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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第2章「焔ヶ坂山険道中」
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第37話「決死の一撃」

 俺が事情を説明するのを、黒マント姿の車骨は黙々と聞き続けていた。何かに反応したり、動揺したりといった素振りも見せず、ただ座って顔の前に手を組んでいる。


 俺が全ての説明を終えた頃、ようやくその手が解かれた。


「……そういう訳で、俺は焔ヶ坂山に行きたい。行かなきゃ行けない」

「お主の師匠が、黒禍を巡って……かの【無間の六魔】の一角、狂狸と…………」


 やや重みを帯びた口調で、車骨は俺の言葉を反芻する。口振りから察するに、車骨は【六魔】についてある程度知っているらしい。


 多少疑われるかもしれない、という不安が少しだけ立ち上った。大昔に打たれた妖刀というからには、猛威を振るう【六魔】を目の当たりにした事があるのかもしれない。

 そんな存在が、一介の退魔師である俺の前に現れるのか……そんな疑問を持たれてもおかしくない。芸能人と偶然出くわす、なんて次元じゃないのだから。


「もう一つだけ、尋ねたい……。お主の師の名は?」


 反芻を終え、押し黙っていた車骨からの問いかけ。

 何故それを知りたいのか、そう思いつつも俺は答える。


「導木景生。それが師匠の名前だ」

「……っ!」


 車骨の雰囲気が一変する。切り株から跳ねるように立ち上がり、大きく息を飲む音がここまで聞こえた。

 あまりの様子に、思わず肩を震わせてしまう。


「……分かった。信じよう」

「!」

「最初から疑ってなどおらんかったが、確信が更に強まった。お主を我らが長の元へ案内する」


 包帯のせいで顔色は窺えない。しかし、快活な表情である事がひしひしと伝わってきた。


 決定打になったのは、師匠の名前。

 一つの可能性が、俺の頭を支配した。


「車骨、お前……師匠の事知ってるのか?」

「長に直接聞けば良い。早速向かおう、折角乗っ取ったこの体を利用してな」

「そんな事まで……⁉︎」


 胸が高鳴った。元の体の能力を使えるとは……もう辿り着いたも同然じゃねえか。


 ただ、気がかりなのは虎乃と龍臣だ。信じてない訳じゃない。二人とも俺より強い。しかし飛ばされた先の運が悪ければ……そう考えると、どうしても心配が拭えなかった。


 氷凰はどうせ大丈夫だろうから心配はしない。


「…………む?」

「どうした?」

「おかしいな……」


 少しの希望の後の、不穏な空気。車骨は戸惑いながら両手を見つめる。


「この者の力が何故か使えん」

「な……⁉︎ 何でだ⁉︎」

「分からん。こんな事は初めてだ。普段なら乗っ取った時点で、扱い方など直ぐに分かるのだが」


 黒マントの力をどうすれば発動出来るのか、という話ではないらしい。当事者の車骨が言うのだから、これは普通じゃない事態なのだろう。


 理由は俺には分からんが困ったぞ。あの便利な空間移動が使えないとなると……。


「どうする?」

「……走るしかないな」

「距離は?」

「今から四時間程度はかかるな」

「お前……そんな距離まで見回りに?」


 あまりの予定時間に溜め息が出た。この険しい道のり、まだ一筋縄には行かないらしい。







 あれからどのくらい動き回っただろう。

 あれからどのくらい倒れそうになっただろう。


 あれからどのくらい、返り血をかけられただろう。


「っ……おえぇ」


 熱を帯びた赤い顔の虎乃は目を剥き、えずきながら胃の内容物を地面に吐き出した。ボタボタという落下音に嫌悪感を刺激されるが、そんな事に気を取られている場合ではない。


 眼前より、鎌を振りかぶった狐華が迫ってくる。足がもつれてバランスを崩すも、そのまま地べたを転がりどうにか躱しきった。

 しかし一撃では終わらない。ピントのずれた虎乃の視界に、身をよじって鎌を向ける狐華の姿が辛うじて映った。今にも霧散しそうな霊気に意識を向け、三つの勾玉を操作する。


 三角形の結界が張られ、鎌は標的に届く前に遮られた。


「頑張るわね……普通はもう正気を失ってもいいくらいなのに」

「はっ……! ホンマか? タイミング悪く風邪引いてんのかと思っとったわ……!」


 気丈に笑い飛ばし、覚束ない足で立ち上がる虎乃。結界の輝きが強まる。狐華は即座に反応し、虎乃から見て左に飛び退いた。


 三角柱の光線が放たれる。

 狐華の尻尾を掠め、後方の樹木に命中。その表面を吹き飛ばした。


「よく言うわよ。明らかに威力が落ちてるじゃない。最初の頃のお前なら、あんな木へし折ってたでしょう?」


 横目で樹木を確認し、狐華は尻尾をフワフワと揺らす。光線が掠って焦げた毛は、既に綺麗に生え変わっていた。


「え、何……? 聞こえへんかった…………」


 表情だけは笑顔。

 しかし、とっくに限界がきているのは明白だった。


 毒の正体が血だと見抜けたのはいい。しかし、タイミングとしては少し遅かった。虎乃はこの時点で毒に侵されていた上、背中を負傷して血も流していた。


 視界はぼやけ、足はおぼつかず、頭は熱で溶け出してしまいそう。そんな最悪の状況で、狐華の攻撃と飛び散る血飛沫、その両方を躱しきる……考えるまでもなく、不可能だった。


 全て命中とまでは行かなくとも、あれから何滴も狐華の血を浴びせられた。その度に症状は加速度的に悪化してゆく。それに伴い鎌の斬撃も躱せなくなる。


 正しく、絶体絶命だった。


(あれ……私、今立ててる? アカン、それすらもう分からへん…………ホンマにヤバイかもな、これ)


 長距離を全力疾走した直後のような息遣いと、大量の油汗。作り笑顔が崩れてゆく。瞳が虚ろに泳ぎ始める。


 もし今度倒れたら、二度と立ち上がれない。

 薄れる意識の中、虎乃はそう直感した。


「……やっぱり、勿体ない。虎乃、考え直す気はないの?」

「何が」

「お前の恨みは素晴らしい。【憎】の中でもお前ほどの奴は、片手で数えられる程度しかいない。ねえ、今からでも遅くないわ。仲良しになりましょう。どんな裁きを奴らに下すか、一緒に語り合いましょうよ」

「狐華ちゃん」


 強引に言葉を挟み込む。

 喋る事すら辛い筈が、話を遮れるほど力強く。


 ブレる焦点を懸命に狐華へと合わせ、睨みつける。


「何でそんな執着されてんのか知らんけどな……私は狐華ちゃんの事、そない好きとちゃうで」

「ふうん。なるほど、狂狸の事も恨んでるのね。だから同じ組織にいる私も嫌い?」


 不敵に口角を緩め、艶美な視線を送る狐華。


 指摘通りだった。家族を失ったのは、これで二度目。恨まない筈がなかった。その組織の構成員の誘いになど、死んでも乗る訳がない。虎乃の決意は揺るがない。


「いい恨みだわ……毛が逆立つのを感じる。血が荒ぶるのを感じる……! やっぱりお前はこっち側よ、虎乃ッ‼︎」


 だが、狐華にそれは届かなかった。

 その見開いた目には、恨みしか見えていない。

 同類のみを見定め執着する、血染めの破綻者。


 その凶刃が、再び虎乃へと襲いかかる。


(ここで倒さな…………死ぬな……)


 極限まで霊気を集中させる。乾いた雑巾から水滴を搾り取るように。身がはち切れるほど強引に。傷が悪化しあちこちから血が流れるが、虎乃は気付かない。


 濁った目に映るのは、向かってくる狐華だけだ。


「早くしないと死んでしまうわ! 出来れば生きて迎えたいから、降参するなら言いなさい!」

「話が通じひんなあ……!」


 振るわれた鎌を、三角形の結界で防ぐ。この攻防も何度目か分からない。初手はどうにか防御し続けていたが、今回は展開が違った。


 明らかに薄い結界に、大きな亀裂が走った。


「……っ!」


 自分の体まで崩れ落ちそうになるが、奥歯を砕かんばかりに噛み締めて堪える。まだ破られた訳ではない。自分にそう言い聞かせた。


 狐華は攻撃の手を緩めない。ヒビの入った結界に、やたらめったら斬撃をぶつけ続ける。

 前回までの攻防では、防御されればすぐに回り込んで追撃を加えていた。しかし、このまま結界を砕ければ、間違いなく虎乃の霊気は大きく乱れる。


 毒に蝕まれた今の虎乃には、もう乱れた霊気を統率する事は出来ない。狐華は勝利を確信していた。


「もう無理よ虎乃! お前に勝ち目はない! 言いなさい、『参った』って言いなさいッ!」


 殺そうとしているようにしか見えない状況。明らかに場違いなその叫びは、側から見れば滑稽に映っただろう。


 虎乃は耳を貸さず、ただ睨む。

 碌に見えない両目で、狐華の輪郭をぶれずに捉え続けた。


 思わず気圧されるほどの拒絶を伴って。


「…………」


 狐華の瞳に殺意が戻る。

 手に一層の力が篭る。

 ヒビに覆われた結界に、大きく鎌が振るわれる。


「……っ」


 翡翠色の欠片が、ガラスのように砕け散った。


「残念よ」

「せやろなあ……狐華ちゃんはここで死ぬんやから」


 結界は砕けた。乱れを立て直す余力はない筈。疑いようのない、こちらの勝利。しかし虎乃の不敵な顔と台詞に、確信を一瞬疑った。


 その懸念が的中する事を、狐華はすぐさま思い知る。


「嚙みつけ」


 小さくそう唱える虎乃。砕け散った結界の破片が、僅かに輝きを取り戻す。直感的に危機を感じ、狐華は後方へ跳び退こうとした。


 その全身を、破片の集中砲火が襲いかかる。


「何っ⁉︎」


 体を食い荒らす寄生虫のように、破片は狐華の体内を抉って潜り込んでゆく。内部で互いに擦れ合いながら、肉や骨を掘り進む。全身を激痛がのたうち回る。


 狐華でなければ、この時点でショック死だった。

 しかし、これでも狐華は殺せない。

 虎乃にもそれは分かっていた。


「離すな」


 再びそう唱える。同時に、狐華の体内の破片たちが、互いに繋ぎ止められた。


 退魔師は普通、何らかの媒体を通して霊気を扱う。媒体なし、ひいては体から離れた霊気を繊細に操作する事は、一部の天才にのみ許された技だ。


 平常時でさえ離れ業と言える……二階どころか十階から目薬とすら言える、凄まじく繊細なこの所業を、虎乃は火事場の馬鹿力でこなしてみせた。


 結果、狐華の体内にて霊気の縄が張り巡らされた。

 全身を、体の内部より拘束する縄が。


「ここまで来たらもう勢い……! 一か八か!」

「クソ……ッ!」


 七つの勾玉が、虎乃の正面に円形に並んだ。残った全ての霊気が込められる。狐華を飲み込む直径の円が、輝きを増す。


「“虎砲(こほう)…………七挺玉(ななちょうぎょく)”」


 勝敗をかけた閃光が、一直線に放たれた。淡く光る一撃は、瞬く間に狐華へと伸びる。信じられない事に、これまでで最大の破壊力が込められていた。

 狐華は大きく焦り始める。どんなに強力な再生力も、一瞬で全身が消し飛んでしまえば意味を成さない。


 死。

 簡潔かつ無情な一文字が、狐華の脳裏をよぎった。


「クソッ! 私はまだ、こんな所で……‼︎」

「…………」


 虎乃は静かに先を見据える。

 身動き出来ない狐華へと、最後の一撃は一直線に伸び。


「ぐっ…………ゲホ」


 命中する直前、儚くも輝きは失われた。

 霊気は散り、勾玉は全て地に落ちる。


「アカンか……くっそぉ…………」


 虎乃は神経をすり減らしきり、糸の切れた人形のように、身を地面に投げ出した。


「…………」


 体内に入り込んだ霊気も霧散し、狐華は自由を取り戻す。軽く手のひらを開閉してから、虎乃の元へと歩み寄った。


「危なかった……。最初から血の事がバレてたら、私の方がこうなってたわね」


 鎌を持つ手が上へと掲げられる。倒れる直前に吐き出した、吐瀉物と血の混ざった液体。それが虎乃の口から、以前流れ続けていた。


「せっかく気が合うと思ったのに。せめて、私を恨みながら死になさい」


 腕が振り下ろされる。

 同時に鮮血が飛び散った。

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