様!」

「……あとで詳しく聞こう」


 絶望した子供みたいな顔で目に涙を溜める氷凰。吉城はその様子を見て、ばつが悪そうに口を塞いでいた。


「気にしないでくれ。考えがあったとはいえ、俺もつけ回すような真似を指示したんだ。悪かった」

「それは仕方ないだろ? 互いにし……よく知らないし。そんなんで妖怪の話なんか——」

「氷凰にやるのも癪だし」

「本音それ⁉︎」


 迷いつつも、最終的に吉城は受け取った。氷凰が横で「ああ……」とか「う……」とか呻いていたが、まあ良しとしよう。


「……で」

「!」


 吉城の後ろから顔を覗かせる、小さい女の子。さっきから俺の顔色を伺っていたようだが、目が合うなり速攻で逸らされてしまった。この子が例の妖怪——鈴な訳だが。

 誰がどう見ても、何故だか随分怯えている。


「……俺何かしたか?」

「目付きが悪いからだろ」

「あ?」


 腹いせのつもりなのか、氷凰が嫌なところを小突いてきた。確かに俺の人相、特に目付きはあまり良くない。大いに自覚してる。心持ちで多少柔らかくなろうとも、元の形は変わらないのだ。

 最近まではそこまで気にしてなかったが……今になって師匠の気持ちが分かってきた。見た目のコンプレックスを気にし始めると、こうも気になるものなのかと。


 要するに、今の発言はそこそこ腹立った。


「そっちがその気なら、バウムクーヘンの買い置きもうやめるわ」

「おい⁉︎」

「地味に出費が嵩むんだよアレ。日に何個も何個も食いやがって」

「待て待て考え直せ! 退魔師ならそこらの百姓よりも儲けているだろう⁉︎ それくらい私に割いたって大した事じゃないだろうが!」

「そういう事言うなら、俺にそう思わせるような行動とれ。例えば嘘つかない、とか」

「うぐぐ……」


 相変わらず口は弱いな。丁の名前が出てこない限りは、俺が負ける事はないだろう。

 いやしかし、人の家で、それも家主の目の前でやる事じゃなかったな。吉城はポカンとしているし、鈴はやはり怯えている。多分俺に。


「うるさくしてすまん。そろそろ帰るわ」

「え、あ、おう……」

「何かあったら、学校とかで俺に聞いてくれ。分かる範囲でなら相談に乗る」


 氷凰の首根っこを掴み、玄関の方へと引き返す。


「じゃあな」


 曖昧な表情の吉城に背を向けて、俺は改めて帰路に着いた。







 鈴と二人きりになった。さっきまでの事が夢か幻覚だったのでは、と感じる静かさだ。


「……(いへ)え」


 守助は自分の頬をつねる。夢ではないらしい。

 足の力が抜け、その場に座り込んだ。


「もりすけ……」

「大丈夫、何でもない。ちょっと疲れただけだ」


 不安そうな顔の鈴を撫でた。表情筋に鞭打って笑いかける。


 まさか目の前に妖怪が現れるなんて思わなかった。更にその妖怪が、あの間定鱗士と知り合いだなんて想像しろという方が無理な話だ。


 だが、どうやらこれは現実らしい。守助がどう否定したとしても変わらない。鈴は妖怪。氷凰も妖怪。そして間定鱗士は、退魔師。


「……本当だったんだな」


 ポツリと小さく、本当に小さく呟く。

 真横に顔がある鈴にすら、その声は届いていなかった。







 現場差し押さえから一夜明けた。

 朝食を手早く済ませ、制服に着替えて家を出ようという時。朝っぱらから膝を抱えて顔を埋める氷凰を、今一度見やる。


「おい氷凰」

「…………」

「いつまで引きずってんだよ。何だかんだでちゃんとバウムクーヘン買ってやったじゃねえか」

「……高級なやつ」

「それは駄目だ」

「糞があ!」


 菓子の一つや二つで、大妖怪様がいつまで落ち込んでんだか。元はといえば自業自得だろ。普通のはちゃんとストックしてあるだけ、ありがたいと思って欲しいものだ。


「俺もう行くけど、来ないのか?」

「放っといてくれ……私は記憶の中のばうむくーへんをここで永遠に味わい続ける。あ、美味い……フフ」

「……その調子で色々思い出せるといいな」


 そんなに気に入ってたのか……。俺食ってないんだよな。アイツ一口すら寄越さなかったし。

 ……自分だけ独占しといてこの態度。思い出したらまた微妙に腹立ってきた。もういい、来ようが来まいが。寧ろいるとチョロチョロされて気が散るし、今日は置いて行こう。


「行ってくる」


 返事はない。既に空想に逃げ込んでいるのだろう。……何というか、我ながら随分と扱いがぞんざいになったものだ。ヤバイ妖怪なんだがなアイツ。


「…………」


 通学路を行きながら、吉城と鈴について考える。特によく分からないのは鈴の方だが。


 直に目の前にして、あの子が危険な妖怪だとは俺も感じなかった。まるで卵から孵りたての雛鳥のように、下手に触れたら壊れてしまいそうな程に弱々しい妖気。

 そこらの妖怪と相対した時、いつも感じるのは不快感や威圧感だ。それが鈴の場合、守らなければどうにかなりそうな……。放り出された小動物を前にしたような感覚になる。これは氷凰も同感だったようだ。


 ただ、それだけで片付けていいものかどうかは疑問が残る。


 例えば、何故吉城に鈴が見えるのか。

 鈴はどんな経緯で吉城の元に辿り着いたのか。


 吉城に霊感はないと見て間違いない筈だ。なら鈴が実体化しているのかと考えたが、あの子にそこまで強い力があるだろうか。

 話によると鈴は最初、吉城に対しても酷く怯えていたらしい。俺に対しては、まあ……うん。何かから逃げてきた、と考えるのが自然だろうか。となると鈴どころか吉城にも危険が及ぶかもしれない。


「何とかした方がいいか……」

「おはよう間定君。何か考え事?」

「!」


 軽く肩が跳ねた。

 ……いつも突然話しかけられるな。中々慣れない。


「おはよう丁……ちょっとな」

「……もしかして、一昨日言ってた?」

「ああ」


 丁は声を潜めて、俺の横に並んで歩く。音量を下げた分聞き取りづらいだろうとでも考えてか、普段より心なしか距離が近い。俺は気が気じゃない。


「ええと、私が聞いていいのか分からないけど……まずい事でもあったの?」

「そういう訳じゃねえんだけど」


 現状マズイという事はない。ただ安全とも言い切れない。とるべき行動を一番迷う状態だ。


「まあ様子は見続けた方がいいな」

「そっか……無理しないでね?」

「…………ん」


 心配そうな表情で、丁が俺の顔を覗き込んでくる。やっぱり俺はそれを直視出来ない。

 天然なのか何なのか、丁はとにかく顔を見てくる。正確には、話す時に目を合わせたまま離そうとしない。場合によっては距離も近いし、何なら体が触れる事すらある。最早手玉に取られているのでは、とすら思えてきた。


「そういえば氷凰ちゃんは?」

「家で空想上のバウムクーヘン食ってる」

「?」


 それでも何とか会話を交わしつつ、学校に到着する。頑張ったな俺。まだ一日は長いぞ俺。


 自分でもよく分からない気合を入れながら教室の前に到着し……立ち止まった。


「……は?」


 教室の扉付近が若干ざわついている。丁もその様子に気づき、やや唖然として目と口を開いていた。


「何してんだ」


 独り言のようにそう零し、俺は立ち止まるのをやめて扉——正確には、この小さな喧騒の原因と思しき人物に近づく。


 扉に頭をくっ付けた状態で、その接点に全体重を預けた斜めの姿勢で微動だにせず、耳をすませば何やらボソボソ言っている吉城の元へ。


 控えめに言って異常な光景だった。昨日、少々変わった奴なのかと思った事を取り消す必要があるかもしれない。大分変わってる。


「吉城」

「確かに相談に乗るとは言ってくれたけどだからといってやっぱりその翌日に行くのは都合が良すぎないかけれどもそんな事言ってる場合じゃないのかもしれないし俺のしょうもない感情で鈴にもしもの事があったらと考えるといやしかしやっぱりこんな事ちゃんとけじめをつけてからにした方がいいんじゃなかろうかでもそれで見切りつけられたらそれこそ詰むしまずしのごの言わず相談に乗ってもらえばいいんじゃ——」


 (こっわ)っ……!


 思わず一歩引いてしまった。夜中に聞くお経より怖い。そりゃ人だかりも出来るわ。校外なら通報されててもおかしくないぞ。


「吉城! おい! 怖いし何言ってんのか分かんねえぞ!」


 とりあえず肩を掴み、軽く揺すりながら声をかけ続ける。吉城の頭がこちらを向き、目が合うまでに数秒費やされた。その焦点が定まっていなくて鳥肌が立つ。


「ま…………間定……」

「だ、大丈夫か? 早速何かあったの——」


 何となく俺に用かと直感して切り出そうとしたが、言い切る前に更なる異常が起こる。


 吉城が膝から崩れ落ち、俺の制服の裾を掴んで俯いたまま動かなくなった。


「オイ⁉︎」

「た……」


 吉城の手がガクガク震えだす。

 この後、悲鳴のような嘆願とともに振り上げられた吉城の顔は、涙と鼻水で滅茶苦茶だった。


「助けてくれええええええええええええええええッ‼︎」

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