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鎖の縁の奇譚  作者: タク生
第2章「焔ヶ坂山険道中」
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第35話「唐突な鎧武者」

 その家には何の変哲もない、ごく普通の家族が住んでいた。夫婦とその子供、姉と弟が一人ずつ。一家揃って明るい性格で、近所の住民からも好かれていた。その全てが過去形だ。


 家族の住んでいた一軒家を囲う、立入禁止を意味する黄色いテープ。内側には中を捜査する警察たち。外側には言葉を失った住民たち。顔を覆って泣く人もいた。


「失礼、通して頂きたい……」


 重たい悲しみに暮れる彼らを、和服姿で大柄な男が掻き分けて進む。その威圧感に、場の全員が息を飲んだ。素人目にも、彼は只者ではないと悟ったのだろう。

 最前列に辿り着いた彼は、見張りとして立っていた警官と言葉を交わす。そしてテープを跨ぎ、家の中へと入っていった。


「! 来てくれましたか、導木さん」


 顔見知りの刑事が、男——導木景生の到着に気付く。互いに軽く会釈して、景生は事件現場のリビングへと踏み込む。そして天井、壁、床と順に見渡した。

 その視界に入ったもの全てが、切り刻まれた後と血飛沫で溢れていた。鉄分の残り香が鼻を刺す。


「なるほど、こりゃ人間業じゃねえな。妖気も少しだけ残っている」

「犯人の指紋や遺留品らしきものはなく、金品も盗まれた形跡がありませんでした。それにこの有様で……もしやと」

「ふむ……」


 人の気配を感じ、景生は部屋の隅に目をやった。

 そこにいたのは、小学校に上がるかどうかの年齢の少女だった。膝を抱えて座り込み、ガタガタと震え続けている。そして深い深い絶望に溺れた瞳が、虚ろに揺れ動いていた。


「……生き残ったのはあの子だけです」

「…………」


 少女のフラフラとした視線が、景生の視線と一瞬かち合った。

 そして、逸らせなくなった。


「……っ!」

「…………」


 景生は眼差しを向け続ける。強く鋭い、そして暖かい何かを秘めた眼光……。少女は真っ暗だった心に、一筋の光が射した気がした。







 絶体絶命の危機に瀕し、虎乃の脳内にかつての記憶が溢れ出す。家族を一気に失った日。底のない谷底に突き落とされた日。


 導木景生に出会った日。


「フフフ」

「……?」


 状況に似合わぬ不敵な笑い声。狐華は疑問符を浮かべて虎乃を見下ろす。


「まだ狂うほどの毒は回ってない筈だけど」

「やろうなぁ……。こんな程度で私に勝った気でおるなんて、甘い考えな訳ないわなぁ……!」


 背後に感じた、巨大な霊気。毒に侵され輝きを失った筈の、翡翠色の霊気が狐華を照らしつける。


「な……⁉︎」


 振り向いた先には、五つの勾玉。霊気を纏い、大きな翡翠色の円となって、その輝きを増し続ける。直径は、優に狐華を覆い尽くしていた。


「“虎砲(こほう)五挺玉(ごちょうぎょく)”ッ!」


 虎乃の叫びとともに、巨大な光線は放たれた。眼前を飲み込む、翡翠の閃光。鼓膜を揺らす、空気が押し退けられる唸る音。どれもが狐華に警鐘を鳴らした。


「くっ!」


 直撃寸前で狐華は真上に跳んだ。宙ぶらりんの足元を、閃光が掠め取る。右のつま先が消し飛んだ。追撃してきた勾玉を鎌で防ぐも、推進力に負けて墜落する。


「避けたな? 狐華ちゃん……」


 虎乃は膝に手をついて、よろけつつも立ち上がる。そして前方に落下した狐華を、さっきとは逆に見下ろした。


「今までの攻撃は、全部無視して特攻やったのになぁ。てことはやっぱり、一気に全部吹っ飛んでもうたら死ぬって事やなぁ!」

「……だったら何? 毒で視界もおぼろげな癖に、そんなの私に当たられると思ってるの⁉︎」


 自らの手で両頬を平手打ちし、無理矢理口角を釣り上げる。


「毒の正体も分かったで。血ぃやろ? 突っ込んで怪我して血ぃぶっかける……再生力と戦い方がマッチしてんな。やってくれるわ」

「それも気付いたところで遅いのよ」


 狐華は立ち上がり、危うい立ち姿の虎乃を睨み返す。それには、判然とした殺気が充血していた。


「はあ……誘いを断る気なら仕方ないわね。血に浸して奴隷にしたててこき使ってやるわ」

「当たり前やろ。そんなんに乗ったら私……景さんに首捻られてまうわッ!」


 やせ我慢の笑顔で殺意を迎え撃つ。全幅の尊敬と信頼を捧げてきた師匠を、失望させる訳にはいかない。例えどうなろうと、顔向け出来ない無様は晒せない。虎乃はその思いを奮い立たせた。







 もうどのくらい走ったか覚えていない。景色が代わり映えしないせいか、感覚が麻痺している。

 どこまで走っても木しか見当たらない。見渡す限り木々の海だ。どうすれば縁に辿り着けるのか見当がつかない。

 その上、しつこく追ってくる妖怪どもが俺に苛立ちを募らせる。


 痣の疼きが薄まったのを見計らい、近くの木にもたれ掛かった。酸素の供給が追いつかない。胸と肩が暴走したように上下を繰り返す。


「クッソ……」


 最初の操られていた妖怪たちが爆散した直後、すぐに別の奴らが現れた。またなのかと憤慨しかけたが、血のような妖気は感じなかった。

 つまりソイツらは、パーキングエリアで襲撃してきた奴らと同類……恐らく【憎】の戦闘員。そう決断し、俺は怒りを織り交ぜて鎖を振るい始めた。


 奴らはさして強くない。何の戦術もなく突っ込んできては牙を剥くだけで、簡単に倒せてしまう。烏合の衆と呼ぶ事すらおこがましかった。


 ……だったら何故俺は、こんなに息を切らして走り続けていたのか。奴らから逃げているのか。

 情けない事に、倒しきれなかったからだ。何匹、何十匹と鎖で叩き落として塵に変えても、すぐさま倒された分以上の増援が現れる。


 終わりがない。いくらゴールを目指そうと、すぐさま振り出しに戻される。そうするうちに、心身ともに磨耗していく。まるで賽の河原の子供のような気分だった。


 どうにかその場から離脱したものの、簡単に振り切れる筈もなく……走り続けて今に至る。


「どうすんだよこれ。痛つ……」


 大分体力を無駄にしちまった。掠った程度とはいえ、いくらか傷も貰ってる。考えろ、どうすればこの状況を打開出来る……⁉︎


 こんなに妖怪が湧いて出るって事は、自爆したのとは別の黒マントがどこかにいる筈だ。あんな厄介なのが複数いるなんて考えたくなかったが、他に考えが浮かばない。

 ならさっきと同じように対応……したいところだが。


「……それが出来りゃこんな目には合ってないよな」


 切らした息で溜め息を吐く。あれは龍臣だからどうにか出来たんであって、俺の索敵能力じゃ無理がある。よしんば見つけても、氷凰並みに速攻で倒さなければ逃げられるだろう。


 ……というか俺はどこに向かって走ってきた? そもそもどこに飛ばされたのかすら分からない状態で、あんな滅茶苦茶に走り回って……。既に焔ヶ坂山に行けるかどうかすら怪しいぞ⁉︎


 マズイ、考えれば考えるほど絶望的だ。俺の予想以上に限界が近いのか、思考が悪循環に陥り始めている。


 そして、そんな場合じゃないってのに、痣の疼きが強まり始めた。


「……っ!」


 あまりの心拍数に、心臓に血が溜まってるんじゃないか……そんな錯覚が未だ収まらない。陽の光は遮られて涼しい環境の筈が、血と汗の混ざった熱い雫が身体中を伝う。


 この通り全く休まってないが、また迎え撃つしかなさそうだ。数で押すってのがこんなに恐ろしいとは……。それを痛感しながら、痣に神経を回す。


「…………」


 一つ、明らかに他と違う妖気を見つけた。大きさも質も、格下のそれとは一線を画している。他を液体のような不定形とするならば、まるで硬い岩石のような質だ。

 その主が頭一つ抜けた速さで、しかも群れから外れ単体でこちらに向かっている。


 ……ある程度相手してから、また逃げようと思ってたんだが。コイツを相手するとなるとそれすらヤバいか?


「……それでもやるしか」


 鎖を伸ばし、迎え撃つ準備を整える。とりあえずこの一番強い奴だ。コイツは少なくとも倒さないと……俺はここで。


「オオオオオオオオオオッ‼︎」


 響き渡る雄叫びが木々をざわつかせる。方向、大きさからして妖気の主が発した者だ。


 来るなら来い、俺は必ず——


「オオオオあ痛ああああああああああッ⁉︎」


 生きて——


「……あ?」


 妖気の主が現れ、そのまま勢あまって俺の前を猛スピードで横切って…………木に思い切り正面衝突した。

 見た目は鎧武者そのものだ。顔を含む全身に赤い甲冑を纏った、そこそこ大柄な男。それが転げ回って悶絶している。


「ぬおおおお痛し! 顔面がいと痛しぃぃぃ……!」

「……おい。だ、大丈夫か…………?」


 あんまり痛そうにしているので、つい心配してしまった。いと痛しって……言わないだろ普通。


「ハッ……! 誰だお主⁉︎」

「俺の台詞だよ」


 鎧武者は倒れたまま俺を見上げ、驚いたように叫ぶ。全く俺に気付いていなかったかのように。


 え、何か……え?

 コイツ……え?


「その霊気、お主退魔師だな⁉︎」

「そうだけど……」

「見ない顔だ……怪しいな」

「お前だよ怪しいのは」


 まさか鎧でガッチガチに固めた奴にそんな事を言われるとは。まあ……目付きの悪さは否定しないが、それでも前に比べりゃ大分マシになった方だぞ。

 というか何だこの緩さ。こんなんが【憎】の構成員……?


「絶対違うだろ」

「何がだ! 怪しい奴め、拙者に近付くなよ……!」

「……離れたいのは山々なんだが」

「お主のような怪しい奴を野放しに出来るかぁ! 拙者の目の届く所から離れるでないっ‼︎」

「はあ⁉︎」


 やたら俊敏な動作で立ち上がり、俺との間合いをジリジリ離し始める鎧武者。

 言ってる事滅茶苦茶だぞコイツ……。更に両手を前に出してへっぴり腰という姿勢のせいで、強者感は全くない。そして今気付いたが、腰に刀はしていない。


 証拠はないが確信した。

 コイツは【憎】とは無関係だ。


「よく分からんが、関係ないならどっか行ってくれ。こちとら生きるか死ぬかの瀬戸際なんだよ」

「む? 妖怪の群れが近い……さては賊か!」

「聞けや!」


 ついに声を荒げてしまった……。


 完全に俺から背を向け、鎧武者はまた勝手に盛り上がっている。この状況でこんな事にイライラ出来るのは、俺に意外と余裕があるからだろうか。


 もうコイツは放っとこう。早いとこ迎撃準備を——


「……とうとう尻尾を出したか」

「っ!」


 鎧武者の雰囲気が変わった。さっきのとぼけた言動は別人かという威圧感と殺気が、空気を伝って肌に浴びせられる。

 そして何より、研ぎ澄まされた刀のような妖気。まるで切っ先を喉元に突きつけられているかのように、冷たく尖っていた。


 あまりの変わりように息を飲んでいると、鎧武者が俺の方に振り向き直していた。


「さっきは失礼な事を言った、申し訳ない。よく見れば血を流しておるな……。あの群れを切り抜けてここまで?」

「あ、ああ。それより尻尾を出したって……お前は何者だ? 奴らを知ってるのか?」

「賊が何者なのかは知らぬが……拙者は警戒のために、焔ヶ坂山よりこの地へ来た者だ」


 その声以外、一切の音が消えた気がした。


「…………え……?」


 偶然か? 聞き間違いか?

 右も左も、太陽の傾き具合すら分からず途方に暮れていた時に。活路は俺の前へと、唐突に現れた。

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