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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第2章「焔ヶ坂山険道中」
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第38話「氷と血の乱舞」

 消えかけの視界に、赤い液体が映る。既に頭痛のするほど嗅いだ鉄の匂い。それが再び押し寄せてきた。


 朦朧としつつ、虎乃は小さく困惑する。

 振り下ろされた鎌が、刺さる寸前で止まっていた。


「ガハッ……⁉︎」


 突然吐血する狐華。その目は虎乃の方ではなく、驚嘆に大きく見開かれ、己の胴体に向いていた。


 巨大な氷柱が貫通し、後方へ血をぶちまけた腹部へと。


「情けないな虎乃。それでも私と張り合った退魔師か⁉︎」

「……ハハハ」


 自信に満ち満ちた少女の声が降り注ぐ。傷つき侵された体に堪える、大声と冷気。しかし、それが苦にならぬほどの安心感。


 凍てつく冷気が顕現したかのような、水色の長髪が大きく靡く。水晶の如き透き通った翼が眩く輝く。


「仕方がない……ここに証明してやろう。この私こそが! この場の、いやこの世の頂点に相応しい存在であるとッ!」


 碧眼に両者を捉え、氷凰は上空でギラついた笑みを浮かべた。







 見下げた先には、狐のような女妖怪。そして倒れ伏した虎乃。霊気は非常に消耗した様子で、武器の勾玉も全て墜落してしまっている。


 どうやら本当に、絶体絶命というやつだったらしいな。私が来ていなければどうなっていたか。虎乃には後でばうむくうへんを大量に貢いで貰わねば。


「お……おい、どうなった? やったのか⁉︎」

「土手っ腹を貫いたが死んでないな。しかし貴様も良い働きだったぞ、褒めてやる。ええ……そう、龍臣」

「今忘れてたな名前」


 背中にしがみつく龍臣の声は、えらく震えていてか細かった。

 まあ当然だな……振り落とされないよう、全身を氷で固定してあるし。その上ここまで全速力で飛んできたのだ。生身の人間には相当な寒さだった事だろう。


「さっきも出会い頭に氷柱撃ち込まれるし……俺の扱い雑じゃないか?」

「細かい事は気にするな」


 あの時近づいてきた気配だが……何と自力であそこまで戻ってきた龍臣だった。割りかし近い場所に飛ばされ、襲撃してきた妖怪も大して強くなかったらしい。

 撃ち出す直前でこいつだと気づいたものの……まあ、当たらなくて良かった。ぎりぎりで軌道を逸らせてなければ、多分やってただろう。


 しかし、こいつの探知のお陰でここに辿り着けた。何やら愉快な事になっているようだし……ばうむくうへんを少し分けてやる事もやぶさかではない。


「虎乃!」


 着地して固定用の氷を解く。龍臣が身震いしながら飛び降り、虎乃の元へ駆け寄った。


「大丈夫っ……じゃないな。出血も霊気の乱れも酷い……お前がここまでやられるなんて」

「ふむ。貴様は虎乃を介抱してろ。あの狐小娘は、この私が請け負った」


 ぼろぼろの巫女服を着たそいつは、恨み篭った形相で私を睨みつけている。腹に氷柱が刺さったままだというのに、死ぬ気配が一向にしない。流れる血の量も、明らかに並じゃない。


 虎乃を負かした事からも分かるぞ。こいつはそこそこのやり手だと。


「【無間の六魔】……お前がここに来るなんて!」

「不服か? 不服だろうなあ……。貴様如きの勝てる相手ではないからなあ!」


 右手で指を鳴らす。

 奴に刺さった氷柱へと、妖気を注ぎ込んだ。


「多少は丈夫なようだが、これならどうだ?」


 氷柱側面より、細く鋭利な針を大量に生み出した。


「っ…………!」


 小娘の体内から、赤い液を滴らせた氷が一斉に飛び出す。胴体を中心に下半身や頭をも巻き込み、まるで氷のいが栗かウニのようだ。


「痛ッ…………たいわねえ‼︎」

「ほう、そんなになっても喋れるのか」


 声色には明らかな怒気が含まれていた。針だらけで顔は見えないが、恐らく滑稽な表情をしているのだろう。


「氷凰ちゃん……その子の血ぃに触ったらアカン……」

「何、血だと?」

「……確かに、血から嫌な妖気を感じるな。お前はそれでやられたのか」


 死に体の虎乃から、消えゆきそうな声。それを補足する龍臣。私にはあまり良く分からんが、龍臣には何かを感じ取れるらしい。


「とりあえず、あいつの血を浴びなければいいんだな?」

「チィ……!」


 そうなると、あまり激しく血を撒き散らしてやる訳にもいかんな。あのいが栗は解除しておこう。


「クソ……邪魔にならないと思ってたのに。よりにもよって! あと少しだったのに! お前みたいな奴が来るのよッ‼︎」

「たわけ。喧しいぞ、やいやい喚くな子狐」


 手を奴に翳し、周囲に冷気を集める。

 さて、どこをどうしてくれようか。今しがた穴だらけにした筈が、既にほとんど塞がっているな。こと再生力に関しては、どうやらこの私をも超えているようだ。


 もっとも、再生力だけ(・・)……だが。


「跡形もなく消してしまうか」

「いや、出来れば生かしておきたい。その女は何か知ってる筈だからな。……必ず情報を斬り出してやる」

「保証しかねるな。生け捕りは得意じゃない」

「……!」


 狐娘の瞳孔が細くなる。まるで獣そのもののような目付きで、私たちを睨みつける。同時に、どろどろとした妖気がその全身から漏れ出してきた。


「ああそう……なるほどね。分かったわ」

「貴様に未来がない事がか?」

「最後に勝つのは私たち【憎】って事がよッ!」


 鎌を手首に添えながら、狐娘はその名を叫んだ。

【憎】——黒禍を復活させんと企む、あまりに愚かな組織の名を。


「……道中で龍臣から聞きはしたが、当たっていたのか」

「知ってるのよ。お前、狂狸になす術なかったんでしょう? その程度であの方に歯向かおうなんて——」


 鎌を握る手が一層強くなり、刃が手首に食い込んだ。自傷したその傷から、赤い血が流れ落ちる。


「恥を知れッ‼︎ そんなすっからかんの『憎悪』で、私の前に偉そうに立つな‼︎」


 異様に取り乱した叫び声とともに、狐娘の手が切り落とされた。自分の手で鎌に力を込め、何のためらいもなく。

 手首から先を失った左腕より、滝のように血が流れ出る。凄まじい鉄の匂いが鼻を刺す。


「殺す。殺せなくとも苦しみ足掻かせる。踠いて呻いて嘆いて苦しめ」

「…………」


 背筋を気味の悪い何かが伝った。


 どうすればそんな目を。この世の全てを、蛇蝎の如く憎めるような面が出来る? 下手な呪詛より怨念の篭った恨み言を吐き捨てられる?

 ……気持ち悪い奴だ。


「“凶血(きょうけつ)”」


 沼を彷彿とさせる血溜まりから、長い棒状に血が上った。嫌でも嫌悪感を示させられる妖気を帯び、その先端が禍々しく尖る。


「『浴びなければいい』? そんなんじゃ済まさないわよ。体内に直接ぶち込んでやる」


 いつの間にか再生していた左手で、狐娘は血製の長槍を掴んだ。


 浴びただけで戦闘不能にまで追いやられる血液。それを凝固させて武器にするか……。あれで刺されでもしたら、そこいらの輩はひとたまりもなさそうだ。


 ……しかしまあ、さっきから聞いていれば。


 私に対して『恥を知れ』?

『すっからかん』?

『殺す』?

『苦しめ』?


 随分とでかい口を叩いてくれたものだな!


「やってみろ! 喧嘩を売る相手を間違えるとどうなるか、脳髄に凍て付かせてやるッ!」


 要は全てを防ぎきるだけ。最初からやる事は何も変わらん!


 狐娘は鎌を捨て、長槍を私に向けて突っ込んできた。

 軽く翼をはためかせ、無数の氷片を正面に解き放つ。吹雪を伴って唸る乱気流もろとも、狐娘に襲いかかった。身を裂き、凍傷にて皮膚を割り、全身を血で染め上げる。


 しかし奴は止まらない。氷片に頭や胸を抉られ、煽られてよろけつつも、間合いを詰め続けてきた。

 血の凶器が振るわれ、切っ先が私の首元に襲いかかる。


「……っ」


 氷を自分の肌に走らせる。血の凶器が達する直前に、首元を鎧のように覆い隠す。

 おどろおどろしく凝り固まった妖気が、氷越しの衝撃とともに神経を逆なでした。近づかれるのがこんなに嫌な奴も珍しい。ひとまず距離を——


「逃がさない」


 奴を汚す大量の血が、再び何かを形作る。傷口から触手のように伸び、渦を巻くように固まり、瞬く間に無数の錐となった。先端が全て、至近距離の私を向く。


「うざったいな!」


 寸前、私は上へ飛んだ。乱れた気流だけが残る空間を、固まった血の錐が滅多刺しにする。


 そのまま真下へ、先ほどより一層の力を込め、大きく羽ばたいた。


「……!」


 広範囲でなく、一点に狙いを絞る。

 集中豪雨の如く、透明の凶器が狐娘を食い荒らす。

 頭も胴も砕き尽くし、血だけでなく肉と骨をも四散させ、華奢な体を地面ごと蹂躙する。


「どうだ……」


 虐殺の轟音が鳴り止み、残ったのは山火事のように立ち上る土煙。軽く羽ばたいてそれを払い、眼科の光景を明瞭にする。


「…………」


 晴れた視界に映ったのは、巨大な血痕と突き刺さった無数の氷片……そして血染めの塊。


「アガ……ゲ……」


 呻き声ですらない何かを発し、狐娘だった肉塊は崩れ落ちた。限界を留めない足が、体の重みを支えきれなくなったのだろう。


 どう見ても圧倒的なのはこの私……。

 だが、流石に少し戦慄せざるを得なかった。


「まだ、死なないのか……」


 半凍りの挽肉になったそいつは、未だ蠢き続けていた。どこがどの部位だったのか、それすら判別できぬほどにめちゃくちゃなのに。


 今の攻撃は、黒マントを狙った時とは違う。あれ以上の威力で、更に狙いを絞って放ったのだぞ。それをまともに食らって、原型を留めなくなっても息がある……。

 想像以上に厄介だ。


「妖気に陰りがほとんど見えない……放っておくとまた再生するぞ」

「だろうな、分かっている!」


 完全に氷漬けにして、粉々に砕いてやる。欠片とも呼べぬほど細かくしてやれば、流石にどうしようもない筈——


 そう考え冷気を集結させ始めた時。


「し……ぬか…………」


 肉塊が言葉を発した。喋れているとは言い難いが、さっきよりもはっきりと。形もほんの少しだけ、人型に戻りかけている。


 血痕から、何かが樹木のように伸びてきた。


「っ! 死なない上に能力まで……」


 細く歪に、無数に生えてくる血の枝。先端で五本に枝分かれし、まるで亡者の腕のようにも見えた。


「し…………死ぬか……この程度でッ‼︎」


 肉塊から発せられた怒号。

 それを合図に、私に掴みかかろうと伸びる血の腕。


「クソ!」


 咄嗟に集めていた冷気を放つ。

 十分な威力を持つ前だが、あの血を止めるには十分だろう……!


「……っ⁉︎」


 突然、脇腹に違和感が走った。

 次いで鋭い痛みが走り、顔を顰める。


 痛む脇腹から飛び出す、赤い針。後方から私の体を貫通している。


「何だと……」


 振り向いた先では……切り落とされた左手が、木の幹を鷲掴みにしていた。断面より、赤黒い血の針を長く伸ばして。


「最初に自分で切ったやつか……!」

「っ……すまん…………気づくのが遅れた……」


 力のない龍臣の声。

 それが耳に届いた頃、空中の体が揺らめいた。


 体内に異物が入ってきたのを感じる。鉛のようなしこりが胸を圧迫する違和感。それが熱されてどろどろに溶け、全身に回っていくような……。


 ほんの少しだけ霞んだ視界に、半分肉塊の狐娘が映る。脳裏に刻みつく、強烈な笑顔を浮かべていた。

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