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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第2章「焔ヶ坂山険道中」
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第40話「大木に守られた場所」

 歩き続けた。先を進む車骨の後ろをひたすら……本当に、ただひたすら歩き続けた。木々の隙間から溢れる光は、既に赤みを帯び始めている。相当な時間が経っている証拠だ。


「どれくらい経ったんだ……?」

「もう少しだ。丁度良いし、一旦休憩としよう」

「俺に気を使わなくても」

「無理をするな。軽傷とはいえ、無理をして良い体ではないのだぞ? そうでなくとも、疲弊は募っておる筈だ」


 車骨は本体の日本刀を担ぎ、地べたに腰を下ろす。


 確かに追っ手を凌ぎ切って以降、ずっと足を動かし続けてきた。あの時にはもうかなり消耗していたし、休憩なしでここまで来ただけでも上出来か……。


「っ……⁉︎」


 気が緩んだ瞬間、膝の感覚が吹き飛んだ。支えを失って震え始める両足。立っている事など出来る筈もなく、そのまま無防備に尻餅をつく。鈍い痛みが体を縦に貫いた。


「イッテ!」

「それ見た事か! ここで休んでおかなければ、拙者がお主をおぶった状態で、我らが長に立ち会わせなければならないところであったぞ」

「それは……嫌だな。絵面的に」


 光景を思い浮かべて、苦笑いがこぼれた。大事な場面でそんな醜態を晒す訳にはいかないな。ここはお言葉に甘えておこう。


「時に鱗士殿。三人の連れがいるとの事だったが、どんな者たちなのだ?」

「凄い奴らだよ。全員、俺よりも。だから今も大丈夫だとは思うけど……やっぱ心配だな」


 心の中で、『一人を除いて』と付け足す。アイツがそこらの奴に負ける光景は、やはり俺には浮かばなかった。全盛期じゃないとはいえ、その点に関してだけは揺るがない。その点だけは。


「お主以上とな? 安心しろ。ならばきっと、大丈夫に違いない」

「……そうだよな」


 さっきから神経を尖らせてはいるが、見知った気配は近くに感じない。今の俺には、大丈夫だと信じる事しか出来なかった。


 信じろ。

 それしか出来ないなら、せめて疑うな。

 俺たちは全員で焔ヶ坂山に着いて、長に会うんだ。


「……なあ車骨。お前らの長ってどんな人だ?」

「ふむ?」


 ふと気になって問いかけた。非常事態を伝えてくれと、師匠が遺言にまで残した存在。不安を紛らわせたいという意図もあったが、実際興味もある。


「いや、そもそも人なのか……? もしかして」

「拙者など遠く及ばない、凄まじい力を持つ妖怪だ」


 そんな気は、何となくしていた。山の長って時点で相当浮世離れしてるし。むしろ妖怪だろうなって予想の方が強かった。


「優しい方だ。無闇な争いは好まず、常に冷静にものを考えておられる。穏やかな表情と心が荒ぶる時は、決まって同胞が傷ついた時」


 語られた人物像は、統率者として理想的なものに思えた。強い力を振りかざさず、仲間の事を思って怒れる……。ウチの氷バカに、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。


「故に……此度の件にも胸を痛めておられる。自分が不甲斐ないせいだと、自責の念に駆られておられる」


 握り締められた車骨の拳が、細かく震え始めた。声からは激しくも静かな怒りが漏れ出す。


「あの方の怒りは我らの怒り。あの方の悲しみは我らの悲しみ。拙者は許さん。【憎】なる組織を決して許さん」

「……ああ」


 自然と手に力が入り、ズボンに皺ができる。

 俺も同じだった。あんな風に、命を冒涜し尽くして使い捨てるような連中がいるなんて事が我慢ならない。黒禍だか何だか知らないが、そんな物のために。絶対に、許さない。


 ……以前の俺なら、妖怪の話にこんなに共感出来ただろうか。そんな思いが頭をよぎった。

 なあ師匠よ。俺は成長出来てるのか?


 その後十分ほど休憩を続けてから、移動を再開した。随分マシにはなったが、疲弊は抜けきっていない。その事を車骨に少し心配されたが、早く到着したい気持ちが強かった。


 道中はこれまでと同じく、別段険しい訳ではない。ただ、少しずつ景色が変わってゆく。木の本数が減り始め、暖かい色の光が多く射し込んできた。


 やがて森を抜けた。開けた視界には、小さな河原。砂利の敷き詰められた足元は、踏みしめるたびに音を鳴らした。背の低い滝から、とめどなく水が流れている。水面は、仄かに太陽の光を反射して輝いていた。


 幅の狭い川を跨いで、更に進む。砂利を抜けた後も、舗装の『ほ』の字もないような道なき道が続いた。木々に遮られた狭苦しい視界に慣れていたせいか、見通しの良さに目眩がする。


 真っ直ぐ進んで。

 右に曲がって。

 また真っ直ぐ行って……。

 何度繰り返したか分からない。こんな開けた場所なのに、方向転換する意味はあるのだろうか。俺には分からない道順でもあるのだろうか。


 長く続く道のり。深く考えるでもなく、やんわりと様々な事に思いを馳せているうちに、正面に大きな何かが聳え立っているのが見えた。


「あれは……?」

「本当にもうすぐだ。よく頑張ってくれた」


 もうすぐ……。

 そう言うには妙な景色だ。

 目の前に見えるのは、例の聳え立つ何か——やたらと大きい、一本の大木だけ。焔ヶ坂山らしき山はおろか、それ以外には一切何も見えやしない。雑草の茂る平原が、一面に広がっているだけだ。


 これのどこがもうすぐというんだ?


「車骨、聞き間違いじゃないよな?」

「戸惑うのも無理はない。しかし何も間違ってはおらんぞ」


 疑問は解消されないまま、大木に向かって歩く。

 にしても本当にデカイな……。距離感がおかしくなりそうだ。樹齢何年だよ? 屋久島の縄文杉は、推定三千年以上らしいけど。

 こんな何もない辺鄙な場所で、よくもまあここまで枯れずに育ったもんだ。


 やがて、大木の正面にまで辿り着いた。そして気付く。遠くからでは確認出来なかった、木の幹のとある一部分。根の近く、俺が丁度屈んだ辺りの位置にそれはあった。


 大きなコブ、と言えばいいのだろうか。

 座り込んだ大人の人間に似た……それどころか、人間が埋まっているようにしか見えないほど、ハッキリとした形のコブ。


「何だコレ……」


 あまりにも精巧で、とても自然物とは思えない代物に、俺は言いようのない不安感に襲われた。頭、胴、

腕、足……体の部位が気持ち悪いほど鮮明に分かる……。鼻の形までハッキリしている。


「確かに、初めて見れば驚くであろうな。今でこそ見慣れたが、拙者も最初は切り取ってしまおうかと思ったぞ」

「いや、そこまでは言わんが……」


 ただまあ、不気味この上ないのは確かだ。精巧ではあるが、顔のパーツは鼻しか見当たらない。リアルな部分と非現実的な部分が、嫌な具合に噛み合っている。そんな感じだ。


「というか、本当にもう到着なのか? この変な木以外に何もないぞ」

「まあ落ち着け、今に分かる。さあ、鱗士殿」

「?」


 木の幹に触れ、俺にもそうするよう促す車骨。言われるがまま、右の手のひらを木の幹につける。何となく、人型の部分を避けて。


「目を閉じるんだ。そして思い浮かべろ……お主は、何のためにこの地へ来た?」

「…………」


 何のために……。

 俺は、師匠の遺言に従って。黒禍が狂狸の——【憎】の手に渡ったという事を、焔ヶ坂山の長に伝えるために。


 そう、俺は……託された思いを届けに来た。


「……合格だ、鱗士殿。目を開けてみろ」


 閉ざされた視界が明るくなる。そこに広がるのは、さっきまでと変わらない平原。


 ではなかった。


「何……⁉︎」


 大木のすぐ後ろを麓として、見上げすぎて首がもげそうなほど巨大な山が聳えていた。生い茂る木を縫うようにして、石垣を備えた城のような建造物がそこかしこに建てられており、特に頂上の建物は圧巻だった。


 日本風の城を何重にも重ね合わせたかのような、幾何学的ですらある荘厳な様。まるで自然の要塞だ。

 俺は圧倒され、絶句するしかなかった。


「ここは通常の手段では、見つける事すら叶わん。大木に触れ、その思いを認められた者のみが立ち入る事を許されておる。謂わばこの大木に、我らが山は守られておるのだ」

「結界の一種……みたいなもんか?」

「さあな。拙者にも詳しい事は分からん。何しろ長ですら知り得ないのだ。いつからここにあるのやら」


 車骨は大木の脇を通り、麓に立った威厳のある門へと移動する。そして刀を担ぎ、空いた手を俺の方へと差し出した。


「ようこそ、焔ヶ坂山へ。歓迎しよう」

「……っ」


 総毛立つ感覚が全身を走る。

 辿り着いたのか……。

 黒マントに飛ばされなかったら、群れに追われる事はなかったが、車骨にも会えていない。凄まじく険しかったようで、相当恵まれてもいたという奇妙な道中だった。


 一歩、また一歩と足を進める。

 昂る心を静めつつ、ゆっくりと地を踏みしめて。


 門を潜る。

 俺は、焔ヶ坂山の中に入った。


「……はあー…………。長かった……」

「どうする? 一度座るか?」

「……頼む」


 到着したと思うと、一気に全身の力が抜けてきた。まだ本来の役目を果たした訳ではないが、それでもこの達成感……。初めて霊気をコントロール出来た時に並ぶかもしれない。


「この山は、全体で一つの城のようになっておる。外から見て察したと思うが、かなり入り組んだ構造でな」


 門を潜ったすぐの場所に、大きな木製の扉があった。車骨がそれを開き、俺は後に続く。奥の空間は広場のようになっていて、またそこらに扉がある。

 これは……迷うな、俺一人だと。


「因みに長の部屋は……」

「てっぺんにあったアレだろ?」

「ほう、冴えておるな鱗士殿」

「想像つくわ」


 次々に扉を開き、車骨はどんどん進んでいく。はぐれたら終わりの俺は、必死についていった。


 途中、何匹かの妖怪とすれ違った。総じて俺を見ると驚き、車骨に寄って何やら話し始める。起きている事の重大さのせいで、よそ者の俺は警戒されているらしい。当然だな。


 しかし最終的には納得してか、俺に何をするでもなく離れていく。車骨がかなり高い地位にいる妖怪である、という事を察する場面だった。


「ここが一応の客間だ。殆ど使った事はないがな」


 案内された先にあった襖。開くと、六畳程度の和室があった。中心には高価そうな机、それを挟むように赤い座布団が敷いてある。

 掛け軸や壺など、それらしいものも綺麗な状態で置いてあり、使わないという割に手入れが行き届いているようだ。


「ここで暫し休むと良い。拙者は長に事情を説明してくる。後で迎えに来よう」

「ありがとな、何から何まで」


 ここで一度、車骨と別れた。

 俺はとりあえず下座の座布団に胡座をかき、机に突っ伏して溜め息を吐いた。


 疲れた……。本当に疲れた。

 でも、どうにか辿り着けた。

 長に伝える事を伝えれば、ひとまず俺の使命は完了だ。


「……どんな妖怪なんだ。長って」


 試しに、痣に神経を集中させてみた。

 ここには大量の妖怪がいるらしく、普通は俺の探知なんて無意味だろう。しかし長というのなら、数ある妖気の中で異彩を放っているのかもしれない。

 ほんの好奇心で、軽い気持ちで試してみた。


 そして、すぐにその妖気は見つかった。


「……!」


 目を見開いて顔を上げる。


 何もかも焼き尽くしてしまいそうな、地獄の業火。

 手を翳すものに温もりを与える、優しい焚き火。


 相反する性質を持つその妖気は、あまりにも大きく圧倒的で。あの時感じた狂狸のそれと、肩を並べるほど壮大だった。

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