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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第2章「焔ヶ坂山険道中」
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第46話「焔ヶ坂山最終攻防」

 煉鮫との話が、丁度ひと段落した時だ。

 侵入者などあり得ない筈のこの場所に、突然妖気が出現した。少し前に感じた事のある妖気。俺を襲った——今思えば、正気を失わされた焔ヶ坂山の妖怪たちが、その身から垂れ流していた妖気。


 その、血のようにおどろおどろしい妖気の主が今、俺の目の前に立っている。


「ああ……その痣。狂狸が言ってた退魔師はお前ね。イライラしながら酒飲んでたわ。……私の前じゃやめろってのに」


 火傷を負った左頬を撫でながら、ソイツは憎々しげに言った。


「イエスって事でいいな、その態度」


 自ずと目に力が入り、俺は敵を睨みつけた。


 容姿は人間の少女に近いが、獣の耳と尻尾。左頬に限らず火傷だらけの体を辛うじて覆うのは、ボロボロになった黒い布切れ。

 そんな体たらくと、さっき感じた激しい妖気の唸り。これらから察するに、煉鮫にコテンパンにされつつもどうにか逃げ出して来たらしい。


 協力したいと頼んだ結果、ここに待機させられた理由が何となく分かった。煉鮫がやれば、黒禍の封印諸共……という事だろう。やっぱり【六魔】ってのは桁違いだ。


 そしてコイツは、そんな怪物と戦い曲がりなりにも生き延びた。随分と消耗してはいるが、一筋縄ではいかないだろう。


 だがやってやる。

 黒禍ももう奪わせない!


「どきなさい人間!」


 奴は吐き捨て、床を蹴る。


「テメエが消えろクソ野郎!」


 俺は右手を振り、鎖を横に薙ぎ払った。蛇のような動きで唸りながら、先端の錘が奴の頭へと迫る。

 奴は避ける素振りも、防御する様子も見せなかった。ただ真っ直ぐ俺を睨み、突っ走ってくる。違和感を覚えると同時に、錘が側頭部にめり込んだ。


「……っ」


 鈍い音が鳴り、奴がふらつく。


 俺は急いで鎖を手元に引き戻した。

 錘が深くめり込む前に。血痕が着く前に。


「まあ、バレてるわよね……!」


 側頭部を手で押さえながら、奴は歯を軋ませる。顔を顰め、苛立ちを抑えられていない様子だ。


 正気を失った妖怪たちは、病的なまでに血を欲していた。そこから予想はついている。奴に血を流させる訳にはいかない。恐らくそれが奴の能力だ。


 しかし、それにしてもだ。

 血を流す事が能力のトリガーだとしても、攻撃を全く意に返さないとは。よほど肝が据わっているのか——


「!……いや、なるほど」


 という疑問はすぐに解消された。

 火傷が薄くなっている。既に綺麗に消えている箇所もある。どうやら、強い再生能力まで持っているらしい。


 なんてシナジーだよ。あの時襲われてなかったらヤバかった。

 そして厄介だ。煉鮫にも仕留めきれなかったのはそういう訳だろう。俺が勝つにはどうするべきか……。


「殺す! お前さえさっさと始末すれば、あとは黒禍を持ち帰ってあの方に……!」


 そう思考する間にも、奴は俺との距離を詰め続けていた。近づかれすぎるのはマズイ。

 俺が半歩下がると同時に、奴は自分の右腕に爪を立てた。


「逃げるなッ!」


 そしてそのまま、思い切り縦に引き裂いた。真っ赤な筋が深々と刻み込まれる。血が吹き出したかと思えば飛び散らずに固まって、枝のように俺の方へと伸びてきた。


「……っ!」


 血をそのまま武器にもするのか! このまま下がったんじゃ避け切れない。

 そう判断し、俺は鎖の霊気に意識を向けた。迫り来る血の枝に向かって右手を翳す。


「“鎖盾障壁(さじゅんしょうへき)”」


 伸びた鎖が、右手の前で螺旋を描く。それを伝う水色の霊気が輝きを強め、巨大な円形の盾を形作った。

 先程引いた足に力を込め直し、体の重心を前方へと移す。枝の先端が、“鎖盾障壁”に衝突した。軽くない衝撃が全身を伝う。


「ぐっ」


 怯んでる場合じゃない。すぐに次の攻撃が来る。そうなる前に手を打て。


「……うおお!」


 体重を乗せて床を蹴る。“鎖盾障壁”に刺さった血の枝諸共、奴を力づくで押し返した。奴が軽いのか、存外上手く力が入る。

 赤い枝が液体に戻り、床に血痕を作った。能力を解除して、押し出されるのを防いだのだろう。それでも、三歩ほど背後に下がらせる事は出来た。


 距離が開き、血の武器は消えた。好機と捉え、“鎖盾障壁”を解除した。輝きはそのままに鎖を唸らせる。先端の錘を、奴の眼前の位置まで持っていく。


 触れないように。

 返り血がかからないように。

 軽く引き気味に鎖を操作しながら、錘に霊気を集中させた。


「“滅爆鎖撃”」


 炸裂する霊気が、奴の顔に襲いかかる。同時に鎖を手繰り寄せた。


「が……っ!」


 短く悲鳴を上げ、奴は顔を片腕で覆った。通りはしたようだが、こんなもんじゃ勝てない。戦いながら弱点を探るしか……。


「鬱陶しい……! あの【六魔】や虎乃ならともかく……お前みたいな奴に阻まれるなんてッ!」

「……あぁ?」


 剥き出しの目で、俺を睨みながら怒号を飛ばす。

 その中に、聞き捨てならない言葉が混じっていた。


「今何つった」

「……?」

「何で、虎乃の名前を知ってる」


 顔を再生させながら、奴はうざったそうに俺を見る。その表情が、俺の中の火に油を注ぐ。嫌な予感が、ふつふつと湧き出してくる。


「さっき会ったからよ。もうそろそろ毒で死んでるかもね」

「……!」


 事もなさげに、奴は吐き捨てた。


 馬鹿な。そんな。嘘だ。

 浮かんでくるのは、そんな安っぽい否定の言葉。嫌な予感が、絶望に変わっていくのを感じた。


「……何よその面。そんなにショックだった?」


 苛立った表情が、みるみる嘲笑に染まってゆく。弱みを握ったと言わんばかりに、煽る口調で奴は続けた。


「必死だったわよ? 何遍も何遍も血を被って、その度フラフラになりながら足掻いてさあ……! あぁ、思い出すと胸が熱くなるわ……」


 胸に手を当て、身振り手振りを加えながら大仰に奴は語る。一挙一動が俺の中の絶望を刺激し、更に別のものに変えてゆく。顔が引きつる。


「でも惜しいわ……虎乃の持つあの憎悪の心。何をする事も厭わない強い感情。全てを捨てされる程の恨み。きっといい仲間になれたのに」

「…………」


 絶望が、消えた。今の一言で、全てが別のものに変わっていた。


「ハッ! ハハハハハハハ‼︎」


 あまりの怒りと憐れみに、最早俺は笑っていた。


「いい仲間? 虎乃がお前と? 何の寝言だド畜生」

「は?」


 奴の目が、不可解なものを見る目になる。

 知るか。人の姉弟子に勝手な事言ってくれた分、今度は俺が言わせてもらう。


「アイツが自分で思うより、虎乃は恨みと折り合いつけて生きてるさ! お前や狂狸みたいに、道理の外の住人じゃねえよ! もしそう見えたってんなら、お前の頭の中は随分幸せだなッ‼︎」


 虎乃は俺と違って強い。何年もウジウジと殻に篭ってた、俺と違って。そう……俺はあんな風に振る舞えない。呑まれて戻ってを繰り返して、尚も平静を保てる自信はない。


「幸せ……?」


 奴の表情が、凪いだ。血みどろの妖気が張り詰める。痣に悪寒が走った。


「殺す」

「さっき聞いた」


 どうやら地雷を踏んだらしい。だが悪いともマズイとも思わなかった。お互い様だ、クソッタレ。


 お前は、俺の尊敬する人を侮辱した。


「ガァァ‼︎」


 本気の殺意を込めて睨み合った、その一瞬の直後。先に動いたのは、奴の方だった。

 振り上げた右腕を、自分の胸——丁度心臓のあたりに、何の躊躇もなく突っ込んだ。肋骨が砕け肉を押しのける、吐き気のする悍ましい音が、薄暗い廊下に反響する。


「……っ」


 冷や汗が頰を伝う。思わず目を背けたくなった。いくら再生出来るといっても、正気ならあんな行動は取れない。


「ガフ……!」


 胸に手を突っ込んだまま、軽くこねる動作をする。嘔吐でもするような感覚で、奴は大量の血を吐いた。肺にも血が入ってるのか、気体と液体が混ざり合う音までもが小さく聴こえてくる。


 絵面だけでも十分ヤバイが、状況はもっとヤバイかもしれない。心臓を抉る……言葉にするまでもなく、とんでもない大怪我だ。そんな馬鹿みたいな傷を負えば。


「死ぃぃぃぃぃぃねぇぇぇぇぇぇぇぇ‼︎‼︎」


 出血量も、馬鹿みたいな量になる。


「う……⁉︎」


 血の雨、血の滝……いや、血の壁。あまりの夥しさに、背中で嫌悪感が跳ね回った。液体よりも先に匂いがここまで届き、俺は顔を顰める。

 大量の血が空中でひとりでに、まるで巨人の腕のように変形した。奴の胸から俺の方へと、長く伸びてくる。


「くっ、“鎖盾障壁”……!」


 右手を翳し防御しようとする。ギリギリだがどうにか間に合っ——


「同じ手段で防げると思うなぁぁぁぁぁ‼︎」


 血の腕と“鎖盾障壁”が衝突する。前回と同じなのはここまでだった。足が、踵が床から離れる。しまったと思う頃には既に遅かった。


「うおお⁉︎」


 俺の体が、空気を裂きながら背後へと突き進んでゆく。防御ごと押し飛ばされてゆく。

 勢いに抗い、どうにか背後を確認した。どこかの部屋の入口の扉が、すぐそこにまで迫っている。


 ヤバッ——


「がはっ!」


 そこから数秒と経たないうちに、俺はその扉に打ち付けられた。木製のそれを粉砕し、部屋の中にそのまま叩き込まれる。苦し紛れの受け身は、ほとんど役に立たなかった。背中から全身に、鈍痛が駆け抜ける。


「っ」


 赤い腕が液体に戻り、シャワーのように部屋中にブチまけられた。天井も壁も床も、みるみる赤く染められてゆく。奴の妖気が部屋中に充満して、むせ返りそうになった。


 左手にネットリした液体が触れる。それだけで痣が疼いた。ほんのりとした怠さも登ってくる。何に触れたのか、目で確認するまでもない。

 諸に浴びる事だけは“鎖盾障壁”で防げているが、それも時間の問題だろう。今も血の噴射は続いているのだ。


 最悪だ。煽っといてこのザマかよ。

 どうする……防御したまま突っ切るか? いや、もうそんな手は通じない。だからと言ってこのままだと、ジワジワ汚染されてゆくだけだ。


 必死に頭を回す。考えろ。この場を任されたなら、それに応えろ。こんな所でくたばるな。何とかしろ。


「……⁉︎」


 思考が不意に途切れる。すぐ隣で鳴った、ガラスの音に気を取られた。

 視線をそこに移す。割れた酒瓶が床に転がり、中から透明な液体がこぼれ出ていた。


 改めて部屋をよく見れば、備えられた棚には大量の酒瓶が置かれている。酒置き場か、ここ。背中のこれも棚で、ぶつかった衝撃のせいで落ちてきたと。

 って、そんな呑気な事を考えてる場合じゃない。今は打開策を……。


 こぼれた酒が床を広がり、血の付いた左手に触れる。


「……?」


 嫌悪感が洗い流される感覚。痣の疼きも治った。

 左手を持ち上げる。付着した筈の血が見当たらなかった。それどころか、少しずつ登ってきていた怠さすらも消えている。


 視線をもう一度落とす。よくよく見ると、酒の水たまり付近は全く汚れていない。いや、さっきまでは血塗られていた筈だ。


 それが綺麗に流された……?


「まさか……」


 背中にある棚から、適当に一本酒瓶を取り、血濡れた壁に投げつける。ガシャンと甲高い音で瓶は砕け、中身がぶちまけられた。


 酒の付着した壁から、血が洗い流された。薄っすらとした赤すら残さず……それどころか、部屋の生臭い妖気が少し弱まりすらした。

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