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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第2章「焔ヶ坂山険道中」
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第41話「長」

 すれ違う妖怪たちと言葉を交わしながら、車骨は山内を迷いなく進む。


 焔ヶ坂山の内部は、もはや迷路と呼ぶのもはばかられるほどに入り組んだ、異様な構造になっている。初めて訪れた者はおろか、常に内部で活動している者ですら、気を抜けば現在地を見失ってしまう事もあった。


 しかし車骨の足は、一本道を通っているのと変わらない歩みを続ける。彼はこの山の妖怪たちの中でも、最も古株の一匹である。何万回も行き来するうちに、内部の道順は完璧に記憶してしまっていた。


「車骨様、その体は?」

「色々あってな。後で調査に回したい故、用意しておいてくれ」


 近くの妖怪にそう言づてて、車骨は眼前の階段を見上げた。


 長の部屋へと続く階段を。







 一瞬で悟った。

 深くまで探った訳じゃないが、ほんの少し掠っただけで鳥肌が全身に走った。


 壁がある、なんてもんじゃない。

 世界が違う。

 ここの長は、明らかに普通の存在じゃない。


「…………」


 非戦闘時だから抑えているのか、集中しなければ痣に違和感は押し付けられてこない。しかし、抑えていてアレ。息が止まるかと思った。


 質の方は……これもかなり異質だ。しかも、一方的に牙を向いてる訳じゃない。身を焼かれるほど恐ろしいと同時に、安心させられた。こんな妖気があるなんて信じられない。


 一人で十分以上は考えただろうか。


 俺の中に、とある一つの答えが浮かんだ。

 長は何者なのか……その答えを。


 信じがたい。

 しかし、それ以外に考えられない。


「長って、もしかして」

「鱗士殿! 疲れの方はどうであるか⁉︎」


 抑えきれずに零れた呟き。それを打ち消すように、襖の向こうから大音量のしゃがれ声。驚いてつい肩が浮いた。


「あ、ああ。ありがとうな車骨、こんないい部屋使わせてもらって」

「礼には及ばぬよ。それよりも少し良いか」


 一転して、落ち着いた声色になる車骨。

 真剣な話なのか。向こうから見られていないが、俺は姿勢を直して座った。


「今しがた、長と話をしてきたのだが……」

「受けてくれなかったか?」

「いや、二つ返事で了承して頂いた」


 良かった……ここまで来て会えないなんて事にならなくて。一瞬ヒヤッとした。


「それでな。長の方からここに出向きたいと」

「え……いや、ちょっと待てよ。悪いってそんな」


 勝手なイメージだが、こういう時はよそ者である俺の方が足を動かすものではないだろうか。謁見というほど大袈裟じゃないにしても、むこうは長。その上、あんな妖気を身にまとっている。


 玉座なんかにどんと構えて、扉を開くのを待っている……勝手にそんなイメージをしていた俺は、咄嗟に遠慮を並べていた。


「わざわざ長の方からなんて、恐れ多いというか……ともかく、俺の方から行くって伝えてくれないか——」

「遠慮する必要はない」


 帰ってきた静かな返答。

 何故か、総毛立った。


 車骨の声じゃない。


「事の流れは、粗方車骨から聞いた。随分と大変だったみたいだな」

「っ」


 どう返せばいいのか分からず、ただ生唾を飲んで襖を見つめる。


 不思議な声色だった。端正で安らぐようで、その裏に様々な重みを内包していて。耳を傾けずにはいられない、惹きつけられる何かを感じた。


「まだ疲れが解け切っていないだろう。それに、君は客人だ。長である私が代表してもてなすのは、当然の事だろう」

「いや、でも……やっぱり目上の方には、こっちから出向くべきでは……」

「真面目だな、君は。気を張る必要はないさ。私がそうしたいだけなんだからな」


 襖の前に立つ長。まだ顔を見た訳ですらない。

 にも関わらず、押し負けてしまった。


 あの妖気の持ち主が、こんなに丁寧な話し方をするのか。そういう声の波長なのか、聞いていて心がふらついていく気さえした。


 ともかく……どうやら他の選択肢はないらしい。

 俺は大きく息を吐いて頷いた。


「分かり、ました……。どうぞ入って来てください」


 返答から数秒の間の後、跪いた車骨が丁寧に襖を開けた。替えでも用意してあったのか、さっきの鎧姿に戻っている。


 開き切った襖。

 その空間に立つ、若い男の姿をした妖怪。


「…………」


 髪の色は黒で、前髪はかき上げられている。切れ長の目からは、燃え盛る炎のように真っ赤な瞳が覗く。赤と黒を基調とする和装は、高めの身長と合わさって威厳に溢れていた。


 そこに立っているだけで、大物であると思い知らされる。一言で言えば、侠客か極道の若頭。そんな佇まいだった。


「……失礼なのは承知してますけど、話の前に一つ……聞いてもいいですか……?」

「ああ。何でも聞いてくれ」


 長が俺の正面に座る。

 目の当たりにした事で、さっきの考えが本当の確信に変わった。


 この異様ともいえる存在感を、俺は知っている。

 彼の他に二匹、同質の異端者を知っている。


「……あなたは…………【無間の六魔】……ですか?」


 襖の閉まる音がした。次いで鎧の擦れる音。対面する俺と長を、車骨が傍らで静観する。


「……そんな呼ばれ方をされた時期もあったな。誇れるものではないが」


 目を閉じ、過去を思い出すように軽く頷く長。はまっていた最後のピースが、更に押し込まれた。


「初めまして——私の名は煉鮫(れんこう)。焔ヶ坂山の長にして、君の言うように【無間の六魔】と呼ばれる者の一角だ」


 その称号は、最強の妖怪である証。

 世を震撼させた、六匹の大妖怪。


 長——煉鮫は、鋭い眼光で俺を見据えた。


「他にも聞きたい事があるんじゃないか? 間定鱗士。ああそう、敬語は必要ない。楽にしてくれ」

「え……」


 いや、敬語は必要ないって……。凄まじく恐れ多いのではなかろうか。


 彼の前に出会った二匹の【六魔】は、もっと尊大で上から目線な連中だった。正直、とても敬意を払おうなどとは思えない。

 彼と違い、恐れ多いとは間違っても思えなかった。


 でもいらないって言われたし……タメ口でいいのか? しかし社交辞令かもしれない。普通に喋って嫌な顔でもされると、互いに損しか被らないぞ。


「鱗士殿、長の言葉に偽りはない。好きなようにすると良いぞ」

「え、いやそうは言っても」

「…………」


 煉鮫は眉一つ動かさない。

 力強い、無言の肯定だった。


「……分かった。れ、煉鮫……」

「…………」


 抵抗が凄い。対面してるだけで汗が流れる。ちょっと呼び捨てにしただけでこの圧迫感。

 何なんだこの違いは。本当に氷凰と同列の存在なのか?


「……フ」

「?」

「すまない、緊張させてしまっているな。まずは軽く話すところから始めよう」


 固まる俺の様子がおかしかったのか、煉鮫は柔和な笑みを浮かべる。

 それを見ただけで、少し気が楽になった。


「少し待っていてくれ」

「はい?」


 そう言ったかと思うと、煉鮫はおもむろに立ち上がって部屋から出て行ってしまった。襖も開けっぱなしで、遠くなる足音がよく聞こえてくる。


 え……軽く話すって言った矢先に退室?

 視線で車骨に訴えるも、軽く首を傾げられた。俺と同じく、困惑しているらしい。


 そして数分後、煉鮫は戻って来た。

 威厳ある表情はそのままに……。


 両手に大量の茶菓子を抱えて。


「君はどれが好みだ?」

「……?」

「私は柿の種が特に好きだが、最近の若い人間の好みはイマイチ分からなくてな。念のため多めに持ってきた。口に会うものがあるといいが……」

「いや、あの……」


 声色を一切変えず、淡々と茶菓子の袋を机に広げる煉鮫。全てを率いていそうな男のその姿は、不自然を通り越してシュールでしかなかった。


「どうかしたか?」

「……どうかしたかって」


 突っ込みどころ満載なのは間違いないが、どこをどう指摘すればいいのか分からない。というか、突っ込もうにも突っ込めない。


 言葉を発せなくなる俺を、煉鮫は赤い瞳で不思議そうに眺める。そして数秒後、何かに気づいたように目を見開いた。


「ああ、すまない……襖も閉めずに」

「いやそこじゃなくて!」


 もう一度立ち上がろうとする煉鮫を、咄嗟に引き止める俺。つい大きな声が出てしまった。


 というか、襖は既に車骨が閉めてある。そういう問題でもないが。


「……洋菓子の方が好きだったか? それともお茶だけで良かったとか」

「いや、そういう訳でもなく……」

「ふむ……? 私はそんなにおかしな行動をしただろうか」


 煉鮫は本気で悩みながら、ちゃっかり柿の種を一口つまむ。さっき抱いたカリスマ的なイメージが、咀嚼音とともに音を立てて崩れてゆく。


「オホン……。煉鮫様、そういう準備は拙者に申し付けてくだされば良いのです」

「何を言うんだ車骨。私は今まで、皆に助けられてきた。これからも頼り続ける事になるだろう。だと言うのに、こんな雑用まで押し付けられるか」

「ですから! そういう事をするのが我らの役目なのです! 長である貴方は、我らを顎で使えば良いのです!」

「それでは独裁者と変わらないだろう。車骨、お前は私を口だけで偉そうにする、無能な指導者にしたいのか?」

「何故そう極端な考え方なのですか!」


 目の前で譲る気配のない言い合いを始める、煉鮫と車骨。気づいてるかどうか知らないが、両者とも立ち上がってしまうほどにデッドヒートし始めている。


 ああ、そう……なるほど。分かりかけてきた。

 車骨も大概だが……煉鮫の方が、よりド天然だ。


「良いですか⁉︎ 貴方は長! ここら一帯の妖怪たちの大元締ッ‼︎ 何度言えば分かるのです‼︎」

「……大元締というのはやめてくれないか? むず痒い」

「今更何を言っておられるのですか……」


 煉鮫は照れ臭そうに頭を掻く。

 最早呆れかけている車骨の突っ込み。


 色々と驚いて、俺は完全に置いてけぼりを食らってしまっていた。

 同時に、緊張までもが完全に消え去った。


「……俺も好きだよ。柿の種」

「!」

「よく分かった。アンタが慕われてる理由が」


 柿の種の小袋を一つ引っ張り出し、何粒か口に放り込む。自分の表情が軽くなったのを感じた。


 妖気と佇まいだけ見ると、近寄りがたいと言わざるを得ないような男が。蓋を開ければ、こんなにも等身大だとは。

 俺の知る【六魔】とは、やはり随分と印象が違う。


「すまない、つい熱くなってしまった」

「拙者も……申し訳ない、鱗士殿」


 煉鮫と車骨は軽く謝って座り直す。


「さて、では改めて話そうか。聞きたい事があれば何でも言ってくれ」


 山ほどある。

 まずは、そうだな。


 師匠とはどういう関係だったのか……。

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