第34話「狐華」
周囲の様子を探る。目の前以外からは妖気を感じない。ついさっき誰かと話していたようだが、何らかの方法で遠隔地とやり取り出来るのか……。あの黒マントが他にもいて、増援を送り込んでくるかもしれない。
虎乃は思考を巡らせるが、すぐに一つの結論に至る。少なくとも今は、自分と妖怪の一対一だ。
「急がなあかんから単刀直入に聞くで。お嬢ちゃん、敵って事でよろしいか?」
臨戦態勢でそう問いかけた。十個全ての勾玉に神経を注ぐ。殺意の篭った眼光を目の前に放つ。
そんな虎乃を、妖怪もまた殺意の込められた笑みで見据える。それだけで、返答は聞くまでもなかった。
「お前たちが焔ヶ坂山に向かってるってんなら、邪魔だから敵って事になるわね」
「あっそ」
勾玉全てから霊気の束が放たれた。虎乃の正面に立つ妖怪一点に、翡翠の閃光が収束する。並みの妖怪が食らえば致命傷は免れない一撃。当たれば肉体を貫通し、空いた穴から塵に変える。
「……?」
十本も同時に放たれたそれを前に、妖怪は避ける素振りすら見せなかった。躱しきれないという様子でもなく、寧ろ余裕すら覗かせる面持ちで、ただその場に突っ立っている。
それを不審に思うも、既に止める事は出来なかった。妖怪の体を、閃光が貫く。
「……ッ」
胸、脇腹、腕、太腿など全身に穴が空き、大量の血が噴出する。果ては頭部にまで命中し、左上部が抉られ吹き飛んだ。
(え、嘘やろ……? こんな呆気ない訳ないやん。けどあんだけモロに食らって生きてる筈が……)
虎乃の頭に、何よりもまず困惑が湧き上がる。当然殺す気で撃ちはしたが、あまりに拍子抜けする結末。こんなに簡単なのかと疑っても、現に目の前の妖怪は穴だらけになって力なく倒れ——
「へえ……ああ、そう。こんな感じ……」
「な……⁉︎」
虎乃は目を剥く。妖怪は倒れるどころか、平然とその場に立ち続けていた。体中を霊気の束が貫通したのに。頭が一部消し飛んだのに。源泉のように血が噴き出しているのに。
「死ぬと思った? この程度で」
欠損した部分から血管のような赤い管が伸び、密集して傷口を塞ぎ始める。それはすぐに厚みを増し、見る見るうちに健康的な肌色に色づいてゆく。
たったの数秒で、全ての傷口が塞がった。
「何やその再生力……普通とちゃうで」
「普通じゃないのよ、私は」
噴き出した血が肌と衣服を汚している。その衣服にも、霊気が貫通した穴が点在している。それがなければ、彼女が重傷を負っていたと誰も気付かないだろう。
妖怪は頭から垂れていた血を指で拭い、口元に持っていってペロリと舐める。その仕草と表情に、虎乃は扇情的な雰囲気を感じた。
「……アカン、ちょっとエロいでお嬢ちゃん」
「何言ってんのお前」
やや顔を顰め、妖怪は顔の血を拭いきる。そして挑発的な目つきで虎乃を睨み始めた。
「どういう目的でこんな所に近づいてきたのか知らないけど、邪魔よお前ら。雑兵じゃ手も足も出ないのが余計腹立たしい。挙句の果てに空割まで捨てる羽目になるなんて……」
殺気が一層強まる。おどろおどろしい妖気が漏れ出し、妖怪の右手に集まってゆく。
「もう私が惨殺するしかないじゃないッ!」
好戦的な叫び声とともに、妖怪は虎乃へと飛びかかった。右手の妖気が鎌へと姿を変える。鋭利な刃は、虎乃の首に軌道を定めて横に薙ぎ払われた。
勾玉が即座に反応する。一つが鎌の軌道上に移動し、薙ぎ払いを防いだ。翡翠の霊気と血みどろの妖気が火花を散らす。
「私、狐華っていうの。いい名前でしょう? 覚えておくといいわ」
「へえ、何で? 知られてへん方が都合良さそうなもんやけどな……!」
鎌を受け止める勾玉に、霊気を強く集中させる。翡翠色の輝きが強まり、虎乃も狐華も目を軽く細めた。そして再び放たれる霊気の束。それが、狐華の頭に直撃した。
衝撃で後ずさる狐華。飛び散る赤い液体が、虎乃の顔に数滴付着する。
「……何で、ですって? 決まってるじゃない」
血痕を拭いながら、虎乃は頭の吹き飛んだ狐華を見据える。これでも狐華は死なないらしい。既に口元が再生し、こうして話している事が証明だった。
「だって名前を知っている方が、私の事を強く恨めるでしょう?」
「……なかなかイカれてんなぁ、狐華ちゃん」
未だ上半分がないままの顔。再生途中で瞼のない両目を大きく見開き、狐華は口元を歪めて笑った。
虎乃は内心に危機感を抱く。さっきまでの有象無象とは違うだろうと思ってはいたが、想像以上に厄介な相手だ。どこを撃ち抜いても数秒で再生される。弱点はあるかもしれないが、この時点ではただの希望的観測でしかない。
(どうしよ……一気に全身吹っ飛ばすか?)
狐華の顔が再生しきった頃、その考えが浮かんだ。再生する『元』がなくなれば再生のしようもない。虎乃としては現状最適な案だった。しかしそれほど大規模な攻撃となると、虎乃の方も相応の隙を晒す事になる。
「……まあ、やるしかないわな」
「ふうん? 次はどうやって私を虐める気かしら」
影を落とした笑顔で、狐華は再び接近してくる。ダメージを勘定に入れない、真正面からの突撃。再生を活かしてひたすら襲いかかり、消耗させてトドメを刺す……。そんなところだろうと虎乃は推測した。
ならばやはり、一瞬で吹き飛ばすしかない。無駄な攻撃で霊気を消費出来ない。そう考え、虎乃は鎌を半身で躱した。
「流石に学習したみたいね。あの程度の攻撃は無駄だって」
「これでも天才って呼ばれとるからな」
空振って態勢の乱れた体を捩り、鎌を強引に虎乃へと向ける。半歩後ろへ引き、下から登るように振るわれたそれをもう一度空振りさせた。
二人の間に僅かな距離が開く。そこに割り込む、三つの勾玉。小さな三角形を形作り、鎌を振るった狐華の腕を囲うように浮かぶ。
「とりあえず止まり」
「!」
その勾玉に結界が張られる。三角形を突き破ったような形で、狐華の腕が固定された。虎乃はその間に更に距離を取ろうとする。
「フン……!」
だが狐華は止まらなかった。固定された腕へと強引に力を込める。ミシリという嫌悪感の走る音。虎乃がそれに気づいた頃には、千切れた腕が結界に固定され、ひとりでに血を噴いていた。
「そこまでするか!」
狐華は千切った腕から鎌を奪い、思い切り振りかぶって肉薄してくる。その姿勢故に、肘から先のない右手が虎乃の方に向く。傷口から鉄砲水の如く噴き出す血。それが顔にかかり、虎乃の意識を散らす。
「ああもう……!」
勾玉一つを手元に戻し、狐華の方へと高速で撃ち出した。これまでと違い霊気を放出せず、それ自体を弾丸のように。消費を抑えた結果の反撃。
「うぐ」
狐華から鈍い音と苦しげな声が漏れ出す。くの字に曲がった体はそのまま勾玉とともに吹き飛び、岩に衝突した。轟音と砂埃、そして岩の破片が撒き散らされる。
全身強打に加え、内臓も潰れる衝撃だった。人間なら恐らく即死、妖怪でもただでは済まない一撃。だが狐華には擦り傷にすらならないのだろう。
(ああ……これはしんどいわ)
虎乃の表情に陰りが見え始める。隙を晒さなければならないなら、動きを封じてしまえばいい……狐華はそんなに単純な敵ではなかった。
(一部だけ固めても逃げられる。けど完全に閉じ込めるんやったら、少なくとも四つ使わなあかん……。それを維持したまま最大火力の準備して、撃つ直前に結界解いて……って……)
思考するうち、自らの息遣いが荒くなっている事に気付いた。肩が軽く上下し、やや熱っぽさも感じ始める。体が熱い。
「く……?」
「あらどうしたの? 顔色が悪いみたいだけど」
既に再生を終え、自らを血に染めた狐華は立ち上がってわざとらしく笑った。頭痛のする頭を抑えて正面を見る。だが薄い曇りガラスを通しているように、視界がぼやけてはっきりしない。
「な……」
虎乃の体を寒気が駆け巡る。手足が軽く痙攣を起こす。脂汗が滲む。疲れのせいかと思ったがそうじゃない。虎乃の中の何かが、明らかおかしい。
「毒……⁉︎ いつから」
「さあ。自分で考えれば?」
「っ!」
いつの間にか、狐華に背後を取られていた。意識がぼやけた隙を完璧につかれたらしい。
狐華はその背中に鎌を振るった。黒い衣服を裂き、虎乃の肌に赤い線を走らせる。そこから噴き出す、赤い液体。
「痛っつ……!」
「うるさいわね。こっちは腕を自分で捥いだのよ? この程度で声上げないでよ鬱陶しい」
続けざまにもう一度振られる鎌。虎乃の背中に十字の裂傷が刻まれた。痛々しく裂けた傷口から血液が漏れ出す。
「ああああ!」
異様な症状に激痛が加わり、虎乃は姿勢を大きく崩した。更に狐華に足を払われ、受け身も取れずうつ伏せに倒れ伏す。
「やっぱり妖怪相手より人間の方が効きやすいわね」
「う…………」
腕を後ろに回され、背中から押さえつけられる虎乃。浮かぶ勾玉が一つ、二つと墜落し始めた。霊気の制御も覚束なくなってきた証拠である。
「ねえ。何でお前が私の前に飛ばされたか分かる?」
「…………」
「答えなさいよ。まだ受け答えくらい出来るでしょ」
狐華は虎乃の髪を鷲掴みにし、無理矢理頭を持ち上げた。朦朧とする意識の中、辛うじて虎乃は思考する。
「……分からんなぁ。強い奴をどうにかしたい、とかなら……氷凰ちゃんのが強いし……」
「ええ。一匹明らかにおかしいのがいたけど、狂狸と同類ってアイツよね。飛ばすのも失敗したし……まあ別にいいんだけど、邪魔されなければどうでも」
『狂狸と同類』。虎乃にとって無視出来ない言葉だった。
「……やっぱり【憎】ってやつやったんか」
「何を今更。空割見た時点で気付いてた癖に」
狐華はさらりと肯定した。
自分が【憎】の構成員であると。
導木景生を殺した組織の一員であると。
「ッ……!」
虎乃の中のある一面が顔を覗かせる。これまでは別の一つに向けられていたものが。盲目的で狂気的な復讐心が、朧げな意識より溢れ出した。
「っ! そう、それよ! お前をここに飛ばしたのはそれが理由よ‼︎」
それを感じた狐華は目を見開き、嬉々として笑った。首を捩って睨む、殺気の篭った虎乃の眼光。それを妖艶な眼差しで睨み返す。
「お前さぁ、何て名前なの?」
「……白井口虎乃」
半分無意識に名乗る虎乃。狐華はますます愉快げに笑った。
「虎乃……? へえ、いい名前じゃない。私と一文字しか違わない」
「…………」
「返事する元気もなくなった? まあいいわ聞きなさい」
髪を掴む手に力が篭る。その痛みに虎乃は顔を顰めるが、狐華は気に留めず言葉を連ね始めた。
「お前、憎くて憎くてしょうがない奴がいるんでしょう?」
「……!」
「喋らなくていいわ。憎悪で動いてる奴は一目で分かる。だって私と同類だもん」
動揺を走らせる虎乃。その耳元に、狐華は顔を近付ける。そして誘惑するように囁いた。
「その恨んでる奴、探すの手伝ってやってもいいわ。気持ちはよーく分かるもの。自分の手でズタズタにしなきゃ、どうにかなりそうなのよね? それさえ叶えば、自分も含めて他はどうなっても構わないのよね? お前の生きる理由って、極論その為だけなのよね?」
「……っ」
駄々っ子を宥めるような狐華の言葉。負の感情に満ちたそれら全てが、虎乃の脳を揺らす。口先だけではないからだ。狐華は本気でそうして生きている。憎悪が彼女の動力源にして、生きる理由だった。
そしてそれは、虎乃もまた然りだった。
家族を惨殺した妖怪を殺す。その為に退魔師となり今日まで生きてきた。成し遂げられるなら、きっと自分の命すら惜しくない。他のものまで捨ててしまうかもしれない。既に誰かの手にかかっている、なんて考えるだけで気が狂いそうだった。
故に、狐華の言葉が胸に染み渡る。
同じ意志が、図らずも共鳴する。
「お前はこっち側よ、虎乃。毒と傷もすぐ楽にしてあげる。だから、似た者同士仲良くしましょう?」




