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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第3章「か弱き逃避行」
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第51話「残穢」

 守助と鈴の奇妙な邂逅から三日経った。


 角の生えた怯える少女を警察に連れて行く気にはなれず、鈴は今も守助の家にいる。何らかの奇病という線も考えたが、そんなものは調べた限りでは存在しなかった。

 とすると、人体実験か突然変異か、そもそも人間じゃないか。非現実的でしかない。しかし出会い方も大概非現実的だったせいか、守助は違和感なくそんな思考に至っていた。


(慣れて受け入れてる自分が恐ろしい……)


 授業を聞き流しながら、現状の意味不明さを改めて痛感する。因みに鈴は家で留守番中だ。知り合いに預ける事すらままならない。


 しかし最初に外出しようとした時は大変だった。いつまでも自分のでかいTシャツを着せておくのもどうかと思い、鈴用の服を買いに行こうとした時の事である。

 鈴が守助の足にしがみついて離れなくなってしまった。説得しようにも「ヤダ!」「置いてかないで!」と涙目かつ上目遣いで訴えられては、胸が果てしなく締め付けられる。


 一緒に出歩こうにも、そのために今から買いに行こうとしている服が必要だというジレンマに頭を抱えたのも既に三日前。今はテレビの力で鈴は大人しくしている事だろう。


(ああ、でも大丈夫かな? 勝手に出歩いてないかな? 事故とかに遭ってないよな? ……遭ってないよな⁉︎)


 それでも守助は気が気でなかった。唐突に不安が押し寄せてきて、「学校にいる場合じゃないんじゃないか」という思いに飲み込まれる。


(ていうか真面目に今後どうすんだ……? 流石にずっと匿うなんて不可能だろうし、かといって『角の生えた子を保護してます』とか誰に言やいいのか分からんし……)


 不安が不安を呼ぶのが、守助の思考回路の特徴だ。一度嵌ると芋づる式に他の事まで考え込んでしまう。


(あああとりあえず帰りたい! 一秒でも帰宅のタイムを縮めたい……あ、なんか今の陸上選手みたい。いやどうでもいいわ駄目だ混乱してんなあ俺! 落ち着け落ち着けそういうところだぞ守助! 肝心な時にテンパって大切な事を見失う残念思考の残念野郎……誰が残念野郎だうっさいな‼︎)


 デッドヒートを繰り広げ始めた脳内一人会話を遮るように、授業終了のチャイムが鳴り響いた。守助の頭がにわかに冷める。


(あ、終わった……さっさと帰ろう。早くホームルーム終われ。こちとら本当は学校行ってる場合じゃない気がすんだからな!)


 日本史を教えていた教師が担任とバトンタッチして教室を後にする。普段は気に留めないその歩行速度が、今の守助には大変焦ったく感じた。







 ホームルーム終了と同時に、守助はダッシュで教室を飛び出した。ドアを開け、足を滑らせかけながらターンして、廊下をこれまた猛ダッシュ。

 普段は首に引っ掛けたヘッドホンから適当に音楽を鳴らし、ダラダラと帰路に着くのだが、今はそんな事より鈴の方が大事だった。


「吉城、廊下を走るな!」

「出来ない相談です!」


 教師の注意を全力で無視し。


「守助、今日カラオケ——」

「明日行くからそれまで待ってて!」

「は?」


 友人に無理難題を課し。全てを拒みながらとにかくダッシュ。全身で風を切る感覚すら置き去りにして、全力で廊下を蹴り続けた。


 しかし、留まるところを知らないと思われたその勢いは、たった一人によってブレーキをかけられる事になる。


「ああもう、バウムクーヘン買ってやるから……」


 守助のクラスから、二つ隣のクラスのドア——走る守助の少し前方にある——が開く。男子生徒が一人出てきた。


「うぇ⁉︎」


 その男子生徒はよそ見をしていて、守助の方に気づいていなかったらしい。二人の距離は正に目と鼻の先。数秒後にどうなるかなど、鈴の事しか考えていなかった守助にもすぐ分かった。


(ヤバッ‼︎)


 咄嗟に躱そうと、踏み降ろす足の軌道を変えた。目の前の男子生徒が事態に気づき、ギョッとした顔でこちらを見た。無理に方向転換しようとしたせいで、思い切り足がもつれる。


 結果、男子生徒の横を通り過ぎる形になり、正面衝突は避けられた。

 しかし守助は盛大にずっこけた。


「ふぁぼふべッ‼︎」


 不思議な悲鳴を上げ、うつ伏せに倒れる。顔面を強打した。鼻がへしゃげたかと思う程の鈍痛。その奥から、ジワジワと熱が込み上げてきた。


(……何をしてるんだ俺は)


 痛みと鼻から抜ける熱が原因か、守助は冷静になり始めた。同時にそのせいで涙が止まらなくなったが。


「だ、大丈夫か?」


 恐らく、さっきの男子生徒の声だ。突っ伏して動かない守助を見かねたのだろう。

 こちらが全面的に悪いのに、心配をかけるのはどうなのか。そう考えて体を持ち上げ、ひとまず頭だけを男子生徒の方に向けた。


「ずまん……(いぞ)いでたんだ……大丈夫」

「いや鼻血凄いぞ」


 言われて鼻を摘み、涙でぼやけた男子生徒の顔を凝視する。見知った相手、という訳ではないのだが、知っている顔の気がしたからだ。


「……あ」


 そして気づく。潤む視界でも分かる、鱗のような模様の痣。


(間定……)


 守助の顔が少し強張る。

 碌に話した事はないし、彼と親しい知り合いもいない。しかし守助は、間定鱗士が苦手だった。


「本当に大丈夫か?」


 いつまでも立ち上がらない守助を、鱗士は不安げに見下ろす。鋭い目付きが自分を見透かそうとしているような錯覚。そう、間違いなく錯覚だ。


()にしないでぐれ……本当スマン」


 分かっているが、守助はそそくさと立ち上がりその場を去った。さっきみたいに全力疾走ではないが、急ぐ感情は変わらない。ただ、この場を去りたいという意味では、寧ろさっき以上かもしれない。


(はあ……。マジで何をしてるんだ)


 無意識に下唇を噛む。流れた鼻血と相まって、鉄っぽい味がした。

 ぶつかりそうになった事も、苦手で避けている事も、向こうに非はない。悪いのは一方的に自分の方。


 間定鱗士を苦手だという人物は、周りにもそれなりにいる。風貌も態度もどこか浮いていて、威圧的だと感じられやすいのだろう。

 そう考えれば、守助自身も特別おかしい訳ではない。だが彼を避けようとする度に、守助は自己嫌悪に襲われた。







 鼻を摘んだまま帰路を急ぐ。小走りだったのが、途中から全力疾走に戻っていた。息がとっくに切れて、肺が過労死するんじゃないかと思ったところで、アパートの目の前まで辿り着いた。


 ようやく走るのを止め、ゆっくり二階の階段を上って、自宅のドアの前で一度立ち止まる。


(ハアーーーーッ! しんど!)


 膝に手をついて、ゼエゼエ言いながら息を整える。心臓の中で小人が暴れてるみたいに、胸が脈打ち続けていた。


 呼吸を落ち着けるのに十秒程度費やした後、守助はようやくドアノブを回した。


「ただいまー……」

「!」


 和室の角から、鈴がひょこりと小さな頭を覗かせた。守助の姿を確認するなり、表情を明るくして玄関の方に駆け寄っていく。


「もりすけ、おかえり!」


 そして、守助の腰あたりに抱きついた。頭を撫でてやると、嬉しそうに頭を押し付けてくる。自然と頰が緩むのを感じた。


「いい子にしてたか?」

「うん!」

「よしよし」


 角に引っかからないよう頭を撫で続けながら、靴を脱いで家に上がる。


 それにしても、随分と懐かれたものだなと思う。

 自分と会うまでに、鈴の身に何があったのか、まだ守助は聴けていなかった。しかしただ事じゃないのは簡単に察せるし、鈴は少なくとも普通の人間じゃない。

 多分、今まで誰も頼れる者なんていなかったんだろう。だからある意味では当然なのかと、何となく守助は思い至った。


「今日は何食べたい?」

「えーと、やきそば」

「またか?」


 焼きそば好きになったのも当然なのだろうかと、軽く苦笑いする。


(……走ったからかな、何か暑い)


 ふとそう思い立ち、ベランダに出ようとそちらの方へ顔を向けた。


 閉じてあったカーテンを一気に開こうとして、


「……え?」


 手が止まった。


 白くて薄いカーテンは、日差しと視界を遮れるが、向こう側にあるものの影を視認する事は可能だった。


 そんな境の向こう側に、影が見えた。

 人型の影。

 少し離れた所に見える、翼が生えた人型の影。


 少し落ち着いていた心臓が、再び荒ぶり始めた。カーテンから手を離して後ずさる。


(何、だよアレ⁉︎ 浮いてる⁉︎ 羽……⁉︎ 人じゃな、ってもしかして⁉︎)


 影と鈴を交互に見やる。鈴は事態に気づいていないらしく、キョトンとした顔でこちらを見上げていた。

 どうにか落ち着こうと努める。鈴を不安がらせてはいけない。


(あれはどっちだ⁉︎ 鈴の仲間? それとも敵なのか⁉︎ もし敵だったら、これもう詰みなんじゃ……)


 守助に人外と戦う術など存在しない。なんなら普通の喧嘩すらした事がない。言葉だって上手くない。どうしようもない。

 汗の質が、変わっていくのを感じた。


(無理だ無理無理無理無理……けど、けど……!)


 もう一度鈴の顔を見る。

 そして、床に放置してあったハンガーを咄嗟に手に持って、カーテンと扉を思いきり開いた。


「誰だテメエエエエエエエエエエエエエエ!」


 同時に叫び、ハンガーをぶん投げた。


「⁉︎」


 女だ。水色の長い髪、透明で透き通ったティアラのような飾り、それと同じもので出来た天使のような羽。全てが調和を超えた噛み合いを見せ、思わず見惚れるほど美しかった。


 そんな美女はハンガーを白刃どりでキャッチし、守助を驚いた様子で凝視する。


「き、貴様見え……」

「え?」

「……………………」


 何か言いかけて、気まずそうに目を逸らしたかと思うと、女は物凄い速さで飛び去ってしまった。残ったのはどこからか吹いた涼しい風と、湧き出してきた安堵感。

 腰を抜かすように座り込み、守助は大きく息を吐いた。


「何だったんだ…………」

「もりすけ?」


 とりあえず心配させまいと、隣にいる鈴の頭を撫でておいた。







 走り去っていく男子生徒の背を追い続ける。やがて階段の所で角を曲がり、俺の視界からは見えなくなった。


「貴様もまだまだだな。あんな一般人とあわや正面衝突とは。修行が足りん」

「お前がうるせえから気が散ってたんだよ」


 少し後ろで茶化してくる氷凰の肩を小突き、俺は廊下を歩く。角を曲がっても、さっきの男子生徒は当然もう見えなかった。


「……氷凰、さっきの奴追えるか?」

「は? 何故だ」


 左頬を軽く撫でる。

 今は(・・)何の疼きも感じない痣。けど、さっき……。


「ほんの少しだけど……妖気が纏わり付いてた」

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