第49話「それが進化なのかは分からない」
激闘だった。俺の怪我や疲労がなかったとしても、恐らく危ないところだっただろう。それくらいの激闘だった。
「やったな、鱗士殿」
「おう……」
「やっと、寝てくれたな」
戦友の車骨とともに、簡易ベッドの上でいびきをかく虎乃を見下ろす。死にかけで運ばれてきて、酩酊して、小一時間暴れて、挙句は爆睡。幸せそうな寝顔が無性に腹立たしい。コッチは数発いいもの貰って怪我が増えたというのに。
因みに龍臣はついさっき無事に生き返った。
「本当に申し訳ない……助けてもらった上にこんな迷惑を」
「気にする事は無い。命に別状が無くて何よりだ」
頭を押さえながら龍臣が謝る。
本当、不憫だよな……アンタ。そりゃ溜め息も出るし煙草も吸うわ。
「所でお主等、宿は決まっておるのか? 既に日が暮れているが」
「……どうだっけ」
「決まって……ないな。色々と予定が狂ったし」
俺と龍臣は顔を見合わせた。元々どこかで一泊はする予定でいたが、現状が想定外過ぎる。車は遥か遠くで置き去りにされ、ここら一帯はひたすら何もない。というか荷物もない。
「なら泊まって行くと良い。空いた部屋はいくつか有るし、着替えも風呂も用意出来るぞ」
「「本当にスマン……!」」
二人同時に頭を下げる。最早、それしか道はなかった。
「遠慮するでないぞ。お主等は大事な客人なのだからな。まあ取り敢えず、部屋で休んで置くと良い」
「その前にここ片付けないとな……」
「いや鱗士、休んでろって。一番元気な俺がやっとくから」
そう言って龍臣は、俺を部屋から押し出してしまった。仮にも怪我人だからか、変に気を使われている気がする。
別に片付けくらい普通に出来るんだが。にしても龍臣って裏方好きだよな。多分虎乃のせいだ。
「あ」
「……む」
そんな事を考えながら来た道を戻っていると、向かいから煉鮫が歩いてきていた。何か思考を巡らせるように視線を落としていたが、俺に気づいて顔を上げる。
そういえば、虎乃たちがここまで来れたお礼をまだ言っていなかった。丁度いい、という訳ではないが言っておこう。
「本当、ありがとうな。全員ここまで来れてよかった。虎乃たちを助けてくれた妖怪も」
「こちらこそだ。君がいなければ、黒禍を盗られていたかもしれない。礼を言わせてくれ」
「はは……最終的には氷凰が持ってったけどな」
煉鮫はこう言ってくれたが、俺はあの戦闘で何度も選択を間違えた。狂狸の時と同じだ。今回は良かったが、また失うところだった。
俺はまだまだ駄目だ。もっと強くならなくてはいけない。それこそ、【六魔】たちに太刀打ち出来る……いや、勝てるくらい。
「……その氷凰の事だが」
「?」
「君が思っているよりも、今のあいつは脆いかもしれない」
決意を固めようとする俺に、煉鮫は意外な一言を投げかけてきた。
脆い……。アイツが? いつでも自分が一番だと信じて疑わず、鈍った状態の今でも、その自尊心に恥じない強さ。俺の中では、そんな氷凰と脆いなんて言葉は無縁もいいところだった。
「想像つかないな」
「気には留めておいてくれ。君は氷凰といる事が多いんだろう?」
「まあ……分かった。覚えとく」
「……妙な気分だ。あの氷凰を心配する日が来るなんて」
軽く頷き、俺の肩に手を置いて、煉鮫は通り過ぎていった。浮かべる表情は、少し困惑気味の苦笑い。
それくらい、過去の氷凰は俺の知る氷凰と別物という事だろうか。少しずつ小さくなる煉鮫の背中を、何となく眺め続ける。
……あれ、そういえば客間ってどっちだっけ。とりあえず騒がしい方に走ってたから道が——
「客間ならそのまま真っ直ぐ行って右側の襖だぞ」
視線に気づいた煉鮫に思考を読み取られる。何故ばれた。
軽く手を上げて、今度こそ煉鮫と別れる。そして言われた通り真っ直ぐ進み、ちゃんと客間まで戻ってこられた。断じて迷ってなどいない。
襖を開き、さっきと同じく氷凰と対面する位置に座った。
「…………」
俺に気づいているのかいないのか、氷凰は目線を少し落としたまま動かない。心なしか険しい表情をしているように見えるのは、さっきの言葉を意識しているせいだろうか。
ああは言ったが、どうしたものだろう。
煉鮫の口ぶりから、俺がいない間に何か話したんだろうという予想はつく。ただ、氷凰が何か思い詰めるような会話とは何だ。そんなものとは無縁の思考回路をしていると思っていたんだが。
煉鮫も『かもしれない』と言っただけで、確証を得た訳じゃなさそうだった。それを俺みたいな人付き合い下手くそ野郎が考えて、どうこう出来るものなのか……。
「……ん? なんだ、戻ってきてたのか」
氷凰が顔を上げ、俺と目が合った。どうやら気づいていなかったらしい。
そしてやっぱり、妙に顔つきが固い気がする。
「何で黙ってるんだ。私の顔がどうかしたのか?」
「いや……」
反射的に否定の言葉が出かかったが、氷凰の声質を聞いて喉の奥に押し込んだ。
明らかにいつもの覇気がない。常に自信に溢れる氷凰とは思えない程、その声には不安が混ざりこんで聞こえた。
「お前、何を悩んでるんだ」
異変を感知してしまった俺は、考える前に問いかけていた。
「……煉鮫の奴、余計な事を」
氷凰は不意をつかれたように目を見開いたが、すぐに苛立ちで鋭く細める。舌打ちして襖をひと睨みし、大きく息を吐いた。
そして俺と目を合わさずに、そのまま頬杖をついて黙りこくってしまった。何も言うつもりはないらしい。
「…………」
「別に無理に聞くつもりはねえよ。ただまあ……鬱陶しい事は承知で一つ言わせろ」
今のお前みたいな奴を、俺は知っていた。黙っているつもりなら、そのまま黙って聞いてもらおう。
「胸の中に嫌な塊があって、自分にもそれ以外にもどうにも出来ないって感覚。癪だろうけど、俺には分かるぞ」
数年間、俺はそういうものと付き合って生きていた。死ぬまでそのままだと思っていた。
「でも、他の誰かのちょっとした事で、案外どうにでもなっちまうんだ」
氷凰が目線だけを俺に寄越す。しかし表情は変わらない。
「……何が言いたい。貴様が私をどうこうしようとでも思っているのか?」
「違えよ。俺にそんな事出来るか」
頬杖を止めて怪訝な顔をする氷凰。
煉鮫は俺に何かを期待してくれてたらしいが、それは多分無理だ。自分の事で精一杯で、そんなきっかけ作れる気がしない。俺は今、ただ言いたい事を言ってるだけだ。
「俺がそんな『誰か』になれるなんて思ってない。ただ、そういう事もあるってのは覚えとけ。どうしても話したくなった時は、仕方ないから聞いてやる。……以上」
床に手をついて仰け反り、天井を仰ぐ。全部言った後で、何だか無性に恥ずかしくなってきた。柄じゃないというか……俺がメチャクチャ心配してるみたいになってる。
さっき『気を使われると気持ち悪い』とか言ったが、凄まじいブーメランじゃないか。何だ俺。何でこんな事言ったんだ?
「……おい」
「待て言うな。気持ち悪いの自覚してるから。今すぐ忘れろ」
「違う!」
手のひらを突き出して話を遮ろうとしたが、帰ってきたリアクションはまたしても、普段の氷凰と様子が違った。
目を丸くして、机に手をつき身を乗り出して俺の顔を覗き込んでくる。いつもじゃ考えられないくらい距離が近くて、俺は思わず息を飲んだ。宝石のような水色の瞳に、困惑顔の俺がくっきり写っている。
「さっき何て……」
「は? ええと、話したくなったら聞いてやるって」
「もっと前から!」
「⁉︎」
遂には手を伸ばし、俺の肩に掴みかかってきた。荒いのに冷たい息が顔に触れる。
「え、えぇー……と……」
「同じ事を言われた事がある気がする。何か思い出せるかも——」
しかしまたしても突然、氷凰の勢いが止まった。迷うような表情で言葉を打ち切り、俺の肩から手を離す。乗り出した身は引っ込めどころを見失ったのか、変な姿勢で固まっていた。
「……思い出せるって何を?」
「あが⁉︎」
かと思えば、あからさまに『しまった』というリアクション。さっきまで頑なだった癖に、思いっきり墓穴掘りやがった。
「何か知らんが、お前は記憶が一部飛んでて、それを思い出すべきか迷ってるのか?」
「い、いいいいいや⁉︎ べべべ別に百年前の自分が何を思っていたのか思い出せないとか、本当の私がどんななのか分からなくなったとか、そそそそそんな事は……!」
「なるほどよく分かった」
「ながっ⁉︎」
どんだけ掘り進めれば気が済むんだ。
馬鹿かコイツ。ああ、そういや馬鹿だった。
「や、止めろ! 見下げ果てた目で私を見るなっ!」
「うるせえ、あとさっきから近え。この距離なのに全然ときめかないって逆に凄いよな」
「あ゛あん⁉︎」
声が荒ぶる。氷凰の中でスイッチが入った。
「私の美貌が分からないとはな! 頭の中が氷水か貴様‼︎」
「そんなチャプンチャプンしてねえよ。お前じゃあるまいし」
「はあああ⁉︎ 貴様の頭は由于夏の事でチャプンチャプンだろうが! いいのか嘘ついて⁉︎ 由于夏が泣いてもいいのか⁉︎」
「おま、それは今関係ねえだろ! 話逸らすんじゃねえ鳥頭!」
「誰が鳥だ! 貴様こそそんな陰気な面で恋路が上手くいくと思うなよ! 振られろバーカ‼︎」
「止めろォ‼︎」
「喧嘩を売ったのは貴様だろうが! ざまあないな、夜な夜な怯えて枕を濡らすがいいわ!」
「テメエ俺が振られるような事があれば覚悟しとけ⁉︎ その日のうちに首括ってもおかしくねえからな‼︎」
「止めろォ‼︎」
大声を連発しまくり、息が上がり始めた。
この野郎、口喧嘩に丁を持ち出しやがって……。いつの間にそんな技術身につけたんだ。
「はぁ……はぁ……」
「……どうよ」
「あ? 何がだ」
「ちょっとは気分が晴れたか?」
「! …………」
氷凰は体を引っ込め座り直し、腕を組んでそっぽを向いた。ムッとしたまま横目で俺を睨み、机の下で蹴りを入れてくる。苛々している事に変わりはない、が。
いつも通り、ちゃんと苛々しているご様子だ。
「鱗士の癖に気を使うな……気持ち悪い奴め」
「そりゃ何よりだ」
「フン」
一筋縄ではいかない関係を続けるうちに、ストレス発散の糸口が同じものになっていたらしい。まあそんな気がして吹っ掛けたんだが。
どうなのだろう、これは。
俺は進化しているのだろうか。
今の氷凰は退化した結果なのだろうか。
漠然とした疑問を残して、師匠の遺言は達成された。残る懸念点としては……帰りの車くらいだろうか。
第2章 完




