第52話「内心」
空中で腕を組みながら考える。
焔ヶ坂山の件で美しさに磨きのかかった翼を広げ、特に意味もなく光を反射させてみた。うむ、幻想的で一層美しい。
しかしこんなにも美しい私の翼は、普通の人間の目に映らない。そもそも私の姿を捉える事すら叶わない。なんて残念な事だ、ただでさえ短い人生を圧倒的に損している。
「…………」
その筈だ。
見る事など出来ない筈なのだ。
あの小僧に、私の姿は見えない筈だったのだ。
実際、後をつけてる間は私に気づいている素振りなど見せていなかった。霊気も単なる人間のそれだ。当然実体化もしていなかった。
だというのにあの腑抜け面……。何なんだあいつ、人畜無害そうな顔の癖に何なんだ。確実に私を目に捉えていたぞ。
しかしやはり見える訳が。いやだが確かに折れ曲がった変な針金投げられたし。待て待て私がうっかり実体化してしまっていた? そんなヘマを私が?
…………ふむ。
「駄目だ分からん!」
やめよう、ゴチャゴチャ細かい事考えるのは。私にそういう地味なのは向いてないのだ。鱗士にでも考えさせれば良い事だった、うん。
そうと決まればさっさと戻るか。ばうむくーへんが私を待っている……フフフ!
踵を返そうとしたその直後、嫌な予感がよぎり私は翼を止めた。
そもそも私がこんな使いっ走りを引き受けてやったのは何故か。それは鱗士が報酬を提示してきたからだ。それこそがばうむくーへん。それも、いつもあいつが買い置いてるやつでなく、そこそこ上等なやつを買ってくると言いだしたのだ。
私は二つ返事で承諾した。全てはばうむくーへんのために。
しかし尾行がバレたと知られたら、鱗士は素直に報酬を寄越すだろうか。
……マズイ。あの捻くれ無愛想の事だ、私の目の前で高級ばうむくーへんを貪り始めてもおかしくない。そんな事になれば、私は屈辱と怒りで奴と心中する羽目になるかもしれん……!
何となく持ち続けていた針金を投げ捨て、頭を抱えて考える。嫌な汗まで出てきた。
食べたい。絶対食べたい。あんな糞ガキに食べさせてたまるか。どうする? どうする……⁉︎
考えたその刹那の間、私は一つの結論に達した。
「良し、黙っとこう!」
バレないだろ多分。見つからなかった事にして、異常なしとでも言えば何事もなく終わる。名案だなこれは!
私は早々に頭を抱えるのをやめ、今度こそその場を飛び去った。一緒にいた妖怪に害がなさそうなのは事実だし、何の問題もない。うむ、問題ない問題ない。
*
雨が降っていないのはありがたいが、いかんせん蒸し暑い。流れるほどではない汗が皮膚を覆い、着ている服に張り付いてやや不快だ。
だというのに、俺は普段まず近づかない駅前なんかに、バウムクーヘンなんかを求めてやって来ていた。
縁がないせいで変に緊張するし、人も多いしで落ち着かない。忙しなく流れていく人混みを見ていると、何となく変な気分にもなる。これで氷凰が素直に言う事を聞くなら安いものだが。
「あー……」
そんな気分を紛らわそうと、俺は髪を指でガシガシやりながら言葉を探す。
……本音を言うと、緊張も落ち着かないのも変な気分も、駅前なんかと関係ないのかもしれない。その本当の理由である、同行人に対する言葉を。
「ありがとな。店、教えてくれて……丁……」
「いいよ気にしなくて! 好きでやってる事だから」
屈託のない明るい笑顔をこちらに向けながら、丁は俺の隣を歩く。それを直視出来ないで、俺はすぐに視線を逸らしてしまった。
やっぱ無理。駄目だ、この状況だけで死にそうだ。氷凰を送り出した直後に声かけられて、適当に事情説明して、「いいお店知ってるから一緒に行こう」って返された時の俺の気持ちよ。頭が真っ白になるというのはこういう事なんだなと本気で感じた。
とりあえず氷凰、まだ戻ってくんな。
心臓を抑えながら、今はそう願っておく。
「氷凰ちゃんって本当にバウムクーヘン好きなんだね」
「そ、そうだな。何でだろうな」
「間定君は何が好きなの?」
「……俺? ええー……と、天ぷらかな。海老の」
今のは質問の答えになっていただろうか。声が裏返ったりしていないだろうか。声を発するたびに心配になる。
ああ、こういう時の落ち着き方、誰かに聞いときゃよかった。龍臣あたりならこないだ聞けたのに……いやでも虎乃も一緒にいたな。じゃあ無理だ。
「おいしいよね天ぷら! 私はかぼちゃのが甘くて好きかな」
「ん、まあ……それも好き」
落ち着け俺、多分おかしな会話にはなってない。取り乱さずに喋れば大丈夫だ……!
「丁は……?」
「?」
「ええと……好きな食べ物」
「ああ! 一番は桃かな。甘いしいい匂いするし」
よし! いや聞き方下手くそで微妙によしじゃないが、何とか俺の方から話ふれた……! 桃好きなのか丁。
そういえばと、俺はさっき買ったバウムクーヘンの入った紙袋を持ち上げる。その真ん中には、デカデカと桃の絵が描かれていた。店の看板に桃の果汁がどうこう、と書かれていた事も思い出す。
なるほど、それで。
「だからあの店好きなのか」
「あはは……まあね」
少し恥ずかしそうに笑う丁。新鮮な表情が矢となり、俺の胸を貫いた。全身を駆け巡る稲妻。ほんの一瞬体が強張る。
危ねえ……心臓止まるかと思った。これで死んだら、来世も氷凰に恨まれるところだ。
一旦深呼吸して落ち着きたいところだが、唐突にそんな事したら変な目で見られそうだからやめとこう。通行人ならまだしも、丁にそんな対応されたら本気で凹む。
……俺はつくづくこういう事になるとヘタレだな。なんて手の自虐にも慣れ始めたものだと実感しながら、俺は丁と帰路を歩き続けた。
「…………」
ずっと前から抱き続ける疑問が、ふと頭の中に浮かんできた。
丁は当たり前のように話しかけてきて、当たり前のように一緒に行動してくれる。俺なんかと一緒にだ。
嫌なんかじゃない。恥ずかしくて言えたもんじゃないが、むしろ嬉しい。師匠が死んだあの日、あの言葉をかけてくれた事には、感謝してもしきれない。
だが、俺の疑問はそれ以前にあった。何故丁は、執拗に俺と関わろうとしたのだろう。
お人好しなのはそうにしても、それだけであの時の俺に声をかけ続けるものか? 今の俺に自覚出来るくらい、愛想なしの嫌な奴だぞ?
丁は、何を考えているのだろう。
俺の事を……どう思っているのだろう。
「間定君?」
「!」
考えながら飛ばしていた視線が、丁のそれとかち合った。相変わらず、眼鏡越しにも分かるほど透き通っていて丸い大きな目。心音で鼓膜が震えた。
「…………」
普段ならすぐに逸らしてしまうのだが、この時の俺は少し違った。
「……あのさ」
あんな事を考えていた直後だからだろうか。勝手に口が動きだす。
聞いていいのか?
いや駄目な気がする。丁の答え次第で、俺の気持ちの結末までこの場で決まってしまう気がする。
「?」
「丁は」
今すぐに口を手で覆ってしまいたい……が、何故か体は動こうとしない。
顔がメチャクチャ熱くなってきた。ヤバイ、自分が冷静じゃないってはっきり分かる。聞くのが怖い、けど……答えを知りたい自分が競り勝っちまってる——
「お……」
「お、いたいた。探したぞ」
……顔から伝播していた熱が、瞬く間に消え失せていく。心の昂ぶりも一瞬で冷めた。
俺は心底うんざりした態度を隠す素振りも見せず、声のした背後に首だけで振り返った。角度的には、声の主——氷凰を斜めに睨むような形だ。
「……チッ」
「は? 貴さ、え?」
「ああ、うん。何お前? 何でいんの?」
「何でも何も……貴様があの小僧の様子を見てこいと……」
「俺そんな事言ったっけ?」
「いや言っただろう、おかしいぞ貴様。何だその睨み方……人間の目じゃないぞ」
「へえ。てか何でいんの?」
「おい由于夏⁉︎ どうしたんだこいつ、いつも以上に無礼になってるぞ⁉︎」
訳が分からないと喚く氷凰。ここまで困惑するコイツも珍しいなと、凪ぎに凪いだ頭で冷静に分析する。
こういう心持ちの事なんて言うんだっけ? この前読んだラノベに書いてあった気が……。
えーと……賢者タイムだっけ。
違う気もするけどまあいいか、どうでも。
「ハア〜〜〜〜〜〜〜〜ッ」
「止めろ! 私の顔見ながら溜め息つくな!」
「え、えーと、とりあえず喧嘩はやめよ?」
氷凰はともかく、丁を困らせたくはない。俺は氷凰をもうひと睨みしてから丁に向き直る。
「悪い、何でもないんだ。この後コイツと話す事あるからこれで。店教えてくれて本当ありがとな」
「そっか……よく分かんないけど頑張ってね?」
丁は何となく納得した様子で、笑いながら親指を立てた。因みに最近気づいたが、このサムズアップは丁の癖らしい。
そんなこんなで丁と別れ、隣を歩くのが氷凰に変わった。落差が凄いったらない。
「……マジで空気読めよ」
「ぐちぐち喧しいな。どうせあの後も進展なんざなかっただろうに」
「憶測でものを語んな。俺そこそこの事言おうとしたぞ⁉︎」
「でも告白じゃないだろ?」
「ぐ……」
それはまあ、そうだが……。近からず遠からずって事にはならねえか? ……ならねえな。
「この話はもう俺の負けでいいけど……で、結局どうだったんだよ」
「貴様から吹っ掛けた癖に」
「分かった、悪かったよ。だから教えてくれ」
潔く引いて話を促す。今大事なのは、俺の事情より男子生徒の妖気の方だ。
「まあ、あの小僧は大丈夫だろうと思うぞ。妖怪は一緒にいたがどう見ても雑魚だった。悪影響はないだろう」
氷凰は特に関心なさげにそう言う。しかし決めつけるのは早計だ。何日も付きまとわれて何らかの影響が出る、なんてパターンもあるし、ただ見ただけではまだ何とも言えない。
実際、俺も昔そういう目に遭った事がある。その手の奴に限って特に面倒なものも多い。
「ほれ、もういいだろ? さっさとばうむくーへんを寄越せ」
「……なあ、明日からもしばらく様子見てくれ」
「は?」
「俺がやるよりその方が都合いいだろ。姿消してりゃ、あの男子からはお前見えてない訳だし」
「いや……」
「?」
何とも言えない表情で、バウムクーヘンを受け取る姿勢のまま固まる氷凰。違和感を覚えるなというのは無理な話だった。
「……お前、なんか隠してる?」
「イヤ、何も?」
「…………」
「な、何でもない! 分かったやれば良いんだな! だが明日もばうむくーへん寄越せよ⁉︎」
乱暴に紙袋をふんだくり、氷凰は俺の前を歩いていった。さっきまでより明らかに歩幅が大きい。
大丈夫か……コイツ?
不安になってきた。
*
その頃。
「…………ッ」
「もりすけ、お腹すいた」
「ゴメンね⁉︎ もうちょっとしたら俺も落ち着くと思うから待ってて‼︎ すぐ焼きそば用意するから‼︎」
守助は何もいないベランダを睨みながら、武器を構え続けていた。




