第36話「妖刀・車骨」
……詰んだ。
この私に最も相応しくない言葉だが、今回ばかりはそれ以外の言葉が浮かばない。ひたすら飛び回ってはみたが、痕跡一つ見つかりはしない。
どうしようもなく、結局はくるまの所まで戻ってきてしまい、今はその上に座り込んでいる。
この私……氷凰ともあろうものが……。
「……ばうむくうへん食いたい」
……いや、何をしているんだ私は。【無間の六魔】だぞ? 大妖怪だぞ⁉︎ そんな私が途方に暮れ、挙句ぼそっと独り言だぞ⁉︎ こんな事でいいのか⁉︎
いい訳あるかこのたわけっ!
「ああああああクソ! こうなればいくらでも飛び回ってやろうではないか!」
行き場のない苛立ちを糧に再び飛び出そうとした時、近くに何かの気配がした。
「……!」
少しずつこちらに近づいてきている。細かい事は分からんが……まあいい。苛立ちに行き場が出来た。
運が悪かったな。私は今、凄まじいほどに機嫌が悪い!
このまま行くと、建物の角から出てくるな。
私は口元を緩めながら氷柱を生み出し、その方向に先端を向けて待ち構えた。
*
妖気の群れがそこまで迫ってきた。相変わらず数だけは嫌になるほど多い。
「聞きたい事が色々出来たぞ、鎧武者。本当に焔ヶ坂山から来たのか?」
「……どういう経緯か知らぬが、まずは賊をどうにかせねば。話はその後にでもしようぞ」
「だな」
鎧武者とともに、群れの方向を見据える。本当にお前らの相手をしてる場合じゃなくなった。
一人だと物量に押されてこの様だったが、隣の鋭利な妖気が自信を抱かせてくれる。彼の協力があれば、この窮地を切り抜けられると。
「どこかに空間を繋げる妖怪がいる筈なんだ。ソイツを倒さない限り、奴らはほぼ無限に湧いてくるぞ」
「成る程。逆に言えば、其奴さえ倒せばこの状況をどうにか出来るという事か」
「……まあそれが出来ないから、俺はこんな事になってるんだけどな」
情報共有のつもりが、自分の不甲斐なさを露呈させてしまった。同時に希望がモヤに巻かれた気がした。
いくらこっちの戦力が増えても、結局黒マントが叩けなきゃ状況は良くならない。下手に暴れたところで共倒れがオチだ。
「共闘する以上、互いに預けねばならぬものがある……。拙者は車骨」
考え込む俺をよそに、鎧武者——車骨は篭った声でそう名乗り、兜を左手で持ち上げる。その下に、頭はなかった。襟廻の内側には、首や胴体も見当たらない。
代わりに日本刀の柄が、空っぽの鎧から覗いていた。
「退魔師の少年、お主の名は何だ」
「……間定鱗士」
気圧されて反応が遅れる。虎乃とも師匠ともまた違う……だがそれは間違いなく、『歴戦の猛者』の放つ圧。俺では届きようのない、見上げても頂点の見えないそびえ立つ壁。それを車骨からも感じた。
日本刀を右手で掴み、一気に振り抜いて構える車骨。小脇に抱えていた兜を元に戻し、完全な臨戦態勢に入った。
異様な雰囲気の刀だ。薄っすらと赤い刀身は美しく、穏やかな流水に晒されているようにすら見える。実物を見た事はないが、国宝と呼ばれるものと遜色ないんじゃないだろうか……。
「鱗士殿。その空間を繋ぐ妖怪、探す事は出来るか?」
「あの数相手しながらなると厳しい。本気で集中してもいけるかどうか……」
「ではこうしよう。拙者があの群れを全て引き受ける。その間に件の妖怪を見つけてくれ。そうすれば後は何とか出来る」
「な……⁉︎」
車骨は平然と構えたまま、とんでもない無茶振りを言ってのけた。物量に押された事が心に効いていたのか、考えるより先に不安要素が流れ出す。
「待ってくれ! 俺の探知はかなり不安定で、ほとんどあてに出来ないんだぞ⁉︎ せいぜい奴が近くに現れた時限定、実質運任せと言っていい。その間あの群れを一人でって……。こう言っちゃ何だけど、さっき会ったばかりの俺を信頼しすぎじゃ」
「無茶は承知」
静かだが、荘厳な声。俺の中の揺らめきが凪いだ。
「確かに拙者とお主は出会って間もない。互いの事も知らぬ。だがな鱗士殿……我らはこの窮地に、名を預け合ったのだ。例え一時だけであろうと、それは命を預け合う事と同義! 無茶上等ッ! 共に限界を超えようではないかッ‼︎」
凪いだ心に降り注ぐ、空気を揺さぶる熱い叫び。理由はさっきとは真逆だが……再び波が荒巻き始めた。
車骨の言葉は、ほぼ感情論で出来ている。道筋立てたものでも何でもなく、勢いに任せただけ。お世辞にも合理的とは言えないだろう。
けど……何故だか凄まじい現実味を帯びて聞こえた。一見無茶でしかないのに、安心感で満たされる。ソイツが自信を持ってそう叫べば、その通りに道が開かれる気がしてしまう。
奇しくも、俺の知る『歴戦の猛者』たちは、揃いも揃ってそうだった。
「…………」
深く息を吸い込んだ。
弱気になってどうする。俺はもう死ぬために動いてるんじゃない。役目を果たすためにここまで来たんだろうが。
だったら死ぬかもなんて考えてる暇があるかよ!
「分かったぜ車骨……安心して任せてくれ」
「お主こそ任せろ。指一本たりとも触れさせぬ!」
口角を釣り上げる俺。刀を握る手を強くする車骨。
そして、遂に飛び込んできた妖怪たち。殺意に満ちた妖気を撒き散らすソイツらを、車骨は一太刀で斬り裂いた。真っ平らな断面から血が流れ出し、芸術品のような刀を更に赤く染める。
俺は目を閉じ、左手を痣に添える。そして吸った酸素を大きく吐き出した。
余計な思考はいらない。聞こえるのは自分の心臓の音だけでいい。それ以外は全部無視しろ。一刻も早く見つけ出せ……。
「…………」
群れの妖気がノイズのように、俺の思考を乱してくる。瞼を開ければ目の前にいるんじゃないか……そんな疑念が沸き立ったのを、奥歯を噛んで断ち切った。
「ぬぅ、おのれ猪口才な!」
考えるな。奴らは車骨が食い止めてくれてる。見ず知らずの俺を信頼して、任せてくれてる。だったら俺も信頼しろ。俺のやるべき事をやれ!
「…………」
神経の糸が千切れそうなほど張り詰める。それに、突然現れた何かがピンと触れた。そこから妖気がゾロゾロと現れ、群れへと合流していく。
見つけた……!
「いたぞ車骨っ!」
目を開き呼びかける。車骨は鎧を一切汚さないまま、襲いくる群れを斬り捨て続けていた。血飛沫の中で刀を振るう鎧武者……その光景に思わず鳥肌が立つ。
「何処だ!」
「あの方向……距離は遠くないが、本当に何とかなるんだな⁉︎」
「心配無用ッ!」
群がる妖怪を一通り斬り終え、車骨は俺の指差す方へ振り向いた。そして体を右に仰け反らせ、逆手に持った刀をやり投げのように構える。
「え」
……どういう策があるのかと少し期待していた俺は、まさかの手段に絶句した。
「お前まさか……投げ」
「ぬおおおおおおおおおおおりゃああああああッ‼︎」
それはもはや咆哮だった。これまでの叫びが可愛く見える爆音とともに、赤い刃が弩のように放たれた。軌道が赤い直線としてはっきり見える。空気が斬り裂かれて、その直線が歪に歪む。
一瞬で消え失せた刀。その方向の先で、雑多な妖気が大きく乱れる。黒マントがダメージを負った証拠だ。
「当たった……凄え」
一番最初の時ほどの距離じゃないとはいえ、それでも二百メートルは離れてたんだぞ? それをまさか刀ぶん投げて強引に捩じ込むとは……。
感嘆のあまり固まっていた俺を、至近距離からの金属音が現実に引き戻す。
車骨の鎧が、残骸同然に崩れ落ちた。
「車骨……?」
返事は帰ってこない。鎧から妖気を感じない。群れの残りが襲いかかってきたのを躱しつつも、頭は全く追いついていかない。
え……何でいきなり、嘘だろ?
さっき傷一つ負ってなかったのに——
「…………ぉぉぉぉぉおおお」
「……ん?」
遠くから突然響き始めた、地響きのような雄叫び。さっきまでそこで聞いてた声が、刀の飛んでいった方から近づいてくる。
俺は安堵のままにその方向へ振り向いたが、更に驚嘆させられる事になった。
「上手くいったぞ鱗士殿おおおおおおおッ‼︎」
「……黒マント⁉︎」
刀が胸に突き刺さった黒マントが、車骨の声と妖気で突っ走ってきた。
「色々どういう事だ⁉︎ お前、鎧……」
「ああ、それは拙者ではなく只の鎧だ」
車骨らしきソイツは胸から刀を抜き、飛び込んできた妖怪を一突きで葬る。俺も鎖を振るい、残った奴らを薙ぎ払う。当然、内心はそれどころじゃなかった。
「拙者は大昔に打たれた刀で、こうして他の体を乗っ取る事が出来る。あの鎧は普段使っている容れ物に過ぎんという訳だ」
「……なる、ほど」
痣に意識を集中させてみると、確かに刀から鋭い妖気が溢れ出していた。いわゆる妖刀ってやつか……初めて見るな。
「良し、どうやら賊は全滅だな」
「……助かったよ。ありがとな、車骨」
「何を言うか。志を同じくした者同士、助け合うのは当然の事」
車骨は背を向け、切り株の方に向かっていく。頼もしさの分、その背中が大きく見えた。
……姿が黒マントじゃなきゃ、もっと雰囲気出てたんだけどな。
「さて……漸く落ち着いて話が出来るな、鱗士殿」
「そうだな」
切り株に腰かけた車骨は、幾分か声色を落ち着かせる。やっとだ。一時はどうなるかと思ったが、大きく目的地に近づける。
「先ずは拙者の話を聞いて欲しい。お主とも恐らく関係のある話だ」
「……何だ?」
「ここ数週間ほど、焔ヶ坂山周辺にて奇妙な事が相次いで起こっている」
淡々と語る車骨。俺は立ったまま黙って聞いた。
「同胞たちの失踪……こんな事は今までなかった。何者かの襲撃と考えた我らは調査を続けておるが、未だ何も見つかっておらん」
「同胞ってのは……妖怪だよな」
「そうだ」
群れに追われる前の事を思い出した。あの血に飢えた妖怪たちの事を。アイツらは【憎】じゃなかった……まさか……。
「あのような徒党が現れたのは、これまでの調査でも初めてだ。そして奴らは、何故かお主を狙っていた」
「…………」
「鱗士殿。拙者はお主が悪人でないと分かっておる。そしてそれを信じたい。故に聞かせてくれ……焔ヶ坂山へ向かう目的は何だ?」
そうか……もうそこまで切羽詰まった状況だったのか。最初に俺を疑ってかかったのも、同胞が消えて敏感になっていたからか……。
車骨には助けられた。だったら借りは返さなきゃな。互いに敵は同じらしい。隠し事はなしだ。
俺はまっすぐ、車骨の刀を見据えた。
「……師匠の遺言だからだ」




